アスペクト知覚

アスペクト知覚は、なぜウィトゲンシュタインにとって問題となるのか(続き)

1. 2021-10-25の補足として、アスペクト知覚の問題を再び取り上げる。先の記事は、見られる事象の「無時間性」という問題について、未だ掘り下げが不足している。特に、「閃き」と「恒常性」という視覚的アスペクトの様態(PPF118)との関連において。 「見る…

アスペクト知覚は、なぜウィトゲンシュタインにとって問題となるのか(暫定的覚書き)

(前回に続き、暫定的なまとめとして) 1. 「ウィトゲンシュタイン『哲学探究』第Ⅱ部xi節は、冒頭近くに出てくるウサギ-アヒルの画像とともに、アスペクト知覚を論じていることで名高い。」 ― それは、確かにその通りだ。第Ⅱ部において長大なxi節は、はっき…

意味盲と「時間化」、仮想された体験

1. 前回、次のように述べた。 表情、視覚的アスペクト、形象の類似、言葉の意味、等の「一瞥されるもの」は、しばしば「無時間的命題」によって表現される。 そして、「一瞥されるもの」を認知する体験は、その「無時間的命題」を「出来事化」し、「時間化」…

体験による出来事化

1. 定延利之『煩悩の文法』は、「知識の表現と体験の表現との差異」という、ウィトゲンシュタイン『探究Ⅱ』xi節に通じるテーマを中心に、さまざまな興味深い言語現象を論じている。 (ウィトゲンシュタインの場合は「知っていることと 感覚していること との…

「説明」の周辺(43):テンス、アスペクトと話者の体験

1. 前々回、アスペクト知覚体験の表現との類比を通して、(一部の)「美学的説明」の中に、「体験の表現」の相を見ようとした。 (「体験の表現」の相を見る、とは正確にはいかなることか? という問いについては保留した。) その際「美学」が(語源的にも…

「説明」の周辺(42):「非因果的説明」のアスペクト、テンス

1. 不適切な場面に<原因ー結果(効果)>の観念を持ち込むこと、さらに因果的説明を与えることを、ウィトゲンシュタインは哲学的混乱の原因の一つとして批判した。それについては、当ブログで様々な例により確認した。 “「説明」の周辺(9)”、“「説明」の周…

「説明」の周辺(41):「美学的説明」と「体験の表現」、再び「比較の体験」について

1. 「美学的説明」と「アスペクト体験の表現」との類比に向けて。 以前、ウィトゲンシュタインのアスペクト知覚論において、「・・・を○○○として見る」という形式の言表だけでなく、それとは異なった形の「アスペクトの閃きの体験を表現する、さまざまな形式…

「説明」の周辺(40):「無時間的使用」と「2つの使用」

1. 以前、「2つの使用」について取り上げた時、「無時間的使用」についても触れ、それ以来、あたかも「2つの使用」の一方と「無時間的使用」が同じ概念であるかのように扱った。 しかし、そのように単純に両者を等置することは不適切である。 前者(「2つの…

「説明」の周辺(39):「無時間的」、「同時的」

1. 前回までの考察において、メタファー型の「美学的説明」で示される 類似性、同一性が、非因果的なつながりであることを主張した。 その後、シネクドキ型の示す内容も非因果的と言えること、メトニミー型の示す内容については、因果的、非因果的という2通…

「説明」の周辺(29):「数列の表情」?

1. 前回、ある語の「感じ」「雰囲気」と、その語の使用とを分離できるか、という問題を見てきた。「感じ」が、その使用から分離できるか否か、という問いは、両者のつながりが経験的なものか、論理的なものか、という問いでもある。 だが、はたして「これら…

「説明」の周辺(28):表情を名指す

1. ここまで、ウィトゲンシュタインの『美学講義他』に倣うつもりで、顔、芸術作品、言葉等の対象がもたらす「印象」をそれぞれの「表情」として捉え、感覚を基盤として対象と主体との界面(インターフェイス)をなすものと見なした。 そして「表情」の様々…

「説明」の周辺(27):「意味の体験」と「熟知性」

1. 「私には、‘シューベルト’という名は、シューベルトの作品と彼の顔にぴったりしているかのように思われる」(PPF270)という現象 、あるいはそのような言表― それが、ウィトゲンシュタインにとって、なぜ、どのように、問題となるのか。 後期ウィトゲンシュ…

「説明」の周辺(26):「体験される、言葉の意味」の諸相

1. ウィトゲンシュタインの美学に関する考察を取り上げる中で、「表情 Ausdruck, expression 」が重要な概念として浮上してきた。 我々が美学的対象について話す場合(例えば)芸術作品そのものについて語る場合もあれば、作品の「表情」、与える「感じ」「…

「説明」の周辺(25):一瞬の理解

1. 表情の想起や理解が一瞬で行われることについて、ウィトゲンシュタインは、「すべての哲学にとって法外に重要」と評していた(LCA, p31)。そのことをきっかけに、「一瞥性」の問題への手掛かりを、ここまで様々な所に探ってきた。 振り返ると、『探究Ⅰ』の…

「説明」の周辺(24):過程に自ずから現れるもの

1. 前回、言葉の意味の瞬時的把握 と 表情の一瞥的認知 を類比した。 その類比の周辺にある、平凡な事実の数々を確認しておく必要がある。 前者では、極めて短時間の「理解する体験」によって、その言葉がどう使われるか、どう使うべきか、が知られる。知ら…

「説明」の周辺(23):“It clicks, it fits.”

