はじめに

はじめに~略号表

 これより、L・ウィトゲンシュタインの「後期の著作」(『哲学探究』をはじめとする、アンスコムらの編集によって出版された遺稿)を読みながら、個人的な覚書、リファレンス等を記録して行く。

 

1.
ウィトゲンシュタイン『心理学の哲学Ⅰ』より、

ある界隈の勝手がわかっている(auskennen)というためには、君は単にある集落から別の集落への道を知っていなければならないばかりでなく、もしもこの間違った方向に行ったならばどこに到達するのかということもわかっていなくてはならない。このことは、いかにわれわれの考察が地図を作成するためにある地方を歩きまわることに似ているかを示している。そしてわれわれの訪れる領域についても、こうした地図がいつか作成されることはありえないわけではない。(§303, 佐藤徹郎訳) 

 ウィトゲンシュタインは、様々な機会に、哲学的な探求を地表面の探索に例え、展望(übersehen)の問題をそれに結び付けて論じている。
例えば、後にThe Yellow Bookとして編集される1933-34年の講義では、哲学における困難の一つに「展望」(あるいは「概観」、原語 synoptic view)の欠如がある、と語った後、言語を地表面になぞらえ、哲学的問題を地図を作る際に我々の犯す誤りにたとえている。

地図を見れば、同じ土地の上をさまざまな道路が走っている。我々はどの道路も通行できるが、同時に二つの道を行くことはできない。それに似て、哲学においても、我々は諸々の問題を一つ一つ取り上げて行くよりほかないのだが、実際には、それぞれの問題は他のいくつもの問題につながっているのだ。・・・
哲学においては、「さあ、まず大まかにアイデアを把握しておこう」という具合にはいかないのだ。それほど話は単純ではない。なぜなら、さまざまな道の間のつながりを把握しなければ、この地域を知ったことにはならないからだ。そこで、つながりを見通すために、何度も繰り返すということを私は勧めたいのである。
(Ambrose, A., ed. (1979) Wittgenstein's lectures Cambridge, 1932-1935, p43) 

 彼の言葉を信じるなら、ウィトゲンシュタインを読む者は、似たような問題に繰り返し直面し続けることを避けて通れないだろう。その繰り返しこそは、つながりを把握するための手段として甘受されなければならないもの、ということになる。

事実、彼の「後期の著作」は、果てしの無い、いくつものテーマの繰り返しという印象を強く与えてきた。
しかも、単なる反復というよりも、見通しがたい迷宮にたとえられてきたのである。

言語はさまざまな道の迷路である。一方の側からやって来ると勝手がわかる(auskennen)が、他方の側から同じ場所にやって来ると、もう勝手がわからない。(『哲学探究』 Ⅰ §203, 藤本隆志訳)

われわれが自分たちの語の慣用を展望してないということ、このことがわれわれの無理解の一つの源泉である。(同、§122,藤本訳)

しばしば指摘されるように、これらはまるでウィトゲンシュタインのテクスト自体について語っているかのように、とてもアイロニカルに響く。彼のテクストの「展望しがたさ」ゆえに、限られた区画を堂々巡りしたあげく途方にくれてしまう読者が大量に生まれてきたのであるから。

2.
 ウィトゲンシュタインを読もうとするならば、テクストの中の果てもなく繰り返される問いの中で方向を見失わぬよう、何らかの道標を立てながら進むことは必要であろう。これから記してゆくノートは、その役割を果たすためのものである。ここでなされる議論は非常にラフな、覚書程度のものにとどまる。

哲学者の仕事は、一定の目的に向って、諸々の記憶を寄せ集めることである。(『哲学探究』 Ⅰ §127 藤本訳) 

 これに習って?まずウィトゲンシュタインの言葉を寄せ集めて、考察を加えて行きたい。
ただし、それぞれの引用文が属していたコンテクストを十分に示す余裕はないため、論旨のつながりに明確さを欠くことも多いだろう。引用文の内容については、元のコンテクストに還って理解する必要がある。その意味でも、このノートは、ウィトゲンシュタインを読むための覚書にすぎない。長年にわたる彼の思考の転変を探る余裕はないが、より早期に書かれた文章が、後に書かれた文章の内容を良く例証すると思われる場合、あえて前者を後者の説明に使用することがある。そのため、時間系列を無視した議論に見える場合もあるだろう。

3.
ウィトゲンシュタインを読みながら、哲学の内側で一般化された問題(たとえば、数学的プラトニズム)について考えることは、ここでの目標ではない。
彼の哲学上の姿勢は例えば次の部分に、端的に現れている。数学の基礎に関する議論においても、感覚の言語に関する議論においても、自分は、「言葉のいろいろな使用の仕方に注意を喚起しているだけなのだ。」と言う。(cf.『数学の基礎』Ⅱ76節、原書第3版Ⅲ 76節) 
つまり、どちらの議論でも、対立する哲学的主張のいずれかの解答を与えようとしているわけではなく、言語ゲームの多様性、それらの間の差異に注意を促しているに過ぎない、と、ウィトゲンシュタインは主張するのである。
目指すことは、哲学を専門としない一読者として、このような彼の姿勢の理解に努めながら読み進むことである。

<略号表>

ウィトゲンシュタインのテクストへの参照は、英語題名の略号を使う。節に分かれているものは、基本的に節の番号で記す。他は、ページで指示する。
ただし、
・Remarks on the foundations of mathematics は第3版を使用する。
・Philosophical investigations の新版(第4版)では、旧版の第Ⅱ部がPhilosophy of Psychology A Fragmentと改題され、パラグラフに節番号が通しで付されている。ここでは、略号としてはPPFおよび『探究Ⅱ』を用い、ページでなく第4版での節番号で表記する。

