2020-01-01から1年間の記事一覧
1. ここまで、「表情」に関連する問題を、ウィトゲンシュタインのテクストからいくつか取り上げてみた。 以前見たように、「表情」と(知覚的)「アスペクト」とは類縁性のある概念だと言える。現にウィトゲンシュタインも、この2つを結びつけている(cf. P…
1. <驚き><注意を引かれる>は、前回の例とは異なった方向に向かうことがある。 『茶色本』から。 ウィトゲンシュタインは、手描きの顔の絵を示して言う。 この顔が君にある印象を与える。そこで君は、「確かに、私が見ているのは単なる線ではない。私は…
1. 前々回、ウィトゲンシュタインが、「意味」「感じ」「考える、期待する、願う等の行為」といった捉えがたい、「心的な」事象 を考察する際に、それらに関する「表現」をそれらの事象と同列に置いて考察するよう勧めているのを見た。 彼は、知覚的アスペク…
1. ウィトゲンシュタインは、なぜ、美学的対象の「表情」と、それに対する主体の反応としての「表現」とを「同列に置いて」考察しようとするのか、というのがわれわれの問いだった。 その意図を推測してこの場で十分に描き出すのは困難である。が、まずは、…
1. ここまで、ウィトゲンシュタインが美学的対象の「表情」「身振り」といわれるものについて語っていること、それらを「表情”expression, Ausdruck”」という語で指示していること、を見てきた。 彼ににおいて顕著なのは、このような「表情expression」を美…
1. 鑑賞者によって同じ作品に対する評価が異なることは、芸術にはつきものである。 例えば、ピカソのキュビスム時代のある油彩画をみて、A氏は「美しい」と言い、B氏は、「どこが美しいのか、さっぱりわからない」と言う。 また、ある演奏家の弾くヴァイオリ…
1. ウィトゲンシュタインの「美学に関する講義」の内容を、 ①美学的対象 ②美学的反応 ③美学的説明 の3つの側面からみてゆく。 ※よく知られるように、「美学」と訳される"aesthetics",”Ästhetik"は、語源的には古典ギリシャ語の「感覚」を意味する語「アイス…
1. ウィトゲンシュタインの「美学に関する講義」の内容について、いくつか確認する。 彼が講義で述べた内容は、大学の人文系学部で研究されているような「美学」に類似したものではなかった。 むしろ、それは、「美」に関連して行われる日常的な言語ゲーム(…
1. ウィトゲンシュタインの「美学」に関する発言は、彼の講義をG. E. Moore や学生たちが筆記したノート、およびそれらを編集した出版物を通じて知られている。 それら「美学」に関する発言が記録され残された講義の時期は、1932-33年、1938年夏である。(G.…
1. 前回まで、ウィトゲンシュタインが、「理由を述べる」行為を「計算の道筋を示す」行為に類比して把握しようとしていることを見てきた。 「計算の道筋を示す」行為は、実際には(ウィトゲンシュタインの言う)「像」Bild を用いて行われることに注意しよう…
1. 前回引用した文から、次のようなことが示唆されている。すなわち、「説明」が正当化のためになされる場合、そこで描出される「道筋」は、「ある受け入れられた規則に合致する」という性格を持つべきである、こと。 人が為したこと、言ったことの理由を述…
1. 前回予告したように、説明における、事実と「理念型」(範例) の関係がもたらす問題について、主にウィトゲンシュタインが触れている範囲で取り上げてみる。 理由を挙げることは、時には「私は実際にこの道を歩んだ」ことを意味するが、時には「私はこの…
1. 前々回、ウィトゲンシュタインの「理由」理解に対する疑問の一つとして、 ①全体の「道筋」を示すのでなく、一つの行為のみを述べることで理由が示されることもある。 という事実を挙げておいた。 彼の説明によれば、あたかも、理由を与えることは「計算過…
1. ここまで見たように、ウィトゲンシュタインの「理由と原因」の差異に関する議論は、彼の「数学の基礎」に関する論議と 全く同じ骨格を持っている。つまり、彼の議論において、理由と原因の区別は、論理的なつながりと経験的なつながりとの区別に対応する…
1. 前回、ウィトゲンシュタインの「原因と理由の差異」を問う議論において、 「理由」が「計算」というメタファーによって把握されていることを見た。 一方。「原因」はどう捉えられているだろうか。 君の行為の原因はこれこれである、という命題は一つの仮…
