1.
ここまで、「表情」に関連する問題を、ウィトゲンシュタインのテクストからいくつか取り上げてみた。
以前見たように、「表情」と(知覚的)「アスペクト」とは類縁性のある概念だと言える。現にウィトゲンシュタインも、この2つを結びつけている(cf. PI 536,PGⅠ128-9)。
ただ、それはもちろん、この2つが常に交換可能な概念である、ということではない。
その異同を細かく見てゆくことは他の機会に譲る。
ただし、2つに共通する、ある性質については触れておかねばならない。
それは、表情やアスペクトが、あたかも一瞬で把握されるものであること、いいかえると、知覚によって「一掴み」にできるという性質、である。
この性質は、視覚的対象の場合に特に顕著である、と言えるだろう。(「対象を、一瞥でat a glance把握する」)
そのような性質を「一瞥性」「一掴性」などと、仮に名づけておこう。
2.
「一瞥性」は後期ウィトゲンシュタインの重要テーマの一つである、と言えば、疑問に思う向きもあると思う。
次を見てほしい。
顔の表情についてのわれわれの記憶 の重要性。
君が私に、別々の時間に、それぞれ棒を見せるとしよう―1本は他方より短いものを。その場合、一方の時間には長い方の棒であったこと に気づかないかもしれない。だが、2つの棒を比較すると、同じではないことがわかる。
私が君に、ある顔を描いて見せる。それから別の時間に、別の顔を描いて見せる。君が言う:「これは同じ顔ではない」―とはいえ君は、もっと目が寄っていたか、口が長かったか、[目が大きかったか、鼻が長かったか]といった種類のことに答えることはできない。「ともかく、違って見えるのだ。」これが、顔の表情の記憶、という事実である。
これは、すべての哲学にとって、法外に重要なことなのだ。(This is enormously important for all philosophy.)
(LCA, p30-1)
よく似た2つの棒の長さとは違って、顔の表情は一目で区別できる、(棒の場合には、比較や測定などさらなる手続きが必要)という、この文の内容は容易に理解される。
しかし、それが「すべての哲学にとって法外に重要」とは — なぜだろうか?
表情の「一瞥性」の何が、ウィトゲンシュタインに そう言わせるのだろうか?
3.
いきなり、それを一言で言え、と言われても、見当をつけることも難しい。
しかし、「表情」の問題に触れたからには、素通りすることのできないテーマである。
十分な答えが得られるかどうかは別として、さまざまな関連の糸を辿ってみることが重要だ。すなわち、「一瞥性」のテーマを 類似と差異の網の目の中で見る(cf. PI 66)ことが。
そしてさらなる読解のための足場を組むことだ。(それが仮のものであっても、少しもかまわない。)