属性付与と状態化

1.

ヴァインリヒの「半過去=背景描出」説について見てきたが、次に、同様に包括的な、半過去の機能に関する別の説についてみてみよう。

 

春木仁孝は、半過去の意味効果は、

「恐らく総ての用法において共通して半過去が持つと考えられる属性付与という機能から出て来ると考えられる」

と主張する。

春木仁孝(2000)「J'ai rencontré un réfugié qui arrivait du Kosovo. ー半過去の属性付与機能についてー」、p84)

 

半過去との対比で、

「単純過去は、動詞の性格に拘わらず、出来事を述べる発話である(p85)」

とする。

 

春木は、議論の展開に先立って、

発話をその機能から分けると、属性付与機能を持つ発話(énoncé attributif)と行為を含み出来事を述べる発話(énoncé événementiel)の二つに大きく分けることが出来る。

(p84)

と述べる。

(残念ながら、不勉強により、この主張の根拠が、春木の他の論文、あるいは他者の論文の中でどのように論じられているのか、確認していない。)

(ヴァインリヒの説や、imperfective/perfective という基本分類(認知文法)との類似も感じられるが、それらとの比較はまた別の課題である。)

 そもそも「属性付与」とはどのような働きであるのか?

 

 2.

春木の主張する、半過去の属性付与機能について見てゆく前に、半過去が表現する時間的関係について、通説をおさらいしておこう。

一般的な説では、半過去で表される事象は、ある基準時(time of reference)に照応・定位される、と考えられる。

(1)A midi,quand je suis rentré, tu dormais encore.

(正午に僕が戻ってきたら、君はまだ眠っていた。)

という例文でいえば、「正午」すなわち「僕が戻ってきた」時が、基準時である。

 

基準時との照応関係は、通常、英語の過去進行形について言われることが、フランス語の半過去についても当てはまるように思われる。

 進行相は、一般的に、特定の事象や時間を 「時間枠 temporal frame」で取り囲む、という効果を持つ、(・・・)つまり、時の流れの中に、ある基準点some reference point▲が存在し、動詞が表す時間的出来事は、その基準点から未来の方向ならびに過去の方向へと伸びているものとして捉えられるのである。現在進行形の場合、基準点は、通常「今」すなわち現在という時点に一致する。しかし、過去進行形の場合、状況を「投錨する」ために、現在とは別の何らかの定まった基準点が必要となる。そのような基準点はしばしば、副詞句や副詞節によって明示されている。

・・・

過去あるいは現在に関する語りのいずれにおいても、進行形はしばしば、非‐進行形で述べられた行為を取り巻く「時間枠」を形成する。

(Geoffry Leech, Meaning and the English Verb, 3rd edition, §32)

 つまり、半過去で表された状況、事象は、基準時(を含む出来事、事象)を、過去と未来の双方から「取り囲んで」いる、のである、と。

のみならず、事象として、非有界的unboundedに描出される、ということも一般的な特徴とみなされよう。

(この特徴は、期間を限定する副詞句との共起しにくさ、と関連している。)

確かに、上の例文(1)は、そのような例になっている。

 

しかし、半過去の使用の総てが、そのような時間的図式に当てはまるわけではない。

例えば、「説明の半過去」の例として取り上げた文を振り返ろう。

(2) Il sursauta: la porte s'ouvrait.

彼は(おどろいて)とび上がった。とびらが開いたのだ。

「とびらが開く」という事象は、「彼がとび上がった」ときには終了している。なおかつ、事象そのものとして見れば、perfectiveである。

それゆえ特殊な用例として、「説明の半過去」の名で取り上げられたわけでもある。

 

このように標準的なtemporal frame 図式から外れた半過去の用例は、それ程稀なものではない。

さらに、婉曲的用法のように、基準時がはっきりしない用法も多数存在するが、ここでは、基準時を含む事象が先行詞として文章に登場する半過去の用例に限定して、その様々なヴァリエーションを確認する。

(各例文は、春木の前掲論文、および大久保伸子(2007)「フランス語の半過去の未完了性と非自立性について」からの孫引きである。訳は引用に際しての追加。)

 

 ※先行詞の示す時を一様に基準時とみなしてよいか、さらに、そもそも半過去と基準時の関係をどう考えるべきか、は、半過去の本質に関わる難しい問題である。しかしここでは、あえて「常識的な見解」に立って話を進める。上の、大久保の論文を参照。

 

a. 「標準的な」temporal frame 図式については上記(1)に見た通りである。

b. 基準時を含む事象が、半過去の事象が始まる直前に位置する場合。あるいは、半過去の事象がまさに完了しようとする時点に位置する場合。あるいは、半過去の事象が、結局未完了である場合。

(3) J'ai reussi à le rencontrer: il partait une heure après pour Paris.