訳文について。邦訳を引用する場合は訳者を表記する。訳者による原文の補足は、場合に応じて削除することがある。
原文における強調部分は、すべて下線を引いて表記するように改変する。、
節からの引用は、抜粋である場合が多いが、それを一々ことわらなかった。引用部分の中間に省略した部分がある場合については、その部分を(・・・)あるいは、(中略)によって示す。

略号:原題
TLP,Tractatus,『論考』:Tractatus Logico-Philosophicus
PB、『考察』:Philosophical Remarks
PG『文法』:Philosophical Grammar
BBB『青色本』『茶色本』:The Blue and Brown Books

PI『探究Ⅰ』:Philosophical Investigations 
PPF『探究Ⅱ』(『心理学の哲学-断片』):Philosophy of Psychology - A Fragment
RFM『数学の基礎』:Remarks on the Foundations of Mathematics
RPPⅠ『心理学の哲学Ⅰ』:Remarks on the Philosophy of PsychologyⅠ
RPPⅡ『心理学の哲学Ⅱ』:Remarks on the Philosophy of PsychologyⅡ
LPPⅠ『ラスト・ライティングスⅠ』:Last Writings on the Philosophy of PsychologyⅠ
LPPⅡ『ラスト・ライティングスⅡ』:Last Writings on the Philosophy of PsychologyⅡ
RC『色彩論』:Remarks on the Colour
OC『確実性』:On Certainty
Z『断片』:Zettel
CV『文化と価値』:Culture and Value
PO:Philosophical Occasions
WLC1932-35『1932-35講義』:Wittgenstein's Lectures,Cambridge 1932-1935
WLFM『数学の基礎講義』:Wittgenstein's Lectures on the Foundations of Mathematics
WLPP『心理学の哲学講義』Wittgenstein's Lectures on philosophical Psychology 1946-47
LCA『美学講義他』:Lectures and Conversations on Aesthetics,Psychology,and Religious Belief

WVC『ウィーン学団』:Ludwig Wittgenstein and The Vienna Circle

specificityに関するメモ(12) : Montague(6)

1. 

では、実際に、PTQの規則に則った、EFからILへの翻訳の ごく簡単な例を見てゆこう。ILの式は、適当な記号を当てがって構成するが、基本的には、PTQにならって、αの翻訳をα' の記号で表す。変項の表記についてもPTQに従う。以前示した変項の表を再掲する。

u,v : 個体の変項(タイプe)

x,y,xₙ : 個体概念の変項(タイプ<s,e>)

p : 命題の変項(タイプ<s,t>)

M : 個体のpropertyの変項(タイプ<s,<e,t>>)

P,Q : 個体概念のpropertyの変項(タイプ<s,<<s,e>,t>>)

℘:「<個体概念のproperty>のproperty」の変項(タイプ<s,<<s,<<s,e>,t>>,t>>)

S : 2個体間の内包性の関係を表示する変項(タイプ<s,<e,<e,t>>>)

一つことわっておきたい。ILにおいて、表現の背後には隠されたsタイプの変項が存在する、と見ることができる。例えば、cap-operator(⌃)が付された表現は、その隠れた変項が束縛されていると見ることができる(cf. 2025-12-21)。そうであれば、式の操作において、変項の異同、変項条件の遵守をつねに気にかけなければならないだろう。だが、PTQを読んだ範囲では、その点に関するシステム上の仕組みはよく理解できない。もちろん、当方の読みが浅いのであろうが、実際にPTQの解説論文において、次のように明言されている。

(※two-sorted typeの内包論理定式化に比して)短くて済むこと、述語論理の式に近くなることを別にして、IL-式には薦めるべきところは乏しい。何より、非常に扱いにくい。読みやすい式に縮約するのに不可欠なλ変換が、その慣れ親しんだ形式においては正当な操作とならない。というのも、評価のポイント(※世界&時点のこと)に関する、隠された変項が衝突を起こすかもしれないからであり、そうかといってその変項をリネームすることも可能ではないからである。

(Zimmermann,"On Montague's "The Proper Treatment of Quantification in Ordinary English"" p347)

λ変換、すなわち、α変換、β簡約、η変換のいずれの場合にも、変項条件が問題となる(cf. ラムダ計算ーWikipedia)。だが、ILの式では隠された変項が表示されない仕様になっているから、その条件は見えにくい。

このような問題は、two-sorted typeのシステムならば解決できるのだろう。とはいえそれに習熟する余裕もないから、以下では変項条件を気にせずに、式の構成にトライしてみた。結果は、この変項条件の問題により、正当な構成になっていない可能性が多分にある。ただ、元々ここでは、PTQにおける内包性/外延性の問題をillustrateすることが目的である。そのための試行の跡として、仮に誤りがあっても残しておくことにする。

 

2.

最初に取り上げるEFの文は、

Bill runs.

である。

まず、ILにおいては、個体定項b が存在し、規則T1(c)によって、Billはb*に翻訳されることになっている。 b*とは、次の略号であった。

b* : λP.⏑P(⌃b) (タイプ<<s,<<s,e>,t>>,t>)

この構成において、変項がPのタイプであること、cup-operator(⏑)がかかっていること、bが内包化されていることにはすべて意味があるので注意しておきたい。

 

Pのタイプにb*を関数適用した結果がt、つまり文となることを確認しよう。これはcup-operatorによって、変項Pに代入される項が外延化するためである。

run(s)の翻訳を、run'としよう。これは項の内包化によって個体概念の関数となる。

すなわち、run'のタイプは、<<s,e>,t>。個体概念(<s,e>)を項としてとる。項に対応する変項はx,y,...である(上の表を参照)。ゆえに、λx.run'(x)と表そう。

これはb*=λP.⏑P(⌃b)において、項のbが内包化されていることに照応している。

そこで、λx.run'(x)に b*を関数適用することで式が完成するが、T4にあるように、項となるλx.run'(x) は内包化されるから、⌃λx.run'(x)  になり、そのタイプは<s<<s,e>,t>。上の表では変項Pのタイプと合致する。つまりb*に関数適用されればtとなる。以上、全体のタイプ的照合はOKである。

 

すなわち、

Bill runs : 

(λP.⏑P(⌃b))(⌃λx.run'(x))=⏑⌃run'(⌃b)=run'(⌃b)

となり、翻訳は"run'(⌃b)"となる。

 

前々回心配したrun' の内包化は、down-up cancelation( ⏑⌃による打ち消し、cf. 2025-12-21)によって回避された。これはT側に仕掛けられたcup-operatorのはたらきであるが、その仕掛けは関数適用の結果を文とするために必要なものでもあった。しかし、翻訳の結果は、Billではなく、Billの個体概念⌃bについての式となった。

 

3.

