心理学の哲学

意味盲と「時間化」、仮想された体験

1. 前回、次のように述べた。 表情、視覚的アスペクト、形象の類似、言葉の意味、等の「一瞥されるもの」は、しばしば「無時間的命題」によって表現される。 そして、「一瞥されるもの」を認知する体験は、その「無時間的命題」を「出来事化」し、「時間化」…

「説明」の周辺(41):「美学的説明」と「体験の表現」、再び「比較の体験」について

1. 「美学的説明」と「アスペクト体験の表現」との類比に向けて。 以前、ウィトゲンシュタインのアスペクト知覚論において、「・・・を○○○として見る」という形式の言表だけでなく、それとは異なった形の「アスペクトの閃きの体験を表現する、さまざまな形式…

「説明」の周辺(39):「無時間的」、「同時的」

1. 前回までの考察において、メタファー型の「美学的説明」で示される 類似性、同一性が、非因果的なつながりであることを主張した。 その後、シネクドキ型の示す内容も非因果的と言えること、メトニミー型の示す内容については、因果的、非因果的という2通…

「説明」の周辺(36):「因果的説明」批判の系譜

1. ウィトゲンシュタインの云う、「美学的説明」とは何か? すでにここまで折に触れて、その特質について語ってきた。 例えば、 ・比較すること、並べて示す(見せる)ことが「美学的説明」のポイントである。(“「説明」の周辺(7),(14)”) ・「美学的説明」…

「説明」の周辺(35):まとめに向けてのメモ

1. ウィトゲンシュタインの「数学の基礎」に関する考察を読解してゆく内に、 目的=終点endを持ち、遂行に時間を要する行為を表す動詞(Vendlerの分類でのaccomplishment verb)の、imperfectiveな使用の問題 に関心を見出して、ここまで来ている。 ただし、…

「説明」の周辺(33):意味、志向性、分岐する使用

1. 前々回、前回と、志向された事象の現前/非現前という観点から、「できる」や志向性の問題と 言葉の意味の問題との間につながりを見ようとした。むろん、それは両者の差異を無視することであってはならないし、類似は十分に明瞭にされたわけではない。しか…

「説明」の周辺(32):いつ「合う」と言うのか?(後)

1. 「合うpassen」、「できる」、「理解する」の文法。問題:1)シリンダーZが中空の筒Hにぴったり合う、といつ言うのか?ZがHにはめ込まれている間だけか?(PI 182、鬼界彰夫訳) シリンダーに関するウィトゲンシュタインの問いかけが、さりげなくも興味深い…

「説明」の周辺(31):いつ「合う」と言うのか?(前)

1. 「ぴったり合うpassen」については、もう一つ指摘しておきたいことがある。 ウィトゲンシュタインは、さりげない口調で、気になることを述べている。 「合うpassen」、「できる」、「理解する」の文法。問題:1)シリンダーZが中空の筒Hにぴったり合う、と…

「説明」の周辺(30):概念の瘤

1. 前回まで、問題にしてきた「表情」に関する言明― その中でも「意味の体験」に関する言明について、それに対するウィトゲンシュタインの姿勢を、簡単にメモしておきたい。 (ここでは、さまざまな事例を一まとめに扱ったため、大雑把な総括になっている。…

「説明」の周辺(29):「数列の表情」?

1. 前回、ある語の「感じ」「雰囲気」と、その語の使用とを分離できるか、という問題を見てきた。「感じ」が、その使用から分離できるか否か、という問いは、両者のつながりが経験的なものか、論理的なものか、という問いでもある。 だが、はたして「これら…

「説明」の周辺(28):表情を名指す

1. ここまで、ウィトゲンシュタインの『美学講義他』に倣うつもりで、顔、芸術作品、言葉等の対象がもたらす「印象」をそれぞれの「表情」として捉え、感覚を基盤として対象と主体との界面(インターフェイス)をなすものと見なした。 そして「表情」の様々…

「説明」の周辺(27):「意味の体験」と「熟知性」

1. 「私には、‘シューベルト’という名は、シューベルトの作品と彼の顔にぴったりしているかのように思われる」(PPF270)という現象 、あるいはそのような言表― それが、ウィトゲンシュタインにとって、なぜ、どのように、問題となるのか。 後期ウィトゲンシュ…

「説明」の周辺(26):「体験される、言葉の意味」の諸相

1. ウィトゲンシュタインの美学に関する考察を取り上げる中で、「表情 Ausdruck, expression 」が重要な概念として浮上してきた。 我々が美学的対象について話す場合(例えば)芸術作品そのものについて語る場合もあれば、作品の「表情」、与える「感じ」「…

「説明」の周辺(25):一瞬の理解

1. 表情の想起や理解が一瞬で行われることについて、ウィトゲンシュタインは、「すべての哲学にとって法外に重要」と評していた(LCA, p31)。そのことをきっかけに、「一瞥性」の問題への手掛かりを、ここまで様々な所に探ってきた。 振り返ると、『探究Ⅰ』の…

「説明」の周辺(24):過程に自ずから現れるもの

1. 前回、言葉の意味の瞬時的把握 と 表情の一瞥的認知 を類比した。 その類比の周辺にある、平凡な事実の数々を確認しておく必要がある。 前者では、極めて短時間の「理解する体験」によって、その言葉がどう使われるか、どう使うべきか、が知られる。知ら…

「説明」の周辺(23):“It clicks, it fits.”

