イントロダクション

表出のディレンマ(2)

1. 前回、「信じる」「痛みを感じる」の全体的意味をどのようにとらえるのか、と言う問題が残された。 ウィトゲンシュタインは、前回引用したRPPⅠ479やLWⅠ899において、「痛みを感じる」の使用の変化について語っている。注意すべきことに、それは「痛み」と…

表出のディレンマ(1)

1. 「現象」と「指し手」 - 迷光録 の続き。「表出」という概念を持ち出すことに対する、別の有名な異議について。 「かりに私が痛みを感じるとしたら・・・」-これは痛みの表現Schmerzäußerungではなく、したがって痛みを表す振舞いでもない。「痛み」とい…

「知る」ことと「感覚する」こと

1.先に引用した「直接的洞察」の例、数列の継続、自身の意図についての知、思い違い等。これらについて、「何によってそのことを知るのか?」と問われた場合、人を納得させる答えはすぐには出てこない。だが、次のように考えようとする強い誘惑がないだろう…

感覚によって知る

1.前回、「直接的洞察」というテクストの言葉から連想し、類比によって集めてきた例を、アンスコムの言う「観察に拠らない知識」と比較してみた。 気になるのは「観察」という言葉である。前回挙げた、「直接的洞察」のリストの内には、感覚が関係するもの…

直接的洞察

1.『数学の基礎』に、次のような文章がある。これは、仮に自らの後期哲学全般に関する告白として読むなら、非常に示唆的な文章のように思われる。 「われわれのごとく、ある真理について直接的に洞察するunmittelbar einsehenことなく、おそらくは帰納とい…

意図的行為の言語表現

1. ウィトゲンシュタインは、意図の表現を意味的関係の表現と比較する中で、見過ごし得ない重要な差異について指摘している。 私はある人に眼で合図を送る。わたしはそれが何を意味するのかを後になってから説明することができる。「私はそのときこのような…

「・・・として見る」と意志

1.「・・・として見る」と意志との連関を考察することが、次の課題である。 アスペクトを視ることと表象することは意志に従属している。(PPF256 cf.LPPⅠ452) ウィトゲンシュタインは、草稿、タイプ稿において、この主題、すなわちアスペクト視覚、Vorstel…

状態としての「・・・として見る」

1. これまで「・・・を・・・として見る」と「・・・で・・・を意味する」の類比を軸にして、「として見る」のさまざまな時間様態を区分してきた。「・・・を・・・として見る」の特徴として、ある時間間隔における状態の持続を表現できることが指摘された。…

「気づく」と「見る」

1.前々回、「として見る」と「気づく」に類比されるべき使用が存在することを見た。その一方で、「として見る」は、ある時点から別の時点までの「持続」を表現できることによって、「気づく」のような概念から異なっている。「気づく」は、(気づいた内容を…

適用が正当化する

1. 前回、「・・・として見る」という表現の使用に関する考察を、まず、「意味する」という表現との類比によって進めていった。「意味する」については、過去形での使用という、注目すべき用法があった。その使用の条件でにとって重要なことは、ある時点から…

アスペクト知覚と能力

1.「・・・として見る」と、「・・・を意味するbedeuten, meinen」との類比を導入する。 以前にも取り上げたが、「・・・を・・・として見る」は「その表現が一つの比較Vergleich(直喩)であるような体験」と呼ばれていた。 ある顔と別の顔との類似を見て…

Wittgenstein intersection

1. ところでウィトゲンシュタインは、アスペクト視覚を表現する狭義の形式の命題「私は・・・を。。。として見る」「わたしは。。。と・・・に類似を見る」だけでなく、アスペクトの閃き(あるいはその体験)を表現するさまざまな形式の発言をも考察の対象と…

2つの使用

1.まず、『探究 Ⅱ』xi節の有名な冒頭で既に文法的使用の問題との連関が示唆されていることを手短に示したい。 最初に、以前引用した、次の講義の一節を見てみよう。 良い表現の仕方ではないが、次のように言うことができよう。「同じ」、「似ている」、「類…

『哲学探究』第Ⅱ部xi

1.従来、アスペクト視の議論を含む『探究Ⅱ』第xi章は知覚論として捉えられることが多く、例えば「知覚の理論負荷性」というテーマの下に論じられたりしてきた。確かに、第xi章及び関連する遺稿では、見ること、解釈すること、考えることの関係が主題の一つに…

「現象」と「指し手」

1.「表出」「叫び」、「記述」「報告」。ウィトゲンシュタインによるこれらの概念の使用が 曖昧で明確さに欠ける、という批判には 「確かに」と言わざるを得ない。だが、それ以前に、根本的な異議が唱えられるかもしれない。 「かりに私が痛みを感じるとし…

