1.
必要あって、進行相の特徴づけという問題に足を突っ込んでいる。
(英語、フランス語、日本語の進行相を、学問的手続き抜きに(あるいは不用意に)比較しているが、筆者個人の内での思考(=試行)に向けたメモなので、当面それでかまわない。)
ここまで、英語学、フランス語学の文献を眺めて、進行相(具体的には進行形(英語)、半過去(フランス語))の本質を何に見るか、という論点について考えた。
英語学、フランス語学の間には、対象の違いを反映して、強調される論点に違いがあるように見えた。
それらの論点の中で、特に問題にしたのは、進行相が事象を「あたかも観察しているかのように」語る、という捉え方であった。
前々回、フランス語学において、似たような把握の仕方がより広く認知されているように見えることを指摘した。
その理由の一つは、フランス語の半過去には、一般的な特徴付けには収まらない、一見イレギュラーな使用が数多く認められ、そのような使用を説明するために、半過去の本質に「発話空間とは別の認識空間としての過去空間の構成」(春木仁孝)、「別のどこかで別の誰かが観察していること」(大久保伸子)等、主体の認知に関わる概念を据える論者が少なくないからである。
それらイレギュラーな使用の内、日本で注目されたのは、「Je t'attendais型の半過去」と呼ばれるものである。
阿部宏「Je t'attendais型の半過去について」より。(日本語訳を付加した。)
(1)(人が来て)Je t'attendais.(君を)待っていたよ。
(2)(人に会って)Je te cherchais.(君を)探していたんだ。
(3)(人が入ってきて)Je dormais. 寝ておりました。
(4)(確証を得て)Tu avais raison. 君の言うとおりだった。
(5)(見つけて)Ah! vous étiez là. ああ、そこにおられたのですね。
(6)(同意を得て)Je savais que tu serais contente.(君に)同意してもらえると分かっていましたよ。
この用法の特徴について、次のように言われる。
この種の半過去の特徴は、①話し言葉で用いられること、②半過去の他の用法と違い、文脈や他の時制、時の副詞句といった時間的位置づけのための支えなしに自立的に用いられること、③この半過去によって表される事行が発話の直前まで継続していたり、その発話以降も続いていたりする、という点である。
(春木仁孝、「Je ne savais pas que c'était comme ça.-再確認の半過去-」)
この①②については次のように考える。
英語学での進行形の場合に比べ、フランス語学で半過去の非自立性という特徴がより強調されることは以前に見た。
その理由の一つとして、英語の現在進行形の場合、発話自体が基準時を示す役割を果たすことで非自立性の問題が表面化しないこと、があるのではないか、と推測した。
そこで改めて(1)~(6)の文例を見ると、いずれも発話自体が基準時のマーカーとして働くように思われる。
つまり、どの例も、発話時につながる、過去からの一定の時間的持続が、事象の成立時間として問題となっている、ように思われる。ゆえに発話自体が、「現在につながる、過去からの持続的期間」という基準時を示すことができる、と考えられる。
それゆえ、①話し言葉で用いられる、という特徴をもつのではないか。
(「発話時につながる」と言ったが、(1)~(3)のように、発話時の直前まで成立する、という形を取るものもある。)
だが、発話時現在につながる事象を表すという説については、それに反対する見解もある(上で引用した春木の論文を参照)。今その問題には立ち入らずに進む。
2.
③の特徴に眼を移そう。「この半過去によって表される事行が発話の直前まで継続していたり、その発話以降も続いていたりする」ということは、一部の文では、発話時現在にも成り立っている事象が、現在時制でなく、わざわざ?過去時制を用いて表示されている、ということである。上の例文(4)(5)(6)がそれに当たる。
(4)では、「君」は今でも正しいのであるし、(5)では、「あなた」は今もそこにいる。(6)では「私」は今も分かっているのだ。
とすれば、③からさらに2つの問題が派生してこよう。
・なぜ、(4)(5)(6)では現在時制でなく、過去時制が用いられるのか?
・③は2つの場合から成るが、それらは統一して捉えるべきなのか?
3.
例文(4)(5)(6)のような文章では、事象自体のもつ時制的性格と、事象を表す文の時制との間に「ズレ」が存在している、とみなすこともできよう。
そのような例は、「Je t'attendais型の半過去」以外にも眼にすることができる。
つまり、「半過去形には次のように、どう考えても過去と見なすことのできない事態を表す用法が話し言葉のフランス語にある。」(東郷雄二、「半過去の叙想的テンス用法」)
東郷が示す例から、いくつか引用する。
(7) [人の名前をどうしても思い出せなくて]
Comment il s'appelait déjà?
(あの人の名前何だっけ。)
(8) [空港で飛行機を待ちながら]
Ton avion partait à 16h30.
(君が乗る飛行機は16時半発だったね。)
(9) C'est bien vous qui parliez lors de la prochaine réunion?
(次の会合で話すのは確かあなたでしたよね?)
(10) Lundi prochain, il y avait un match; mais je n'irai pas.
(今度の月曜に試合があったんだが、僕は行かない。)
(11) [ラジオでヴァイオリニストの急死を報じ、続けて]
Demain,c'était son concert d'adieu à Copenhague.
(明日コペンハーゲンで彼のさよならコンサートが開かれることになっていました。)
説明は蛇足であろうが、一言加えておくと、
(7)では、「その人」の名前は過去も現在も同じである。
(8)~(11)では、未来の事象の述語が過去時制になっている。
(7)の日本語訳は「あの人の名前なんといいましたか?」でもよく、この場合、日本語訳にも過去時制が現れる。
(8)~(11)の日本語訳にも(過去を表すとされている)「た」が現れることに注意しておこう。(訳に下線を加えて示した。)そして、そのような「た」の使用は、われわれ日本語のネイティブにとって、とても自然に感じられるであろう。
すなわち、日本語にも主に「た」に関して、フランス語に類比的な用法が認められるのである。このことは後に触れる。
事象自体のもつ時制的性格と、事象を表す文の時制との間に「ズレ」が存在する場合は、半過去においては、他にも多数の例がある。
「語調緩和の半過去 imparfait d'atténuation」
Je voulais vous demander un petit service.
ちょっとお願いしたかったのですが。
「私」は今も「お願いしたい」のであり、事実、今お願いしているのである。
「接客の半過去 imparfait forain」
Qu'est-ce qu'il vous fallait comme ruban?
リボンは何がご入り用だったでしょうか。
( いずれも 渡邊淳也「叙想的時制と叙想的アスペクト」から引用)
「あなた」は今もリボンが必要であって、発話者は、今、ご入り用なリボンは何かを尋ねているのだ。
(現在も成立している事柄をわざわざ過去時制を用いて表す、という点で、(4)(5)(6)に似ていることに注意。)
そして、おそらく反事実条件法における半過去の使用もこれらに加えることが出来るだろう。
※ このようなモダリティ表現的な用法の存在を重視して、過去時制であることを半過去の本質に数えない文法論者も存在する。