2021-01-01から1年間の記事一覧
(前回に続き、暫定的なまとめとして) 1. 「ウィトゲンシュタイン『哲学探究』第Ⅱ部xi節は、冒頭近くに出てくるウサギ-アヒルの画像とともに、アスペクト知覚を論じていることで名高い。」 ― それは、確かにその通りだ。第Ⅱ部において長大なxi節は、はっき…
1. 当ブログの中で、進行相 の問題は、主に 3つの平面 / 流れ において現れてきた。 次のステップに進む前に、それを簡単に確認しておく。 Ⅰ.行為と目的、行為と規範 行為には、本来的な終点=目的endを有し、開始から終点までの到達に幾らかの期間を必要と…
1.“説明のアスペクトに向かって” 以来、フランス語の半過去の使用と「説明」とのつながりに目を向けてきた。 一方、日本語においては、パーフェクト相としてのテイル形と 「説明」、「理由づけ」 との結びつき も注目に値する。 ※日本語の「テイル/テイタ」…
1. 前回、次のように述べた。 表情、視覚的アスペクト、形象の類似、言葉の意味、等の「一瞥されるもの」は、しばしば「無時間的命題」によって表現される。 そして、「一瞥されるもの」を認知する体験は、その「無時間的命題」を「出来事化」し、「時間化」…
1. 定延利之『煩悩の文法』は、「知識の表現と体験の表現との差異」という、ウィトゲンシュタイン『探究Ⅱ』xi節に通じるテーマを中心に、さまざまな興味深い言語現象を論じている。 (ウィトゲンシュタインの場合は「知っていることと 感覚していること との…
1. 前々回、アスペクト知覚体験の表現との類比を通して、(一部の)「美学的説明」の中に、「体験の表現」の相を見ようとした。 (「体験の表現」の相を見る、とは正確にはいかなることか? という問いについては保留した。) その際「美学」が(語源的にも…
1. 不適切な場面に<原因ー結果(効果)>の観念を持ち込むこと、さらに因果的説明を与えることを、ウィトゲンシュタインは哲学的混乱の原因の一つとして批判した。それについては、当ブログで様々な例により確認した。 “「説明」の周辺(9)”、“「説明」の周…
1. 「美学的説明」と「アスペクト体験の表現」との類比に向けて。 以前、ウィトゲンシュタインのアスペクト知覚論において、「・・・を○○○として見る」という形式の言表だけでなく、それとは異なった形の「アスペクトの閃きの体験を表現する、さまざまな形式…
1. 以前、「2つの使用」について取り上げた時、「無時間的使用」についても触れ、それ以来、あたかも「2つの使用」の一方と「無時間的使用」が同じ概念であるかのように扱った。 しかし、そのように単純に両者を等置することは不適切である。 前者(「2つの…
1. 前回までの考察において、メタファー型の「美学的説明」で示される 類似性、同一性が、非因果的なつながりであることを主張した。 その後、シネクドキ型の示す内容も非因果的と言えること、メトニミー型の示す内容については、因果的、非因果的という2通…
1. ウィトゲンシュタインの云う「美学的説明」は、例えば次のような困惑から始まる。 コーヒーの香りを記述してみよ!—なぜうまくゆかないのか?(PI 610、鬼界彰夫訳) 「これらの音は何か素晴らしいことを語っている、しかしそれが何か私にはわからない」…
1. (前回を承けて) 「表情」ないし「美学的印象」の因果的説明と、意味の因果的説明との間には似た構図がある。 まず、対象(あるいは言葉)そのものと、その「表情」や「意味」とが区別される、という前提。そして「表情」や「意味」の存在的性格は、あい…
1. ウィトゲンシュタインの云う、「美学的説明」とは何か? すでにここまで折に触れて、その特質について語ってきた。 例えば、 ・比較すること、並べて示す(見せる)ことが「美学的説明」のポイントである。(“「説明」の周辺(7),(14)”) ・「美学的説明」…
1. ウィトゲンシュタインの「数学の基礎」に関する考察を読解してゆく内に、 目的=終点endを持ち、遂行に時間を要する行為を表す動詞(Vendlerの分類でのaccomplishment verb)の、imperfectiveな使用の問題 に関心を見出して、ここまで来ている。 ただし、…
1. さて、「ぴったり合った内筒シリンダーと外筒シリンダー」(cf. PI 182)は、絵に描くことができる。 この一つの絵を相手に提示して情報伝達を行う、様々なゲームを想像することができる。 (その絵は、ウィトゲンシュタインの謂う、「像」の一つと見なせよ…