もう一つ見ておこう。

A man runs.

通名詞CNの翻訳のタイプは、自動詞(Ⅳ)の翻訳と同じく<<s,e>,t>である。個体概念がその項である。ゆえに普通名詞manの翻訳をλx.man' (x)と表す。

冠詞a(an)+普通名詞(CN)という操作は、F₂(ζ)で表され、その翻訳は、T2に依れば、

F₂(ζ):λP.∃x[ζ'(x)∧⏑P(x)] 

(タイプ<<s,<<s,e>,t>>,t>)

※ζ' はζの翻訳を表す。

そこで

a man: λP.∃x[man'(x)∧⏑P(x)] 

これをλy.run'(y) (タイプは<s<<s,e>,t>)に関数適用すると、

A man runs :

λP.∃x[man'(x)∧⏑P(x)](⌃λy.run'(y))

=∃x[man'(x)∧⏑⌃run'(x)]

=∃x[man'(x)∧run'(x)]  (⇒タイプはt)

ここでも、down-up cancelationでrun'の内包化は避けられたが、やはり個体概念xについての式となった。

 

次回は、他動詞文を取り上げたい。

specificityに関するメモ(11) : Montague(5)

1.

合成性compositionalityを重んじる意味の理論にとって、2種類の意味寄与(外延的/内包的)の問題は、試金石となる。外延的寄与をノーマルと考える立場からは、内包的文脈における指示的不透明性(フレーゲ)、内包的他動詞文の対象の非存在等が説明されるべき課題として現れる。

それに対し、Montagueの採った戦略は、内包的寄与の方をデフォルトと見なすことであった。(この方策を、Barbara Parteeは、「最悪のケースへの一般化 generalizing to the worst case 」と呼んだ。)

しかし、前回の終わりで触れたように、彼の立場では、外延的寄与の方をいかに説明するかが大きな課題となる。とにかく、最悪の事態に備えようとするあまり、日常生活が不可能になるようでは困るのだ。

そこでとられた方策が、後に意味公準meaning postulateと呼ばれる原則 に基づいた、ILの内包的命題から外延的命題への読み替え(あるいは推論?)である。ただし、それ以前に存在する問題から始めよう。

 

2.

以前見たように、MontagueのPTQの戦略は、fragent of English(EF)をIL(intensional logic)の式に翻訳することでEFの解釈を間接的に与えるというものであった。その翻訳は、一対一の対応関係にあるとは限らないことをMontagueは認める。その意味で「もちろん、翻訳関係は関数ではない。英語の有意味表現は、、内包論理のいくつかの異なった表現へと翻訳されるかもしれない。」(PTQ, 3)

ところで、関数と項のタイプは照合していなければならない。項や関数の翻訳が複数で一つに定まらないとすると、タイプの系列が複数あることもありえるのだろうか?

 

その問題は今しばらく措くとして、完全に分析された構造木に対応する表現については、その表現のthe translationについて語ることもできよう、とMontagueは言う。ここまでの説明では強調できなかったが、PTQにおいて、ある表現の意味については、その表現に至る合成の構造の影響が、まずは甚大なのである。PTQのSection1では、"John seeks a unicorn."の2通りの意味が、合成され方の違いによって示されている。

このように、われわれのフラグメントは、真に(つまり、セマンティカルに)両義的な文の存在を許容している。それに対応する一意的な言語の構築が望まれるならば、分析木自身をそうした言語の表現と見なすと便利であるかもしれない。(PTQ,1)

 

合成構造のトピックは今措いて、ILにおいて可能な、英語文に対する解釈のすべてが、その英語文の翻訳として適切なのではない、という事態が生じ得るかもしれない。実際、それが内包的/外延的意味の狭間で生じるのであり、Montagueが対応に苦心したところでもある

 

3.

まずタイプの固定の問題について。PTQでは、まず特定の固有名と数詞(John,Mary.Bill.ninety)に対応する、ILの個体定項(j,m,b,n)が定められている。それを通して、基底的タイプの存在者(e)とEFの語句との対応が設定されている。

すなわち、意味公準の1 ∃u□(u=α) (α=j,m,b,n) によって、j,m,b,nに、それぞれ特定の個体が、(到達可能な)すべての世界を通じて対応付けられる。これら個体定項がEFの固有名と関係づけられる。(※uが、個体eの変項であったことを2025-12-23で確認しておこう。)

ただし、それら固有名等のILへの翻訳は、個体定項j,m,b,nそのものになるのではない。それらの語句は名辞term,Tであり、例えば自動詞のタイプⅣに関数適用すれば文が生まれる。ゆえに、後の一般的量化子のように、性質の集合のタイプへと、type shift(Montague lift)される。ただし、翻訳の原則に従って、項、つまり自動詞が内包化されなければならない。

前回の確認の繰り返しになるが、翻訳の原則に沿って展開してみると、

f(T)=f(t/Ⅳ)=<<s,f(Ⅳ)>,f(t)>=<<s,f(t/e)>,t>

=<<s,<<s,f(e)>,f(t)>>,t>=<<s,<<s,e>,t>>,t>

このように、Tに対応する、ILにおける翻訳のタイプは、<<s,<<s,e>,t>>,t>である。説明すると、まずeは個体概念<s,e>へと内包化され、性質<e,t>の翻訳<<s,e>,t>において、項eに対応したものとなる。翻訳された性質は個体概念のproperty<s,<<s,e>,t>>へと内包化されて、関数としてのT(の翻訳)の項となる。すなわち、Tは、個体概念のpropertyの集合へと翻訳され、<<s,<<s,e>,t>>,t>のタイプとなる。

(※propertyという概念については、2025-12-23を参照。ここでは、"性質"を、propertyを外延化したものを表すために使っている。)

しかし、Tもまた、他の関数の適用を受けて、すなわち項となって、他の文を生み出すことができるゆえ、Tを変項として表す場合は、内包化された、<s,<<s,<<s,e>,t>>,t>>のタイプとする。これは、前々回挙げた変項の表では ℘ にあたる。(これを憶えておきたい。)

 

3.