私は彼に会うことに成功した:彼はその一時間後に、パリに出発するところであった。

(4) Moi, je me noyais un beau jour dans la Tamise, tu m'as tiré de L'eau.

私はある好天の日、テムズ川で溺れかけたが、君が、私を水から引き上げてくれたのだ。

(5) Quand je suis arrivé chez Yves, il partait.

私がイヴのところに到着したとき、彼は出かけようとしていた。

 

c. 基準時を含む事象が、半過去の事象の始点に位置する場合

(6) Le vieil homme alluma la lampe. La fiable lumière donnait à la pièce un air de tristesse.

老人が灯りを点けた。弱弱しい光は部屋にわびしい雰囲気をもたらしていた。

(7) Il démarra sa voiture. Il longeait le parc de Kenjinton.

彼は車を発進させた。そしてケンジントン公園に沿って進んでいった。 

d. 基準時を含む事象が、半過去の事象の終点や終了後に位置する場合

(8) J'ai rencontré un réfugié qui arrivait du Kosovo.

私は、コソボから来た一人の移民と出会った。

(9) Elle sortait a peine du couvent lorsqu'il la demanda en mariage.

彼に求婚された時、彼女は寄宿学校を卒業したばかりであった。

(10) Arsene Lupin quitta le kiosk où il fumait une cigarette.

アルセーヌ・ルパンは、タバコを吸っていたあずま屋から出た。

 「説明の半過去」の例文の相当数がここに属するであろう。

(11) Jean coupa l'interrupteur.La lumière éclatante l'éblouissait.

ジャンはスイッチを切った。まぶしい光に目を眩まされたのであった。

(12) Jean se mit en route dans sa vieille Fiat. Il attrapa une contravention. Il roulait trop vite.

ジャンは古いフィアットに乗り出発した。彼は交通違反の罰則を受けた。スピードを出しすぎていたのだ。

 e. 「標準的」図式と反対に、基準時を含む事象が、半過去の事象を包含する場合

(13) Ce matin-la, j'étais tres en retard pour aller a l'école, et j'avais grand'peur d'être grondé, ...

その朝、僕は学校に行くのにひどく遅れてしまい、叱られることがとても怖くて、・・・

 

a.~e.を見れば、半過去の事象と 基準時を含む事象との関係については、「ほとんど何でもあり」と言いたくなるかもしれない。

もしも半過去が第一義的にテンス・アスペクト的機能を持つ形であると考えるならば、テンス・アスペクト的位置付けがこれほどに異なる用法が併存し、なおかつその合理的な説明がないというのは、認知的に見て受け入れ難いことである。

(春木、p87)

これらの使用例、さらに過去の習慣相・反復相的使用、反事実条件文での使用、中断の半過去、絵画的半過去、等を包括的に説明する原理として、春木の「半過去の機能=属性付与」説は提示されている。

 

3.

 では、改めて、「属性付与」の機能とは何か?

翻って、半過去は属性付与という機能を持つ形であるという観点からこれらの例を眺めてみれば、いずれも動詞の表す事態を一つの特性として捉えて、その特性で対象を性格付けている発話であると、統一的に分析することが出来る。半過去という形態は、事態の一回的で特定的な生起を、あたかも<繋辞+属詞>という構造が表わすのと同じ様な属性に転換する力を持っているのである。(春木、p87)

例えば、反事実条件文の条件節内の半過去は、

即ち、この種の半過去は、仮想空間での属性付与、架空の属性付与を表しているのである。行為や出来事を表す動詞が用いられていても、その行為が行なわれたとか、その出来事が起こったと言っているのではなく、その行為・出来事あるいはその行為・出来事の結果状態によってある対象が規定されるならば、これこれの帰結があるということを言っているのである。(春木、p89)

 ここで、半過去の属性付与機能が、<繋辞+属詞>構造(への転換)に類比されていることに注目しよう。

英語で言えば、<be動詞+形容詞(補語)>構造への類比に相当する。

ヴェンドラー以来のアスペクト分類で言えば、<be動詞+形容詞>は、状態stative動詞(句)の典型である。

大まかな言い方をすれば、半過去の属性付与機能とは、動詞の「状態化」である、ということになるだろう。

 

ただし、春木の説では、属性付与を受けるものは、主語のみでないことに注意する。

例えば、新聞の見出し等でみられる下のような半過去は、「文頭の時間表現が属性付与を受けていると考えられる。」(春木、p91)

(14) Il y a 14ans, le 26 avril 1986, un reacteur de la centrale nucleaire de Tchernobyl en Ukraine explosait.