1. 前回からの流れで、「閃き」に類比される美学的体験(反応)について。 一つの作品の持つ、新たな次元に目を開かれるような体験。それが一瞬の内に起こった時、それはアスペクトの閃きに類比できるであろう。 あるいは、作品の新たな解釈を見出して、それ…

「説明」の周辺(22):「一瞥」と「熟知」

1. 前回の、関数の比喩を用いた考察で、表情を認知することを、ある表情をある関数の値として見ること、に喩えた。そこでは、表情からある関数が推測される、という風には描出しなかった。それはもちろん、表情が一瞥で見て取られることを表現するためである…

「説明」の周辺(21):情動、表出、経過

1. 同じく容貌を根拠にしながら、性格や運勢を判断するよりも確かな種類の判断がある。 ある人の表情から、その後の態度や言動を予想すること、 または、以前の状態や出来事について推察すること、である。 例えば、入学試験の合格発表日に、道で出会った受…

「説明」の周辺(18):「表情的同一性」

1. ウィトゲンシュタインは、表情の「一瞥性」を、別の角度から、「表情(表現)的同一性 equality of expression」の問題としても捉えている。 私が紙に鉛筆でなぐり書きし、「これは誰だ?」と尋ねると、「ナポレオンだ」という返事が来る。しかし、我々は…

「説明」の周辺(17):“enormously important for all philosophy”

1. ここまで、「表情」に関連する問題を、ウィトゲンシュタインのテクストからいくつか取り上げてみた。 以前見たように、「表情」と(知覚的)「アスペクト」とは類縁性のある概念だと言える。現にウィトゲンシュタインも、この2つを結びつけている(cf. P…

「説明」の周辺(16):「驚き」の行方(後)

1. <驚き><注意を引かれる>は、前回の例とは異なった方向に向かうことがある。 『茶色本』から。 ウィトゲンシュタインは、手描きの顔の絵を示して言う。 この顔が君にある印象を与える。そこで君は、「確かに、私が見ているのは単なる線ではない。私は…

「説明」の周辺(15):「驚き」の行方(前)

1. 前々回、ウィトゲンシュタインが、「意味」「感じ」「考える、期待する、願う等の行為」といった捉えがたい、「心的な」事象 を考察する際に、それらに関する「表現」をそれらの事象と同列に置いて考察するよう勧めているのを見た。 彼は、知覚的アスペク…

「説明」の周辺(13):2つの " expression "

1. ここまで、ウィトゲンシュタインが美学的対象の「表情」「身振り」といわれるものについて語っていること、それらを「表情”expression, Ausdruck”」という語で指示していること、を見てきた。 彼ににおいて顕著なのは、このような「表情expression」を美…

説明の周辺(12):「表情」というインターフェイス

1. 鑑賞者によって同じ作品に対する評価が異なることは、芸術にはつきものである。 例えば、ピカソのキュビスム時代のある油彩画をみて、A氏は「美しい」と言い、B氏は、「どこが美しいのか、さっぱりわからない」と言う。 また、ある演奏家の弾くヴァイオリ…

「説明」の周辺(6):記述、比較、正当化

1. 前回予告したように、説明における、事実と「理念型」(範例) の関係がもたらす問題について、主にウィトゲンシュタインが触れている範囲で取り上げてみる。 理由を挙げることは、時には「私は実際にこの道を歩んだ」ことを意味するが、時には「私はこの…

「説明」の周辺(1)

1. 後期ウィトゲンシュタインと「説明」 に関するメモ。 『探究Ⅰ』の最初の節に、「説明 Erklärung」に関する重要な主張が早くも登場する。 説明は、どこかで終わるものだ。(PI 1) この主張は、類似した「理由の連鎖には終わりがある」(BBB p143, RPPⅡ404, …

閃きと停留

1. (前回から続く) ②結局のところ、ウィトゲンシュタインの議論が前提とし根拠としているもの、 それは 「理解や能力の保持を表明し、他者がそれにやりとりする言語ゲーム」と 「内的状態、感じ、あるいは感覚を表明し、他者がそれにやりとりする言語ゲー…

認知の時間

1. 簡単な計算を例にして、数学における「過程と結果の同等性」(RFMⅠ82)という観念、ウィトゲンシュタインが「円環をまわる」(RFM Ⅵ 8)と呼んだ行動様式についてみてきた。 『論考』においても、論理学の命題の証明が論題に上がることで、証明の「過程」とい…

意図的行為の言語表現

1. ウィトゲンシュタインは、意図の表現を意味的関係の表現と比較する中で、見過ごし得ない重要な差異について指摘している。 私はある人に眼で合図を送る。わたしはそれが何を意味するのかを後になってから説明することができる。「私はそのときこのような…

「・・・として見る」と意志

1.「・・・として見る」と意志との連関を考察することが、次の課題である。 アスペクトを視ることと表象することは意志に従属している。(PPF256 cf.LPPⅠ452) ウィトゲンシュタインは、草稿、タイプ稿において、この主題、すなわちアスペクト視覚、Vorstel…