以上のように、例えば、ⅣやTといったEFのカテゴリーの翻訳のタイプは決定できよう。では、外延性の問題はどうなるのか。

それを次回見てゆこう。

specificityに関するメモ(10) : Montague(4)

1.

fragments of English(FE) からIntensional Logic(IL)への翻訳について、見てゆく。

まず、FEがどのように捉えられているかが問題となる。それについて見る前に、PTQにおける、翻訳に関する基本的な規則を確認しておく。

Montague は、FEからILへの翻訳のタイプを与える関数を"f"によって表し、次のような規定を与える。これについて説明する。

f(e)=e

f(t)=t

f(A/B)=f(A//B)=<<s,f(B)>,f(A)>

Montagueは、FEにおける複合的な表現を、関数適用function application の結果として捉える。仮に、"Ted"が<<e,t>,t>、"run(s)"が<e,t>のカテゴリーに属するとすれば、"Ted runs" は、項としてのrun(s)に関数としてのTedが関数適用された結果であり、真偽をもつ文(カテゴリーt)が生まれる。

PTQにならい、自動詞としてのrun(s)のカテゴリーをⅣあるいはt/e、名詞句としてのTedをt/Ⅳで表せば、

Ted : t/Ⅳ=<<e,t>,t>

run(s):Ⅳ (t/e)=<e,t>

Ted runs : t

という関係にある。

しかし、FEからILへの翻訳において、上に見るようなカテゴリー間の関係をそのままILに引き写す方法をMontagueは採らない。内包的他動詞の文が示すように、文の真から、含まれる項の外延の存在を導出できない場合があるからだ。

そこでMontagueがとる戦略は、EFからILへの翻訳において、いかなる場合にも(関数適用されている場合)項を内包化するというものである。上の翻訳規定の最後のものがそれを示している。

f(A/B)=f(A//B)=<<s,f(B)>,f(A)>

(※ただし、論理結合子による操作の場合、対象となる文は内包化されないことに注意。つまり、その操作は、関数適用とは区別される。)

例えば、Ⅳはt/e(すなわち<e,T>)の構造をもつから、項となるeは内包化されなければならない。

Ⅳに対応するIL、すなわちf(Ⅳ)のタイプは、<<s,e>,t>であることになる。

とすれば、f(t/Ⅳ)は、<<s,f(Ⅳ)>,f(t)>、すなわち<<s,<<s,e>,t>>,t> となるはずである。

もう一度整理すれば、f(t/Ⅳ)は、f(t/(t/e))であり、

<<s,f(t/e)>,f(t)>=<<s,<<s,f(e)>,f(t)>,f(t)>

=<<s,<<s,e>,t>>,t>

となる。

 

2.

すでに予感されるように、ILへの翻訳は文の構造次第でひどくややこしいものとなってゆくのだが、ともかくPTQにおける翻訳の基本的原則を確認したとして、本題のEFのカテゴリーとシンタクスについて見てゆく。

シンタクティカルなカテゴリーとして、次の分類がなされる(section 1)。

Ⅳ:自動詞句のカテゴリー、t/e

T :名辞termのカテゴリー、t/Ⅳ

TV:他動詞句のカテゴリー、Ⅳ/T

IAV:動詞修飾の副詞のカテゴリー、Ⅳ/Ⅳ

CN:普通名詞句のカテゴリー、t//e

t/t:文修飾の副詞のカテゴリー

IAT/T:IAVを形成する前置詞のカテゴリー

Ⅳ/t:文を対象にとる動詞のカテゴリー

Ⅳ//Ⅳ:Ⅳ-taking動詞のカテゴリー

副詞のカテゴリーIAV,t/t, 前置詞IAV/Tには、それぞれ次のような語が例となる。

IAV:rapidly,slowly,voluntarily,allegedly

t/t:necessarily

IAV/T:in,about

また、Ⅳ/tは、believe that,assert that のような命題的態度の動詞、

Ⅳ//Ⅳは、try (+to不定詞), want (+to不定詞)のような主語コントロール動詞である。

(※"/"と"//"は、ここでは、同じように機能するものとして、特に区別せずに扱っておく。)

 

3.

続いて、EFのsyntactic rules(S1-S17)が列挙される。その際、EFの要素に加えられる操作は、F₀からF₁₅と名づけられ、整理されている。

section 2.Intensional Logicを挟んだ次のsection3で、これらsyntactic rulesに凡そ対応する形で、EFからILへの翻訳ルールT1-T17が列挙される。