表出と記述

1.ここまで見てきた「表出」や「叫び」という概念には、さまざまな曖昧さが付きまとっている。 たとえば、自らの心理に関する一人称現在時制の文の中には、自らの心的状態の「記述」と呼ぶべき文もあることを、ウィトゲンシュタインは認めていた。 あるひと…

「叫び」という概念

1. 「心理学の哲学」関連のテクストには、「表出」に類似した、共に「叫び」と訳される2つの言葉、AusrufとSchreiがしばしば登場する。(この2つの意味の違い、使い分けの有無が問題となるが、とりあえず、ここではまとめて扱うことにする。下に引用したLPPⅠ…

意図の表明

1.ウィトゲンシュタインにおいて、「表出Äußerung」と「記述」の対立が問題となるケースの一つを、次の例に見ることができる。 「私はそこへ行くことを意図している」これは心の状態の記述なのか、それとも表出Äußerungなのか。(RPPⅠ593) 「意図の表明」…

「表出」の概念

1.心理的概念を用いた通常の文章(例:「私は悲しみを感じている」)は、感覚に類する内的体験を、外的な事象を記述するのと同じ仕方で、記述する、という通念。この通念は2つの類比によって支えられている。一つは、先に取り上げた、「感覚」への類比、もう…

私的言語論を平明に読むために5

1.前回、「環境Umgebung」「状況Umstand」という語に着目した。言語ゲームを呈示することは、その「環境」をも呈示することである、と言ってよい。 一つの言語ゲームを想像することは、一つの生活様式を想像すること(PI19) いままで、「感覚日記」の妥当な…

私的言語論を平明に読むために4

1.「感覚日記」と、その拡張の問題に戻る。 「E」は、より広いコンテクストにおかれて初めて、「名」であり、「感覚」を意味していると、十分に主張し得る。コンテクスト、それをウィトゲンシュタインがしばしば使用する言葉を用いて、環境Umgebung(PI250他…

私的言語論を平明に読むために3

1.258節においてすでに、「E」がある感覚の記号であることの正当化らしきものが登場していた。それが「自分自身に対するある種の直示的定義」と呼ばれていたものである。 この行為によって、「E」が「これ」(その感覚)の記号であることが、「主体自身」に…

私的言語論を平明に読むために2

1.前回触れたように、これまで「私的言語論」に関する議論の中心となってきたのは『探究Ⅰ』258節の「感覚日記」であった。 次のような場合を想像してみよう。私は、ある一定の感覚が繰り返し起こることについて日記をつけたいと思う。この目的のために、私は…

私的言語論を平明に読むために 1

1. 『探究Ⅰ』の「私的言語論」は、長い間、後期ウィトゲンシュタインに関する議論の焦点であるかのように扱われてきた。しかし現在、『探究Ⅰ』の中におけるその位置づけ、重要性については、人に拠って見解が分かれ、意見の一致を得ることは難しいかもしれな…

治療の手法

1.たとえば、「理解」が、自分にとっては「内的体験」であり、「感覚」「感じ」のようなものだと主張する人に対して、「理解」と「感覚」「感じ」との違いを示すことは、ウィトゲンシュタインの言う「哲学的治療」に役立つ。 cf.RPPⅠ302,PPF36 だが、前回見…

感覚概念の拡張

1.われわれは「感覚」という概念を、類比によってさまざまに拡張して使っている。「感覚への類比」に対する批判にもかかわらず、ウィトゲンシュタインは、単純にそれを禁じようとしているわけではない。 表情の「臆病さ」を「感じる」ことについての例。ウィ…

感覚と内省

1.「感覚」「感じ」と「内省Introspektion」という概念の結びつきについて。「人が何らかの心理的経験をする際には、その人の心の内に、ある感覚ないし感じが、ある期間、現前・持続する。人は内省によって、その内容を知る。」という像が我々を縛っている…

感覚と状態

1.「感覚」Empfindung,Gefühlが関連づけられ、類比される、さまざまな概念について、簡単に見ておきたい。 「内的体験innerer Erlebnis」「内的出来事innerer Vorgang」「心的出来事seelischer Vorgang 」について。 まず、「(内的)体験」という概念への類…

奇妙な問い

1.類比によって、異なった使用をもつ言語ゲーム同士が混同されるとき、たとえば、不適切(的外れ、irrelevant)な問いが生じる。 次の例を見よう。 「私はビショップを動かす。」―「どれだけの間、君はうごかすのか?」(LPPⅠ3) ここにあるのは(象徴的行為…

感覚への類比

1.「我々を引きずってゆく抵抗しがたい類比によって、我々は困惑のなかに引き込まれるのだと言えよう。(BBB p108)」ウィトゲンシュタインは哲学的困難の源泉について、そう語っていた。これまで見てきた、心理概念の中の差異の指摘も、「抵抗しがたい類比」…