「説明」の周辺(20):過程と一瞥

1.

 「一瞥性」の観点から、表情認知について振り返る。
Physiognomieという言葉に、 ウィトゲンシュタインのテクストの中でしばしば出会う。(例:PI235, 568, PPF238,RPPⅠ654,RPPⅡ68,615)
Physiognomieは、主に 容貌、表情という意味で使われるが、同時に人相学(観相学、人相占い)Physiognomik の元の言葉でもある。
人相学とは、人間の外観、主として容貌から、その人の性格、人となり、あるいは、将来の運勢を見て取ろうとするものだ。
 
では、性格、人となり とは、どこに現れるものだろうか?
 その人の行動、振る舞いや言葉に、である。
一般には、サンプルとなる行動、言動の数が多い程、その人の性格、人となりがどうであるかは正確に知られることが期待されよう。
これは、性格(人となり)の、出来事(過程)を通じた知り方である。
これに対し、 人相学は、短時間に見て取られた外見的容貌から、その人の性格(人となり)を判断しようとする。
見て取ることが可能なら、要する時間は、いくらでも短くてよい。
すなわち、原理的には、一瞥で用が済むことも可能である。
 
人相学というアイデア、そういった方法に対する欲求は根強いものであるが、現在一般には、人相学は確かな知識を与えてくれるものとは看做されていない。
しかし、仮にそれが与えてくれる判断を知識として扱うなら、われわれには、性格に関する知識を得る2つの方法があることになる。
一つは、諸々の出来事(過程)から知る仕方、
もう一つは、感覚的な「一瞥」から、判断する仕方。
 出来事、過程process, Vorgang は、幅のある時間の中で繰り広げられる。
ここに、「過程」と「一瞥」という時間的様態の対立があることに注意しよう。
 それが因果的過程と表情の対比に表れている、と見ることもできる。
 
2.
先に、性格(人となり)は、行為、振舞い、言動に表れる、と述べた。
両者、すなわち性格(人となり)と、行為、振舞い等との関係はどのようなものであるか?
 
勇敢な性格には、それにふさわしい振舞いが存在し、臆病な性格には、勇敢な振舞いとは異なった、それにふさわしい振舞い方が存在する。
しかし、
「あの人は、臆病な性格だけど、火事の際には勇敢に行動した。」
こう言われるような場合が、確かに存在する 。
つまり、ある性格と それに似つかわしい振舞いの間には、前者が必然的に後者を引き起こすといった結びつきはない。
 
しかし、それでもなお、両者の結びつきは、度々継起することが観察されるだけの経験的(偶然的)な結びつきではない。
勇敢な性格の持ち主は、多くの場合勇敢な行動をとるものであって、臆病な行動はあくまで少数の例外的な場合に観察されるのでなければならない。人々の行動に そのような状況が成り立っていない環境では、われわれの「勇敢」「臆病」という概念は使用できない、と言わざるを得ないだろう。
そしてものごとが現実の在り方とまったく変わってしまったらなら、―例えば、痛みや恐れや喜びに特徴的な表現がなくなってしまえば、あるいは、規則であることが例外となり、例外が規則となったなら、あるいは双方が大体同じ頻度で起こったなら、―我々の通常の様々な言語ゲームはそれにより意味を失うだろう。(・・・)この考察の意味は、感覚とその表現の関係やそれに類する事柄について語るとき、もっとはっきりするだろう。(PI 142、鬼界彰夫訳) cf. PI 345
例えば、「その人は、粗暴で激しい気性だったが、生まれてから一度も乱暴な振舞いや態度をとることはなかった。それどころか、攻撃的な考えを起こすことさえ一度もないまま亡くなった。」というのは非常に奇妙であろう。
性格(人となり)と行動の間には、痛みとその表出の間にも似た、「意味的な」つながりがある、と言っておきたい。
(そのようなつながりの様態をここで詳細に述べることはしない。ウィトゲンシュタインにおいても、晩年に至るまで、それらの問題は絶えず掘り返され続けたことを想起したい。『心理学の哲学Ⅰ』、『心理学の哲学Ⅱ』、『ラスト・ライティングスⅠ』を参照。)
 
そのような意味で、あえて、「人の行動、振る舞いや言葉が、そのまま、その人の性格(人となり)である」と言うこともできる。
 
3.
とすれば、性格、人となりを知ることにどのような効用があるのか、は明らかだろう。
それは、そのまま、その人の行為、振舞い、言動を知ることにつながる。
もっと具体的に言えば、その人の行動、振舞い、言動、それらの傾向について予想できること、が大きな効用の一つだろう。
例えば、小学校に転校生が入ってきたとき、最初はその子がどんな子であるか、誰も知らない。
何か月か、一緒に過ごしてみれば、例えば遠足や運動会でどう振舞うか、漠然とであれ、見当がつくようになるかもしれない。
それは主に、その間のその子の言動、振舞いから、人となりが判断できるようになったためである。
人相学は、それを、「 いくつもの具体的出来事から時間をかけて知るプロセス」を抜きにして、達成しようとする。
 

 4.

2つの「知る」プロセスの対比は、より短い時間のレンジに起こる現象を対象とする場合にも現れる。そこで、問題点をより明確にすることができるだろう。

(続く)