そこでは、上の大原則に沿って、関数適用の際に、項の側が内包化されることが明記される。

例えば、次のように対応する。

S4. (大意)αがt/Ⅳに属し、δがⅣに属すとき、F(α,δ)(=αδ)はtに属する。

T4. δがt/Ⅳに、βがⅣに属し、それぞれδ', β' に翻訳される場合、F(δ,β) はδ’(⌃β)に翻訳される。

S5. (大意)δがⅣ/Tに、βがTに属するとき、F(δ,β)(=δβ)はⅣに属する。

T5. δがⅣ/Tに、βがTに属し、それぞれがδ', β' に翻訳される場合、F(δ,β) はδ’(⌃β)に翻訳される。

いずれも項の側が内包化される。それは項が文の場合も同様である(cf. T7,T9)。

ただし、上で注意したように、論理的結合子(∧,∨等)によって結合された文を翻訳する場合は、結合された文は内包化されない(cf. T11)。

これに関して注意しなければならないのは、動詞や名辞がandやorで結合される場合である。これらの結合表現は、いずれも(元の動詞、名辞がそうであるように)関数の表現、すなわち変項を含んだものとみなされる。その際、それを翻訳した表現に含まれる変項は内包化されたものでなければならないが、結合された動詞、名辞自体は内包化されない。これは文と論理結合子の場合と同様である。(T12,13を参照。そこに現れる変項、x, Pは、2025-12-23で示したように、内包化されている。)

 

4.

しかし、以上が一般的な原則であるとすると、おかしなことにならないだろうか?

"Bill runs."をILに翻訳した文において、"runs"に対応する語句は、内包化される、すなわち<s,<<s,e>,t>>というカテゴリーに属する存在を表示する。ということは、それは現実のrunではなく、世界&時点からrunへの関数を表す。しかし、"Bill runs." が真である時、Bill の行うrunは現実的な存在であるはずだ。つまり、具体的な世界と時点を満たす存在のはずである(※ここで議論の簡明化のために、動詞現在形のテンス・アスペクト的意味の問題はあえて無視する)。

また、"run"は、外延的に見れば、runする個体の集合を表す。しかし対応するILの翻訳においては、個体eではなく個体概念<s,e>の集まりを表している。

ILにおいて、それぞれの語句の翻訳が関数適用によって文を生み出すとき、何が起きるかはまだ具体的に確認していない。しかし、以上のような懸念が起こるであろう。

これを解決するためにMontagueの採った方策が問題となるが、次回はまず翻訳の様子について見てゆく。

specificityに関するメモ(9) :Montague(3)

1.

前回の内容は、表現の意味自体と表現の意味を与える評価関数、それぞれに関する議論が十分に切り分けられてない憾みがあるが、とりあえず、ある表現の内包とは世界&時点からその表現の外延への関数である、と理解しておく。

前回の記述では勘違いしそうになるが、個別の世界&時点における評価、すなわち外延を決定する評価においても、関数としての内包は関数のままである。

言い換えれば、表現‘⌃α’は、〈世界&時点から表現‘α’の外延への関数(すなわち‘α’の内包)〉を、自らの外延として、表示する。

 

ここまで、具体的なILの式については示さなかった。実際にそれが問題となるのは、英語のフラグメント(FEと呼んでおく)からの翻訳が示される時である。その時に先立って、議論の単純化に関する断りと、ILによる概念およびその表記について述べておきたい。

 

ILは、"tensed intensional logic" として構想され、テンスに関するオペレーターW,Hを備える。そしてFEの規則S17に対応する翻訳規則T17によって、FEの未来形や完了形の文は、対応するILの文に翻訳される。しかし、今後の議論に関わらない範囲で、ILのこの側面については特に触れずに話しを進める。前回見たように、ILのモデルは、時点の集合とそれらの間の順序を含んでいたが、今後は必要な場面以外では、これらを無いかのように扱い、内包を世界のみから外延への関数として扱う。

 

2.

IL上の表現の特定のパターンは、特定の概念を意味している。あるいは、特定のパターンが意味する概念を、特定の名で呼ぶことができる。

それらを利用することは議論に役立つ。そのいくつかについて紹介する。

タイプaに属するILの式の集合を、ME(a)で表そう。

・γ∈ME(<a,t>), α∈ME(a)のとき、γは、タイプaの対象の或る集合(の特性関数)を表示する。すなわち、γ(α)は、αがγの要素である場合に真となる。

 

・uがタイプaの対象を表す変項であり、φが式である場合、λu.φは、タイプaの対象でφを満たすものすべての集合を表す。λu.φのタイプは<a,t>。

 

・γ∈ME(<a,<b,t>>), α∈ME(a), β∈ME(b)の時、γはaとbの関係(2-place-relation)を表す。対応する式はγ(β,α)またはγ(α)(β)。

 

・γ∈ME(<s,<a,t>), α∈ME(a)の時、γはタイプaの対象のpropertyを表す、という。これに対応する、真理値をとる式は、[ ⏑γ](α) である。(ただし、カッコを省略して ⏑γ(α) で表す場合もある。)この時、対象αは、γというpropertyを有する、という。これを γ{α} とも表現する。 γ{α} =[ ⏑γ](α) 

(※このように、PTQにおいて、propertyとは内包的な概念であることに注意。)

 

・uがタイプaの対象を表す変項であり、φが式である場合、⌃λu.φ は、タイプaの対象の、あるpropertyを表している。(すなわち、<s,<a,t>>)

 

・γ∈ME(<s,<a,<b,t>>>), α∈ME(a), β∈ME(b)の時、γは、内包性の関係relation-in-intension を表示する、という。対応する[⏑γ](β,α)をγ{β,α}とも表記する。

 

・α∈ME(e)であるとき、α* によって、[λP][⏑P(⌃α)](=[λP][P{⌃α}])を表す。これは、一般化量化子generalized quantifierの概念の元祖でもある、個体individualを、その個体のpropertyの集合によって表す仕方である。ただし、その際に、個体が内包化されて扱われる(⌃α)ことに注意。⌃αは、<s,e>タイプであり、個体概念individual conceptと呼ばれる。Pのタイプは、<s,<<,s,e>,t>> である。つまり、Pは、αの個体概念のpropertyであり、変項化されている。

そして、α*は、Pのpropertyであり、そのタイプは<s,<<s,<<s,e>,t>>,t>>となる。これは、下で示す変項℘ のタイプに等しい。したがって、α*を変項化する場合は℘ を用いる。これを、一般化量化子のタイプ<<e,t>,t>と比較すること。PTQの議論が煩瑣になる理由は明らかであろう。'*' を Montague liftingのオペレーターと呼ぶ。

γ(...)とγ{...}の違いは、議論上重要になるので注意しておきたい。

 

3.

