日本語動詞の自他対応、様態vs.結果

1.

日本語の動詞の自他対応について、佐藤琢三の研究をもとに見ておく。

2つの動詞が自他対応をなすことは、次のように定義される。

(佐藤琢三『自動詞と他動詞の意味論』p170)

a. 意味的条件:自動詞文と他動詞文が同一の事態の側面を叙述していると解釈可能である。

b. 形態的条件:自動詞と他動詞が同一の語根を共有している。

c. 統語的条件:自動詞文のガ格と他動詞文のヲ格が同一の名詞句で対応している。

例)

守衛が 門を 閉める(あける)。

    門が 閉まる(あく)。

<閉める↔閉まる><あける↔あく>が、上の条件を満たしていることを確認できる。

 

自他対応の有無によって、動詞を次のように分類することが可能である。

相対自動詞:対応する他動詞をもつ自動詞

相対他動詞:対応する自動詞をもつ他動詞

絶対自動詞:対応する他動詞をもたない自動詞

絶対他動詞:対応する自動詞をもたない他動詞

動詞によっては、「閉じる」「開く」のように、同一の形態で自他両方の用法を持つものがある。

守衛が 門を 閉じる(開く)。

    門が 閉じる(開く)。

これも相対自/他動詞の一種に数えることが可能だが、「両用動詞」というカテゴリーに独立させる研究者もいる。

同じ事象を表していても、「閉じる」「開く」は両用動詞、「閉まる」「閉める」「あく」「あける」は非両用動詞である。

日本語と英語、中国語を比較した場合、英語、中国語には両用動詞が多く、日本語は相対自/他動詞が非常に多いとされる(cf. 寺村秀夫『日本語のシンタクスと意味Ⅰ』p305)。

ここで注意したいのは、相対自/他動詞が、自他対応の規準を満たすものとして積極的な形で規定されているのに対し、絶対自/他動詞は、相対自/他動詞ではないものとして消極的に規定された、いわば寄せ集めの集合であることだ(佐藤、同書、p172-3)。

この事情に留意しながら、佐藤は、相対動詞の特徴づけを、特に相対他動詞の意味構造の規定について行っている。それを次に見てゆこう。

(相対他動詞を対象とするのは、自他対応に関する意味構造の全体を捉えるためである。つまり、相対自動詞文では、動作主のはたらきかけの側面が表示されないからである。cf. p169)

 

2.

ある動作(行為)を、ある他動詞で表す場合、それを2つの側面から特徴づけることができる。

ここで取り上げる種類の他動詞は、一般に、2つの補語をとるが、それぞれの主題役割は<動作主AGENT>と<対象THEME>である。<対象>は<動作主>のはたらきかけによって何らかの影響を受けるものである。

そこで、一つの他動詞に関して①動作主の動作様態がいかに表されているか②対象が影響を受けた結果がいかに表されているか、という2つの側面に注目することができる。

すると、それぞれの側面について、それが特定されて表されているか否かという観点から動詞を分類することが可能になる。

すなわち、動作様態について、

A. 意味構造において、動作の様態が特定されていない(佐藤は、これを<動作様態の透明性>と名付ける。また、[AGENT :           ]と表示する。)

B. 意味構造において、動作の様態がある一定のあり方に特定されている(<動作様態の特定性>、[AGENT : MANNER] と表す)

対象の結果について、

C. 意味構造において、対象の結果が特定されていない(<結果の事態の達成>の欠落、[THEME :          ])

D. 意味構造において、対象の結果が一定の事態へと特定されている(<結果の事態の達成>、[THEME : ACHIEVEMENT])

という、4つの条件によって分類する。

ここで、A↔B、C↔D という諸条件が、それぞれ排他的な対立をなしている、と仮定する。すなわち、一つの動詞について、AでなければB、CでなければDというように。

 


では、他動詞文の例を見てみよう。

⑴太郎が手を温めた。

⑵子供が花瓶を壊した。

⑴の動詞は、<温める↔温まる>、⑵は<壊す↔壊れる>という自他対応をなす。つまり、いずれも相対他動詞の例文である。⑴において、太郎がストーブに手をかざして温めたのか、両手を擦り合わせて温めたのか、息を吹きかけて温めたのかは、「温めた」という言葉の使用の適否に影響しない。しかし、そのような動作を介しても手が冷えたままであったら、普通は「温めた」とは言えない。⑵においても同様に、体が触れて棚から落としたのか、ボールをぶつけたのかはどちらでもよいが、その結果花瓶が割れてなかったら、「壊した」とは言えない。

この例のように、相対他動詞は、A., D. をともに満たす意味構造をしている、と佐藤は主張する。

すなわち、他動詞に関して、

動作様態の透明性は、相対他動詞成立の必要条件である

(相対他動詞⇒動作様態の透明性)

結果の事態の達成は、相対他動詞成立の必要条件である

(相対他動詞⇒結果の事態の達成)

 


相対他動詞の意味構造

[AGENT:      ]+[THEME:ACHIEVEMENT]

(cf. p174,179,180)

 

ここで、A↔B, C↔D の排他的対立の仮定と、絶対他動詞が「相対他動詞ではない他動詞」として規定されていたこと を思い出せば、上の対偶をとって用語を言い換えることで、

動作様態の特定性は、絶対他動詞成立の十分条件である

(動作様態の特定性⇒絶対他動詞)

結果の事態の達成の欠落は、絶対他動詞成立の十分条件である

(結果の事態の達成の欠落⇒絶対他動詞)

(cf. p174,179)

が得られる。

相対他動詞に関する条件が、必要条件であって、十分条件ではないことに注意したい。

佐藤は、例えば、「つくる」「殺す」といった動詞が、動作様態の透明性と結果の事態の達成を意味構造に備えていながら、相対他動詞ではないことを指摘している(p181)。
 

3.