1. 前回からの流れで、「閃き」に類比される美学的体験(反応)について。 一つの作品の持つ、新たな次元に目を開かれるような体験。それが一瞬の内に起こった時、それはアスペクトの閃きに類比できるであろう。 あるいは、作品の新たな解釈を見出して、それ…

「説明」の周辺(22):「一瞥」と「熟知」

1. 前回の、関数の比喩を用いた考察で、表情を認知することを、ある表情をある関数の値として見ること、に喩えた。そこでは、表情からある関数が推測される、という風には描出しなかった。それはもちろん、表情が一瞥で見て取られることを表現するためである…

「説明」の周辺(21):情動、表出、経過

1. 同じく容貌を根拠にしながら、性格や運勢を判断するよりも確かな種類の判断がある。 ある人の表情から、その後の態度や言動を予想すること、 または、以前の状態や出来事について推察すること、である。 例えば、入学試験の合格発表日に、道で出会った受…

「説明」の周辺(20):過程と一瞥

1. 「一瞥性」の観点から、表情認知について振り返る。 Physiognomieという言葉に、 ウィトゲンシュタインのテクストの中でしばしば出会う。(例:PI235, 568, PPF238,RPPⅠ654,RPPⅡ68,615) Physiognomieは、主に 容貌、表情という意味で使われるが、同時に…

「説明」の周辺(10):後期ウィトゲンシュタインとカント

1. ウィトゲンシュタインの「美学に関する講義」の内容について、いくつか確認する。 彼が講義で述べた内容は、大学の人文系学部で研究されているような「美学」に類似したものではなかった。 むしろ、それは、「美」に関連して行われる日常的な言語ゲーム(…

「説明」の周辺(9)

1. ウィトゲンシュタインの「美学」に関する発言は、彼の講義をG. E. Moore や学生たちが筆記したノート、およびそれらを編集した出版物を通じて知られている。 それら「美学」に関する発言が記録され残された講義の時期は、1932-33年、1938年夏である。(G.…

表出される傾性

(前回より続く) 1. ④「理解」「信念」「できること」「意味している」等が、「状態」ではあっても、感覚、感じ、等の「状態」とはカテゴリーを異にする、と主張される時、 「理解」「信念」「できること」等は傾性であり、感覚、感じはそうではない、と単…

閃きと停留

1. (前回から続く) ②結局のところ、ウィトゲンシュタインの議論が前提とし根拠としているもの、 それは 「理解や能力の保持を表明し、他者がそれにやりとりする言語ゲーム」と 「内的状態、感じ、あるいは感覚を表明し、他者がそれにやりとりする言語ゲー…

理解と感じ

1. 再び、前回の補足から。 ウィトゲンシュタインの中期の思想における、直接的経験を描出する言明Aussageと仮説Hypotheseの対立について。 「言明」と「仮説」の区別。仮説は言明ではなく、言明を構成する法則Gesetzである。 我々が観察するものは、常に、…

「状態」というモデル

1. 前回の補足から。 『茶色本』で、「できる」が用いられる様々な言語ゲームを記述・考察した後、ウィトゲンシュタインは 次のようにまとめている。 「できるcan」「する能力があるto be able to」といった可能性の表現が用いられている個々のケースが、家…

意図と予言

1. これまでは経験命題的な使用と文法命題的な使用の違いを求めることを出発点にして進んできたが、今度は、二通りに使用されるのが「同じ命題」である、という側面に注目する。 「・・・を意図する」といった意図intentionの表現について。意図することと、…

規則遵守と関連する行為

1.「私は通常の’+’の規則に従って2+3を計算した。」のように、「規則に従う」行為は、命題で表現される。 「私は通常の’+’の規則に従って2+3を計算した。」は、「私は通常の’+’の意味に従って2+3を計算した。」と言いかえられる。また、 「68+57=5だって?君…

表出のディレンマ おまけ

「信ずる」「願う」「欲する」といった動詞が、「切る」「噛む」「走る」といった動詞もまたとるような文法的形態をすべて示すことを、自明のこととは見なさず、何かきわめて奇妙なことと見なせ。(PPF93 藤本隆志訳) もちろん、ウィトゲンシュタインは、「…

表出のディレンマ(2)

1. 前回、「信じる」「痛みを感じる」の全体的意味をどのようにとらえるのか、と言う問題が残された。 ウィトゲンシュタインは、前回引用したRPPⅠ479やLWⅠ899において、「痛みを感じる」の使用の変化について語っている。注意すべきことに、それは「痛み」と…

表出のディレンマ(1)

1. 「現象」と「指し手」 - 迷光録 の続き。「表出」という概念を持ち出すことに対する、別の有名な異議について。 「かりに私が痛みを感じるとしたら・・・」-これは痛みの表現Schmerzäußerungではなく、したがって痛みを表す振舞いでもない。「痛み」とい…