行為と状態(7):inside viewという比喩

1.

進行相 progressive aspect による表現と「事象を観察しているかのように表現する」という特徴との関係 が現在のテーマである。


前回、フランス語学では、半過去の本質を考察するに当たって、「観察しているかのように表現する」という特徴(あるいはそれに準ずる特徴。このような言い方が曖昧であることは認めるが、今はこのまま進む。)を見出して重視する論者が少なくないことを指摘した。


しかし実際には、英語学で進行形についてなされる一般的な特徴付けのなかにも、「観察しているかのように表現する」に通じるエレメントが曖昧なかたちで潜んでいるように思われる。

例えば、次のような定義の中に。

一般的に言えば、(いわゆる)進行は、出来事を一つのまとまった全体として見る「外的観点outside view」ではなく、「内的観点inside view」を与える、とされる。

(Leech, Meanng and the English Verb,3rd edition,  §27)

 この「内的観点inside view」が、問題となる特徴づけである。

 

2.

もっとも、Comrieの著書 Aspectでは、この特徴は、imperfective aspect全般に関わるものとされている。

perfectiveな意味とimperfectiveな意味との違いを 別の仕方で説明すれば次のようになる。perfectiveは、状況を外側から眺めて(looks at the situation from outside)、その内的構造については必ずしも区別しようとしない。それに対し、imperfectiveは状況を内側から(from inside)眺めることで、必然的に状況の内部の構造に関わる。たとえば、過去に向かって状況の始まりに着目し、未来に向かって状況の終わりに着目する。同様に、状況がいかなる始まりも終わりもなくすべての時間に亘って持続するようなものである場合にも、それを扱うにはimperfectiveが適切なものとなる。(Comrie, Aspect, p4)

進行相以外のimperfectie aspectに対しても「状況を内側から眺める」という特徴づけが成立するのかどうか、検討の必要もあろうが、今は立ち入らない。

 

3.

Leechが言う「内的観点inside view」とはどのような意味で言われているのか?

Comrieの言葉で、進行相が あるプロセス(出来事happening、状況situation)を「内側から眺めるlook at ...from inside」、とはそもそもいかなる意味だろうか?

 

英語学に限らず、言語学アスペクトが説明される場合、しばしばこのような表現に出会う。

このような説明が、わかったような気にさせる便利な言い回し以上のものであるなら、その内実は問われなければならない。

ここで「観点」や「眺める」という、感覚ないし認知に関わる言葉が使われるのは偶然なのか?

 

進行相と知覚(感覚)との関連を重視する立場(Van der Laan等)の論者なら、

A. 観察者が、プロセスを、その生起する現場で観察し報告するように述べる

という意味だ、と言うだろう。

 

しかし、進行相を特徴づけるにあたって「観点」「眺める」を比喩として受け取り、知覚(感覚)との結びつきを切り離そうとする立場の者であれば、例えば、

B. そのプロセスを非‐有界的unboundedに記述する

ということが意味されているに過ぎない、と主張するかもしれない。

 

4.

それらに対し、さらにもう一つの意味を考えることが可能かもしれない。

進行形のある種の使用についてLeechは言う。

言表やその他の意味作用的行為を指示する動詞は、言表の背後に潜む心的態度や伝達的意図を指示する動詞の進行形によって「枠付け」されることがある。「君はそれを言ったとき、うそをついていたのか?Were you lying when you SAID that?」「いや、僕は本当のことを言っていたんだ。No, I was telling the truth.」 これは、時に、進行形の「解釈的interpretive」使用と呼ばれる。あたかも、われわれが言語行為を、「内側から」見ているwe are seeing the speech act 'from the inside'かのようなのだ。「内側から」見ているというのは、時間的な意味でではなく、背後に潜む解釈を発見するという意味で、である。ここには時間枠temporal-frameのはたらきは存在しない。なぜなら、「うそをつく」ことと「言う」こととは、見るところ、等しく同時に存在しているからである。(Leech, Meaning and the English Verb, 3rd edition, §32,note b)

 ここでの 「内側から」見る は時間的意味ではない、とLeechは主張する。

なおかつ、ここでの「見る」は観察者の「見る」行為よりも、言語行為の主体の内側から「見る」こと に近い。なぜなら、単に言表を観察することと 背後の意図や態度を発見すること とはイコールではないから、そして問題となるのは後者であるから。

 

つまり、「プロセスを内側から眺める」の第三の意味として、

C. 行為主体が、行為の途中に、自らの行為あるいはその意図を了解し表出するように表現する

というものが考えられないか。

 (ただしこれが進行形の使用のすべてを特徴付けるものではないことには注意しなければならない。)

 

 5.

Leechが言う、'interpretive' use of the Progressive は、日本の英語学では「行為解説の進行形」と呼ばれ、その特異さに注目して論じられてきた。(たとえば、長谷川存古『語用論と英語の進行形』を参照。 )

これについては、いずれ改めて取り上げたい。

この 行為解説的使用の問題は、進行形解釈にとっての試金石の一つと言えるであろうから。