FE→ILの翻訳の説明の際に様々な変項が使用されるが、その分類について見ておこう。

u,v : 個体の変項(タイプe)

x,y,xₙ : 個体概念の変項(タイプ<s,e>)

p : 命題の変項(タイプ<s,t>)

M : 個体のpropertyの変項(タイプ<s,<e,t>>)

P,Q : 個体概念のpropertyの変項(タイプ<s,<<s,e>,t>>)

℘:「<個体概念のproperty>のproperty」の変項(タイプ<s,<<s,<<s,e>,t>>,t>>)

S : 2個体間の内包性の関係を表示する変項(タイプ<s,<e,<e,t>>>)

u,vを除いて、すべて内包化されていることに注意したい。

 

 

 

specificityに関するメモ(8) : Montague(2)

前回に続いて、PTQ解読のためのメモを記してゆく。内包論理一般の解説ではなく、またPTQ本体を前提とし参照しなければ理解しにくい内容が続く。

1.

内包論理とは何か。答えるためには、まず、外延extensionと対比されるものとしての内包intensionという概念一般について語らねばならないだろうか?(もちろんその余裕はない。)

この場では、Montagueの "tensed intensional logic"(IL) が、どのようなモデルを与えられているかについて見ることで、IL、およびそれが捉える限りでの「内包」がどのようなものであるか、見てゆきたい。

まず、eと tを、ILにおける表現が表す内容の、基本的なカテゴリーとする。

すなわち、e : 個体entity(individual), t : 真理値truth value(1,0), である。

この基本的なカテゴリーは、PTQが扱う2つのシステム、fragments of English (FEと略記する)とILとに共通である。この2つから複合的なカテゴリーが形成される仕方は形式意味論で一般に知られるような再帰的な仕方による(それを規制する規則には、2つのシステムで違いがある。翻訳について見てゆく際に、それが明らかになる)。

複合的なカテゴリーは、FEでは"\"を使って、ILでは”<,>"を用いて表記される。例えばFEでは、自動詞が表すカテゴリーは t\e である(自動詞と普通名詞を区別するため、後者は t\\eのように記される)。ILでは、(ここで内包と翻訳の問題を無視するなら)<e,t>のように表記される。そのように生じる種々のカテゴリーをまとめて、タイプType と呼ぶ。

ただし、FEやILの式formula(meaningful expression,MEとも呼ばれる)自体は、t\eや<e,t>のような表現を含まない。これらはsemanticな観点から見た、FE,ILのタイプに関する表記である。

ILでは、加えて、s というカテゴリーを導入する。aがILにおけるタイプである場合には、<s,a>もまた、ILにおけるタイプとなる。

そして、αがaタイプである時、対応する<s,a>を ⌃αと表記し、⌃αを 表現αの内包を意味する表現とする。

またαが<s,a>のタイプである場合に、対応するaを ⏑α と表記し、⏑αを、内包の表現αに対応する外延 を意味する表現とする。

つまり、’⌃a','⏑b’ のような表記は、ILの式の中に登場できる。

"⌃,⏑"を内包化/外延化する演算子として捉え、(PTQ内の言葉ではないが) それぞれcap-operator, cup-operator と呼ぶ。 

特に、

⏑⌃α=α

である(down-up cancellation)。

 

2.

ILに対するモデルについて見る。

A, I,   ℱ
 を、それぞれ次のような集合とする。

A :個体entity(individual)の集合

I : 可能世界の集合

 ℱ : 時点の集合

aがタイプであるとき、aの領域をD(a)と表そう。一般にD(a)は、その際に与えられているA,I, ℱによって変わってくる。(ここでは、そのような寄与を示す表記(インデクス)は略している。)

aのタイプがeである場合、D(a)=A

aのタイプがtである場合、D(a)={0,1}

(※上の2つに関しては、I, ℱの影響を受けない。)

<a,b>のタイプでは、D(<a,b>)は、D(a)からD(b)への関数の集合である。

<s,a>のタイプでは、D(<s,a>)は、直積 I× ℱからD(a)への関数の集合である。

S(a)を、与えられたA,I, ℱにおけるD(<s,a>)の略記とし、タイプaのsenseの集合と呼ぶ。

(※つまり、カテゴリーsという呼び名は、situationの略と思われがちだが、Montagueにおいてはsenseを意味していた。)

 

ILの 解釈interpretationまたは内包的モデルintensional model は、〈A,I, ℱ,≤,F〉という組で表される。

(1)A,I, ℱはいずれも空でない集合である。

(2)≤は、ℱにおける順序を表す。

(3)Fは、すべての定項の集合を領域とする関数である。そして、タイプaに属する定項αに対する付値F(α)は、S(a)に属する要素となる。

(※定項に対する解釈が内包的に与えられることに注意。)

 

𝔄を、ある、上のような5種の組とする。gを、𝔄における一つの変項割り当て関数(𝔄-assignment)としよう。

𝔄とgによってILの表現の解釈が与えられる。ILの特徴は、解釈において、定項に内包的意味が与えられることであった。これを、内包への付値と呼んでおく。ILの解釈においては、解釈が行われる世界、時点が個別化されていない。

外延への付値は、内包への付値に対して、特定の世界i(∈I)、特定の時点j(∈ℱ)が決定された場合として捉えることができる。すなわち、<i,j>を特定の組み合わせ(∈ I× ℱ)としたとき、外延への付値関数を、[<i,j>に対して、内包を与える付値関数を関数適用function applicationしたもの]と捉えることができる。外延は、𝔄とgに加えて、<i,j >の決定によって与えられる。