ウクライナチェルノブイリ原子力発電所の原子炉が爆発したのは、1986年4月26日、14年前である。

(15) Il y a 100ans naissait Franz Kafka.

カフカの生誕から100年になる。

この主張は興味深いが、今検討する余裕はない。

 

 4.

 では、属性付与機能と、テンス・アスペクト機能との関係はどうなっているのか。

上の例文(3)(5)について、どちらも

 ・・・主語 il は partir という事態によって性格付けられるのであり、仮にこれを<il est partant>と表すことができる。その事態が既に起こったのか、今起こりつつあり最後の段階に到達しようとしているのか、これからまさに起ころうとしているのかといったテンス・アスペクト的位置付けは、発話全体および文脈からの推測により決まるのであるが、そのいずれであるかはこれらの発話にとっては二次的なものなのである。

(春木、p87)

 そして、半過去のテンス・アスペクト的内容すなわち「既に起こったのか、今起こりつつあり最後の段階に到達しようとしているのか、これからまさに起ころうとしているのか」が、いずれとも解釈可能な文を例示している。

 

その上で、次のように言う。

・・・フランス語では半過去はもともと時間軸上のある点に事態を位置づけるという真の意味でのテンス的な働きがないため(事態の成立・不成立を表さない)、半過去そのものが属性付与を表していると考えられる。

 (春木、p88)

 春木の主張では、半過去にテンス的位置付け機能はない。

一方、「属性付与」機能は、まさにアスペクト的性格付けの機能ではないだろうか。

 しかし、上の例文、特にb. , d. に属する文は、アスペクト的にも様々でありうることを示していないか。属性付与機能との関係はどうなっているのか?

 

 5.

アスペクト機能の点でまず問題となるのは、(8)(9)のように半過去で表された事象そのものはperfectiveであるはずの例だろう。このような例のため、半過去のアスペクトもperfective であり得るかのように見えるのだ。

しかし、春木自身が示唆するように(p86)、ここでの半過去は パーフェクト相perfect aspect 的に機能して、対象の「状態化」を行っていると考えることが出来そうだ。

言うまでもなく、この パーフェクト相的機能は、日本語のテイル・テイタ形にも備わっている。春木も、論文中(p86)で、半過去と「テイタ形」の機能の類似点について言及している。

 

さらに、半過去が表す事象がまさに起ころうとしていたものの始まっていない例(3)も、imperfectiveでない半過去の例に見える。

これについては、春木が上の引用で反事実条件文の半過去使用について言うように、「行為や出来事を表す動詞が用いられていても、その行為が行なわれたとか、その出来事が起こったと言っているのではなく」、起こるはずの「その行為・出来事によってある対象が規定される 」状況にあったことを言っているのだ、と解釈できよう。

そう考えれば、これも「状態化」の例と見なすことができそうだ。

 

 春木によれば、半過去が直前の事態を表すd.のような例よりも、まさに起ころうとしていた(あるいは完了しようとしていた)事態を表すb.のような例の方が、フランス語には多いという。(p87)

 

6.

起こるはずであった、起こる予定であった事象を、半過去を使って、「事実としての時間関係」と異なる形で述べる言語現象は、以前、日本語の「叙想的テンス」の例と絡めて、多数確認した。

「叙想的テンス、叙想的アスペクト(1)」

 「叙想的テンス、叙想的アスペクト(2)」

C'est bien vous qui parliez lors de la prochaine réunion?

(次の会合で話すのは確かあなたでしたよね?)

 

[ラジオでヴァイオリニストの急死を報じ、続けて]

Demain,c'était son concert d'adieu à Copenhague.

(明日コペンハーゲンで彼のさよならコンサートが開かれることになっていました。)

「imperfective aspect と予定」の問題は、フランス語にはとどまらず、例えば、英語の未来進行形でも浮上してくる。いずれ触れることのできる機会を待ちたい。