1. 前々回、前回と、志向された事象の現前/非現前という観点から、「できる」や志向性の問題と 言葉の意味の問題との間につながりを見ようとした。むろん、それは両者の差異を無視することであってはならないし、類似は十分に明瞭にされたわけではない。しか…
1. 「合うpassen」、「できる」、「理解する」の文法。問題:1)シリンダーZが中空の筒Hにぴったり合う、といつ言うのか?ZがHにはめ込まれている間だけか?(PI 182、鬼界彰夫訳) シリンダーに関するウィトゲンシュタインの問いかけが、さりげなくも興味深い…
1. 「ぴったり合うpassen」については、もう一つ指摘しておきたいことがある。 ウィトゲンシュタインは、さりげない口調で、気になることを述べている。 「合うpassen」、「できる」、「理解する」の文法。問題:1)シリンダーZが中空の筒Hにぴったり合う、と…
1. 前回まで、問題にしてきた「表情」に関する言明― その中でも「意味の体験」に関する言明について、それに対するウィトゲンシュタインの姿勢を、簡単にメモしておきたい。 (ここでは、さまざまな事例を一まとめに扱ったため、大雑把な総括になっている。…
1. 前回、ある語の「感じ」「雰囲気」と、その語の使用とを分離できるか、という問題を見てきた。「感じ」が、その使用から分離できるか否か、という問いは、両者のつながりが経験的なものか、論理的なものか、という問いでもある。 だが、はたして「これら…
1. ここまで、ウィトゲンシュタインの『美学講義他』に倣うつもりで、顔、芸術作品、言葉等の対象がもたらす「印象」をそれぞれの「表情」として捉え、感覚を基盤として対象と主体との界面(インターフェイス)をなすものと見なした。 そして「表情」の様々…
1. 「私には、‘シューベルト’という名は、シューベルトの作品と彼の顔にぴったりしているかのように思われる」(PPF270)という現象 、あるいはそのような言表― それが、ウィトゲンシュタインにとって、なぜ、どのように、問題となるのか。 後期ウィトゲンシュ…
1. ウィトゲンシュタインの美学に関する考察を取り上げる中で、「表情 Ausdruck, expression 」が重要な概念として浮上してきた。 我々が美学的対象について話す場合(例えば)芸術作品そのものについて語る場合もあれば、作品の「表情」、与える「感じ」「…
1. 表情の想起や理解が一瞬で行われることについて、ウィトゲンシュタインは、「すべての哲学にとって法外に重要」と評していた(LCA, p31)。そのことをきっかけに、「一瞥性」の問題への手掛かりを、ここまで様々な所に探ってきた。 振り返ると、『探究Ⅰ』の…
1. 前回、言葉の意味の瞬時的把握 と 表情の一瞥的認知 を類比した。 その類比の周辺にある、平凡な事実の数々を確認しておく必要がある。 前者では、極めて短時間の「理解する体験」によって、その言葉がどう使われるか、どう使うべきか、が知られる。知ら…
1. 前回からの流れで、「閃き」に類比される美学的体験(反応)について。 一つの作品の持つ、新たな次元に目を開かれるような体験。それが一瞬の内に起こった時、それはアスペクトの閃きに類比できるであろう。 あるいは、作品の新たな解釈を見出して、それ…
1. 前回の、関数の比喩を用いた考察で、表情を認知することを、ある表情をある関数の値として見ること、に喩えた。そこでは、表情からある関数が推測される、という風には描出しなかった。それはもちろん、表情が一瞥で見て取られることを表現するためである…
1. 同じく容貌を根拠にしながら、性格や運勢を判断するよりも確かな種類の判断がある。 ある人の表情から、その後の態度や言動を予想すること、 または、以前の状態や出来事について推察すること、である。 例えば、入学試験の合格発表日に、道で出会った受…
1. 「一瞥性」の観点から、表情認知について振り返る。 Physiognomieという言葉に、 ウィトゲンシュタインのテクストの中でしばしば出会う。(例:PI235, 568, PPF238,RPPⅠ654,RPPⅡ68,615) Physiognomieは、主に 容貌、表情という意味で使われるが、同時に…
1. 「一瞥性」について重要なのは、「数学の基礎」に関する考察の中で、それが問題として浮上していることである。「数学の基礎の探求」(cf. PPF372)、それを文字通り「基礎的」な、非常にプリミティブな数学的行為を対象に行うことで、「一瞥性」の問題が浮…