1. 前回述べたように、「説明」の周辺を掘り下げると、まず「理由と原因」の問題に突き当たる。そこで、ウィトゲンシュタインによる「理由と原因の差異」の議論を見てゆきたいのだが、前もって考えておかなければならないことがある。 前回見た「A氏の遅刻の…
1. 後期ウィトゲンシュタインと「説明」 に関するメモ。 『探究Ⅰ』の最初の節に、「説明 Erklärung」に関する重要な主張が早くも登場する。 説明は、どこかで終わるものだ。(PI 1) この主張は、類似した「理由の連鎖には終わりがある」(BBB p143, RPPⅡ404, …
1. 行為と状態(2)以降、 進行相での行為描出 と 状態記述 との類似/差異 を問うことから始めて、ここに至っている。 ※上にも記しておいたが、 ここで言う「進行相」の内容は、英語の進行形、フランス語の半過去、日本語のテイル/テイタ形、各々における進…
1. 前回見た、「半過去の機能=属性付与」説、その論述には説得力がある。 しかし、それをこちらが「半過去の機能は、動詞の状態化である」と要約してしまえば、議論の常識的な出発点に戻っただけ、と言われるかもしれない。 というのも、imperfective aspec…
1. ヴァインリヒの「半過去=背景描出」説について見てきたが、次に、同様に包括的な、半過去の機能に関する別の説についてみてみよう。 春木仁孝は、半過去の意味効果は、 「恐らく総ての用法において共通して半過去が持つと考えられる属性付与という機能か…
1. ヴァインリヒの「前景Vordergrund/背景Hintergrund」という対立概念について簡単に見たので、「説明の半過去」のテーマに戻ろう。 「説明の半過去」とは、Le Bidois et Le Bidois (1935, t.1, p.434,§.730) の用語であり、つぎの例のように、半過去で示さ…
1. ヴァインリヒは『時制論』で、テクスト言語学の立場から、時制形式の機能を解明しようとした。 すなわち、言語的コミュニケーションの現場で、時制形式が与える情報(彼の言う「信号価 Signalwert」)を、3つの側面に区別して分析しようとする。それが「…
1. 前々回、「説明の半過去 imparfait d'explication」という概念を紹介した。 その「説明」とはそもそも何か?という問いを通して、「関連づけ」という概念に注目した。 さらに、前回、「関連づけ」と半過去の使用とに本質的つながりを認めようとする説を紹…
1. 前回、叙想的アスペクトの一例として、フランス語における「説明の半過去」を取り上げた。 さらに、日本語「のだ」の用法の定義を参照して、「説明する」と「関連づける」の意味上の類似に注意した。 通常、半過去の本質は、その「imperfectiveというアス…
1. 前々回、「叙想的テンス」(寺村秀夫)に加えて、「叙想的アスペクト」の概念を導入した。 フランス語学の渡邊淳也は、「事態そのもののアスペクトは完了相であるにもかかわらず、未完了アスペクトをあらわすはずの半過去が使われるいくつかの場合」を例…
1. ここまで、元々は行為動詞のimperfective aspectでの使用を解明することがテーマであり、そのために進行相の使用される有様を観察してきた。あれこれとトピックをたどってゆくうちに、一方で「叙想的テンス」(「ムードのタ」)、他方で「叙想的アスペク…
1. 前回触れた日本語の「た」の用法に関連して、「ムードの‘タ’」「叙想的テンス」という概念を提示したのは、寺村秀夫である。 日本語を勉強している外国人の学生の多くがふしぎに思う過去形の使いかたに、次のようなものがある。 たとえばある学生が奨学金…
1. 必要あって、進行相の特徴づけという問題に足を突っ込んでいる。(英語、フランス語、日本語の進行相を、学問的手続き抜きに(あるいは不用意に)比較しているが、筆者個人の内での思考(=試行)に向けたメモなので、当面それでかまわない。) ここまで…
1. 進行相 progressive aspect による表現と「事象を観察しているかのように表現する」という特徴との関係 が現在のテーマである。 前回、フランス語学では、半過去の本質を考察するに当たって、「観察しているかのように表現する」という特徴(あるいはそれ…