あるいは、(ある表現の)内包とは、ある世界&時点から(その表現の)外延への関数である、とも表現できる。

便宜的に、時点を無視して可能世界の集合のみを考えよう。内包的な付値関数をV、特定の世界をi とおけば、外延を与える関数V'は上のように、V(i)で表され、逆にVはλw.V'(w)で表せる。つまりV'=(λw.V'(w))(i) である。これは、上のdown-up cancellationに対応する。

(α:V',  ⌃α:λw.V'(w)  , ⏑⌃α:(λw.V'(w))(i)=V' )

このように内包/外延の関係を、function abstractionとfunction applicationの操作の結果として捉えることができるわけである。

abstraction:外延を与える関数の<i,j>を、変項化する=内包を与える関数化

application:内包を与える関数に、項としての<i,j>を入力する=外延を与える関数化

(※内包/外延の関係については、PTQの註10(Montague本人ではなく、Richmond H. Thomasonによる)も参照のこと。)

cap,cup-operationをこのように、隠れた変項に関するabstraction/applicationと捉えるなら、変項の衝突を避けるための制約が問題になってこよう。ただし、この場ではそれを具体的に見ていく余裕はない。

 

ILにおいて、「解釈」の定義は、内包を与えるものとして規定された。それに対し、外延を与える評価は、さらに加えて特定の<i,j>を決定することで行われた。いわば、ILには2種類の〈解釈〉が存在するわけである。ただし、ILの式に真理値を与えるのは後者であることは、section[2. Intensional Logic]の、内包/外延に関する規則1-10から知れる。

 

ILの式φが、ある解釈と特定の<i,j >において真であるのは、その場合にどの(𝔄-assignmentである)gに関してもφが1(つまり真)となる場合である。

 

 3.

Montagueは、カテゴリーsをe,tとは区別して扱った。e,tはそれ自身タイプであるのに対し、s自身はタイプでなく、複合的タイプ<s,a>の形成に寄与するのみである。したがって、上のような、i,jを明示した操作は、ILの式としては登場できなかった。ただし、ILが含む様相演算子□やcap,cup-operator ‘⌃.⏑’はこれに関わっている。

対するに、彼よりのちの内包論理では、sをも基本的なタイプに含め、s(すなわち、可能な世界)に対する量化表現もその中で可能となるようなシステムが主流となっている(two-sorted type theory)。

 

specificityに関するメモ(7):Montague(1)

1.

前回の流れから、最後に紹介した2つの立場を見て行きたいのだが、いずれ内包論理というものの理解が必要となる。

最初に、第二の立場を代表するMontagueの論文を読みながら内包論理に触れておくのが良いかもしれない。今後、それを用いた自然言語に関する議論、例えばKaplanのindexical論等にも触れる必要が出てくる。いうまでもなく、Montagueの業績は、それらの源流として古典的なものである。

ただそれ以上に、今扱っている内包的な動詞の問題は、彼の論文"The Proper treatment of Quantification in Ordinary English"(通称PTQ)の中心的テーマに直接結びついているのである。

彼の論文は記号のシステムとしてやや煩瑣なこともあり、一、二読した程度では理解が難しい。また、システムに習熟し、全体の整合や細かい辻褄について論じることも、相応の余裕がなければ困難である。ここでは全体的な考え方の確認と、将来の再読に向けてメモを残す程度のことが精々である。

彼の論文には、一般的でなかったり紛らわしかったりする記号使用が存在するが、混乱を招かない範囲で、特に断らずに、一般的な記号やUnicodeに存在する記号に置き換えていく。

 

2.

ここまで見てきたように、文の部分をなす語句の意味が文全体の意味に寄与する仕方について、「外延的」と「内包的」とを区別する必要があった。フレーゲが問題にして以来、2つの意味的寄与の性質と関係とは、哲学的意味論の中心的問題の一つであった(内包的文脈における morning star/evening star の非互換性)。

PTQの中心的課題は、意味のcompositionalityを備えつつこの2つの仕方(外延的/内包的)を統一的に扱えるシステム(syntaxおよびsemantics)の提示であるように見える。

そのような特徴が明示化されたシステムが、彼の"intensional logic"(以下ILと略)である。

だが、PTQはその提示のみで終わっていない。

全体の論文の構造は、次のようになっている。

<1. The Syntax of a Fragment of English>

論理的タイプを用いた、英語語句のカテゴリー分類。

それらの語句カテゴリーから文を構成するためのsyntactic rules : S1-S17(syntactic operationF₁-F₁₅が登場する)

具体的文の構成例。

<2. Intensional Logic>

"tensed intensional logic" のsyntax(meaningful expression(ME)の構成規則1-8)、semantics(モデルの構造、解釈規則1-10)の提示

<3. Translating English into Intensional Logic>

・英語からILへの翻訳規則:T1-17(S1-17に対応)

・意味公準meaning postulate:1-9および外延的関数と内包的関数との対応原則

(※ただし、この論文ではmeaning postulateという呼び名は使用されていない。)

<4.Example>

英語の文と、それを翻訳したILの式の実例、解説 

つまり、全体としては、英語自身が2つの仕方を統合したシステムであることを示す流れになっている。(ただし、Montagueが扱うのは英語総体ではなくそのフラグメントであるが)

Montague(1970a)で行ったように、英語のフラグメントの意味論を、直接的に提示することも可能である。しかし、より明解に示すためには、次のように、非直接的な道を辿る方がよいだろう。すなわち、(1)ある単純な人工言語、tensed intensional logicを定義する(2)その意味論を与える(3)英語が人工言語に翻訳される厳密な仕方を提示することで、英語の解釈を非直接的な仕方で与える。これが、ここで採用した方途である。

(Montague, PTQ, 2)

以上から、英語文において、2種類の意味的寄与が共にcompositionalに行われるメカニズムを、ILとの対応(翻訳関係)によって示すことがPTQの中心的課題であった、と言い直すことができる。

PTQに出てくる規則群には、上でみたように、大まかに3つの系列がある(fragment of English, IL,translation)。読む者にとっては、これら系列の間で、混乱した扱いをしないことが重要となるだろう。

specificityに関するメモ(6)

1.