さて、他動詞を2つの側面において2通りに特徴づけることで、2x2=4種に分類することが可能となる。

佐藤は実際に、それぞれの類型と、そこに属する動詞の例を挙げている(p181)。

(40) [AGENT:      ]+[THEME:ACHIEVEMENT] (つくる、殺す)

(41) [AGENT:MANNER]+[THEME:ACHIEVEMENT] (塗る、置く)

(42) [AGENT:      ]+[THEME:           ] (やる、探す)

(43) [AGENT:MANNER]+[THEME:           ] (たたく、押す)

(40)は、相対他動詞の意味構造と同じであるが、ここで挙げられた「つくる」「殺す」は、上で述べたように、相対他動詞ではない(つまり絶対他動詞である)。

(41)~(43)は、意味構造が相対他動詞のそれと異なる故に、絶対他動詞となる。

 

4.

様態と結果という組み合わせは、語彙意味論  lexical semantics での議論を思い起こさせる。

英語圏の語彙意味論においては、語彙分解 lexical decomposition の手法によって、動詞の意味を分析し、分類することが行われてきた。多くの動詞が共有する事象スキーマevent schema と、語彙固有の意味に属する語根root との組み合わせで、様々な動詞の分析が行われる。(cf. 出水孝典『動詞の意味を分解する』)

語彙意味論における、動作動詞dynamic verb についての基本的な分類として、様態動詞manner verb と結果動詞result verb がある。

様態動詞とは、動詞の語彙自身の意味として、動作様態を指定しているもの(sweepなど)、

結果動詞とは、同じく、結果状態を指定しているもの(killなど)をいう。

つまり、大まかに見て、様態動詞は佐藤の言う<動作様態の特定性>を満たす動詞に相当し、結果動詞は<結果の事態の達成>を満たす動詞に相当するようにみえる。

語彙意味論で提唱されている仮説に、次のようなものがある。

様態/結果の相補性 Manner/Result Complementarity

様態、結果という意味構成要素は相補的に分布する。つまり、一つの動詞が自身の語彙的意味とするlexicalizeのはいずれか一方のみである。(cf. 出水、前掲書,p10)

すなわち、様態動詞は、結果の事態を規定せず、結果動詞は動作の様態については未規定だとする。

もし、この仮説が正しく、語彙意味論での定義と佐藤の用語の意味するところが一致するものならば、佐藤が挙げた(41(42))の意味構造は存在しないはずである。

出水によれば、この仮説の妥当性についてはいろいろと議論があるらしいが、いずれにせよ、語彙意味論で言われている「語彙的意味とする (lexicalize)」の正確な内容、佐藤における「意味構造において特定されている」との異同については検討が必要だろう。しかし、今は立ち入らない。

語彙意味論においても、自他対応の現象(使役交替 the causative alterationと呼ばれる)が注目され、その説明が一つの焦点となっている(cf. 出水、前掲書、第8,9章)。

 

語彙意味論と語彙的アスペクト論との関連について。生成意味論generative semanticsに発する語彙分解の手法は、Dowtyによって語彙的アスペクトの解明に応用され、その後の研究に影響を及ぼした(Dowty, Word Meaning and Montague Grammar)。上の相補性仮説の提唱者、Levin & Rappaport Hovav の語彙意味論も、同様の語彙分解の手法に依っており、アスペクトの解明のみを意図したものではないが、その流れのなかで見ることができる(cf. William Croft, Verbs,p45~)。彼女たちの事象スキーマに時間的な解釈を加えることで、Vendlerの4つのアスペクトに対応させることが可能である。ただし他方で、アスペクトと語彙的意味との関係は、そのような見かけほど単純で透明なものではないことを、Levin は指摘している(Beth Levin, "Aspect,Lexical semantic Representation,and Argument Expression")。

 

様態動詞/結果動詞という分割は、金田一春彦以来の日本語の語彙的アスペクト論にも親近性がある。

金田一春彦は、日本語の動的な動詞を<継続動詞/瞬間動詞>に2分した(金田一春彦、「国語動詞の一分類」)。彼の説はその後の研究に対する指針となったが、<継続動詞/瞬間動詞>という時間的な長短に関わる区別は、奥田靖雄によって<動作動詞/変化動詞>と捉え直されて議論の発展を見た。

ぼくは継続動詞のことを《動作をあらわすもの》とみる。瞬間動詞は《変化をあらわすもの》とみる。このような規定は、両方とも自動詞であるばあいには、そのままあてはまる。たとえば、aruku, tobu, odoru と nieru, shinu, kieru とをくらべると、語彙的な意味のdistinctiveな特徴として、《動作》と《変化》とがあざやかにうかびあがってくる。

(奥田靖雄、「アスペクトの研究をめぐってー金田一的段階ー」、in松本編『日本語研究の方法』p218)

その<動作動詞>は<様態動詞>の概念に、<変化動詞>は<結果動詞>の概念に基本的に対応するように見える。そのあたりの掘り下げは後日にまわしたい。