文法

「説明」の周辺(32):いつ「合う」と言うのか?(後)

1. 「合うpassen」、「できる」、「理解する」の文法。問題:1)シリンダーZが中空の筒Hにぴったり合う、といつ言うのか?ZがHにはめ込まれている間だけか?(PI 182、鬼界彰夫訳) シリンダーに関するウィトゲンシュタインの問いかけが、さりげなくも興味深い…

the time of a killing

1. 前回、telicな動詞を(正しくは、accomplishment verbを)imperfect aspectで(正確に言えば、progressiveで)用いることに問題の根源があると思われるかもしれない、と書いた。 あるtelicな行為がその行為であるための規準=終点、目標endに到達していな…

imperfective paradox

1. 再度確認する。 ・ウィトゲンシュタインの「数学論」には、中期と後期で、数学と応用との関係について、際立った態度の違いが存在する(文法と応用 - ウィトゲンシュタイン交点) ・中期の数学に対する観方は、『論考』の論理・数学観を継承していた。そ…

実験と計算を往還する(2)

1. 正しい計算といえども、われわれがまず実行し、その結果を、われわれが正しい計算と認めたのであり、天から与えられてわれわれの許にあるわけではない。 一方では、いわば試行としての、規則に従いつつ記号操作した結果(式、図形、等)としての「計算」…

実験と計算を往還する(1)

1. 前にも触れたように、(直感的に)現実への応用が見当たらない数学は膨大に存在する。 そのような数学についても「二重性格」ということが言えるのだろうか? セマンティックな関係を抜きにして、この「二重性格」に相当することを言うためには、一度視点…

数学的命題の二重性格

1. 正しい計算の答えは一つである、とはどういうことか。 その「正しい計算式」が、将来にわたって妥当なものとなる、 つまり、現実の計算に対するただ一つの「範型」として、その計算式が繰り返し適用されうる、ということである。 (前回触れた、繰り返し…

像が規則の表現となるゲーム

1. 意図の表現の問題を離れて、より一般的なゲームにおける記述、命令、規則、の関係をウィトゲンシュタインがどう取り上げたかについて、ごく大まかに見ておく。 以前(規則の表現)触れたように、『文法』Ⅰ43で既に、規則の表現とゲームの記述(あるいはゲ…

意図と予言

1. これまでは経験命題的な使用と文法命題的な使用の違いを求めることを出発点にして進んできたが、今度は、二通りに使用されるのが「同じ命題」である、という側面に注目する。 「・・・を意図する」といった意図intentionの表現について。意図することと、…

数学から歩み出る、数学へ引き返す

1.ここまでの歩みを振り返る。 元々の課題は、経験的命題の使用と異なる、文法的命題使用の特徴について解明することであった。そこで、『数学の基礎』に繰り返し登場する、ある命題使用の形式に着目した。 使用される命題は、ある操作が特定の規則に従って…

計算自身に固有の応用

1. これまで、(単純化して)述べてきた、中期の見地、後期の見地、それぞれに対して、素朴な批判が思い浮かんでくる。 中期の見地に対して: 様々な数学のシステムについて、各々が応用から峻別されて、自立して存在するかのように捉えられているが、それは…

日常言語との距離

前回の補足。 (例えば)「分度器による角の三等分」と、「定規とコンパスによる角の三等分」を峻別しようとした中期の視点は捨て去られたわけではない。 両者を無自覚に同一視することは哲学的混乱を生むであろうからだ。 「角の三等分」という概念のもとに…

類比の復権

1. 前々回、前回、見たように、「規則の適用」という概念に、事実として「揺らぎ」が存在する限り、後期ウィトゲンシュタインの姿勢からして、中期の立場は受け入れることのできないものである。そのことを改めて確認しよう。 中期の立場では「95+167=?」…

計算することと計算しないこととの間

1.われわれは規則に従う実践―例えば計算―に携わる。―そして、われわれはときに「し損なう(誤る)」。 だが、「誤る」とき、われわれは、それでも計算しているのか?なぜ「計算間違い」であって「計算しないこと」ではないのか? 円環の閉じられた世界、すな…

計算の揺らぎ

1.実際のところ、われわれが使用する「規則の適用」という概念には、いくらかのあいまいさ(緩さ)がある。これは重要な一般的事実である。 では、私が、規則・・・に従い、・・・を加えた結果であることが、数・・・の性質である、というとしたら?―したが…

論理的に不可能なものの記述

1.ウィトゲンシュタインの数学論の立場は、しばしば「規約主義conventionalism」という術語で呼ばれる。ただし、この「規約主義」とは、「常々、規約が明示的に示され、その都度、人々がそれに合意する」ことを主張しているのではない。その内実は、先に「円…

規則遵守と関連する行為

1.「私は通常の’+’の規則に従って2+3を計算した。」のように、「規則に従う」行為は、命題で表現される。 「私は通常の’+’の規則に従って2+3を計算した。」は、「私は通常の’+’の意味に従って2+3を計算した。」と言いかえられる。また、 「68+57=5だって?君…

認知の時間

1. 簡単な計算を例にして、数学における「過程と結果の同等性」(RFMⅠ82)という観念、ウィトゲンシュタインが「円環をまわる」(RFM Ⅵ 8)と呼んだ行動様式についてみてきた。 『論考』においても、論理学の命題の証明が論題に上がることで、証明の「過程」とい…

『論考』の射程

1. 前回まで、特定の結果を操作(過程)に本質的なものと見なすことで、ウィトゲンシュタインが「円環」とよぶ構造が造られることを見てきた。 そもそも「操作」や「過程Vorgang」は、時間のなかで進行する事象である。 したがって、「発端」や「途中」、「…

円環と概念

1.ある命題が「規則として」扱われるかどうかが、アプリオリに決定されているわけではない。 ただし、実験について、正しい結果、間違った結果が語られる場合も存在する。例えば、実験室で生徒が、H₂SとSO₂をこれこれの比で混合したものの、爆発が起きなかっ…

実験と計算

1. 経験的命題:文法的命題 の関係にパラレルな関係が、実験と計算(あるいは証明)の間に成り立つ。 「私がこれを再度おこなったとせよ」-ここで「これ」は、この結果を含意しない。さもなければ、それは実験ではなく、計算である。-内的関係が存在するこ…

操作と結果

1. 先の問いかけを確認した上で、経験的命題と文法的命題の使用の違いという問題に戻る。例えば『数学の基礎講義』のある個所では次のように述べられている。 同じ外見をした経験的命題と数学的命題の差異について、私がもし誰かに大雑把なヒントを与えると…

規則の表現

1. 経験的命題と文法的命題を分けるものが「使用」(「扱い」)であるなら、「ある命題を文法として扱うとはいかなることか」、「何がそのような扱いの特徴か」が問題となる。 これまでの議論は、一つの要点を持っていた:すなわち、全く同様の外見を持つ数…

文法的命題、経験的命題

『探究Ⅱ』xiの冒頭(PFF111)で取り上げられる「2つの使用」について、 テクスト間を類比によって辿ることで、「アスペクト知覚論」と「数学の基礎」論に共通した根が存在することを確認しておいた。(「2つの使用」)すなわち、その「2つの使用」の区別の問題…

文法と応用

1. 一般的には、同じ字面の文が2つの異なった使用をされる場合には、2つの別の命題として、すなわち異なった意味を持つものとして扱い、それらが同じ字面を共有するという事実は重要視しないのが正しい哲学的姿勢とされるのだろうか。その立場に拠るなら、2…