ここまでは、不定名詞句の特定性/不特定性という窓から、外を眺めていた。視野の中に、指示的な不透明文脈という、大きく目立つ建物があり、その基礎となっているのは命題的態度動詞と内包的他動詞であった。今回見ておきたいのは、その内包的他動詞のポジションからの光景、その内に特定性の問題がどうのように現れるか、である。

内包的他動詞について見ておくのは、前回挙げた問題に加えて、Quine, Montague という、言語哲学上のビッグ・ネームが関与した、いわば著名な戦場(おそらく、今も戦いが続いている)であるからでもある。ただし、目を凝らす余裕はなく、風景を見知っておく程度のことしか期待できない。

 

2.

"Intensional Transitive Verbs"(in Stanford Encyclopedia of Philosophy)によれば、ある動詞が内包的intensionalと呼ばれるのは、その形成する動詞句が、補部complementとの関係において、次の3つの内、少なくとも1つの性質を示す場合である。

(その動詞句が現れる文について、)

ⅰ)補部の内のある表現を、指示を等しくする別の表現に換えた場合に、真理値が保存されない(substitution failure)。

ⅱ)不定名詞句(あるいはある種の量化子)を動詞句に含む場合に不特定的な読みが可能となる。

ⅲ)補部に現れる名詞等の指示対象に関して、必ずしもその存在は論理的に帰結(existential entailment)しない。(その存在に対するcommitmentが保留される。)

具体例は省略するが、ⅱについて、どのような例が特定的/不特定的読みとして挙げられているかを見ておこう。そこではQuine"Quantifiers and Propositional Attitudes"から

I want a sloop.

が引用されている。

これは前回挙げたI look for a fox.と同様の、2種の読みを許す。Quineの論文においては、特定的解釈がrelational sense、不特定的解釈がnotinal sense と呼ばれている。

内包的な動詞の主なものとして、命題的態度の動詞および内包的他動詞がある。

内包的他動詞には、want,seek,imagine,need,draw,等がある。

 

ⅰ〜ⅲは、前々回、前回と見てきた、referential specificityとspecificity as identifiedに関連する現象とおおよそ一致している。あえて図式的に当てはめれば、ⅲのexistential entailmentntの問題はreferential specificityの呼び名に表現されており、ⅱは対象のidentificationの有無に対応する。ただし少なからぬ例で両者は関連しているだろう。ⅲはdiscourse referentの確立にも関連する。特定的解釈の場合に、ⅰの代入可能性は成り立つことが多い。ここでは細かい観察には立ち入らない。

しかし、全ての内包的な動詞が、この3条件を等しく備えているわけではない。とすれば、これら3条件の関係は何か、3条件の説明にいくつの原理が必要か、といった問いが生じてくる。

 

3.

この指示的不透明性の問題は、特定性の問題と共通して、量化子と動詞のスコープの関係に関わるとされることが多い。基本的には、量化子スコープが動詞のスコープの外にあると解釈するのがde re readingで、動詞スコープが量化子スコープの外にあるとするのがde dicto readingである、と。この関係は、特定性=量化子の大スコープ説と同じである。

ここまでは、内包的動詞一般の話しであるが、問題となるのは内包的他動詞の場合で、前回述べたように、量化子スコープが動詞スコープに含まれる(narrow scope)ポジションを取れないように見える。

 

まず命題的態度動詞の場合を見ておこう。例文は上のSEPの記事より。

Lex Luthor fears that Superman is nearby.

ここでSupermanは個体の名で、その個体はClark Kentでもあるが、他者はそのことを知らないとしよう。

不定名詞句ではないが、Supermanに関するde re/de dicto readingが成り立つ。この場合、

de dicto 解釈を

Lex Luthor fears-true that Superman is near by.

de re 解釈を

Superman is someone such that Lew Luthor fears(-true the proposition)that he is nearby.

と、それぞれ書き換えることができる。

ポイントは、態度動詞の対象が命題propositionであるところにある。ある命題に対するある態度の成立は、その命題が真であることを(一般的には)前提しない(例外については、2025-08-24で少しふれた。)また、その命題に登場する名詞句の指示対象の存在を導くことexistential entailmentは(必ずしも)妥当ではない。さらに、その命題と真理条件が一致する命題に同じ態度をとることを(必ずしも)意味しない(substitution failureとの関連)。

一方、identificationに関しては事態は複雑と言える。それは、態度動詞の主語によるidentificationと、話者によるidentificationの双方が関係するからである。(この問題は、ここでは立ち入らない。)

いずれにせよ、命題的態度動詞文の構造は、de re /de dicto解釈の違いを量化子スコープ解釈の違いと見るのには都合が良い。次のような2種の解釈の可能性がたやすく見て取れるからである。

∃x(He believes( Fx)).

He believes (∃xFx.)

これに対し、内包的他動詞の場合、動詞の補語が名詞句であるゆえに、名詞句に由来する量化子スコープが動詞スコープの内にとどまることができないように見える。

I want a sloop.⇒

〇:∃x(x is a sloop ∧I want x)

×:I want (∃x...) (ill-formed)

しかし、実際には上の文は、de dicto解釈や不特定的解釈が可能なのである。これはスコープ説にとって都合が悪く見える。

 

これに対する説明の方向には、大まかに2つある。

一つは、内包的他動詞文に隠れた構造を想定し、内包論理を使わずに古典的述語論理の範囲で説明を行う方向。Quineに代表され、decompositional analysisやpropositionalismの名で呼ばれることがある。

もう一つは、内包論理を用いて説明する方向で、Montagueに代表される。

(次回に続く)