1.
ここまで、鈴木重幸の謂う「非アクチュアルな現在」を表現するル形について見てきた(cf. 2023-11-27)。続いて、「アクチュアルな現在」の事象を表すル形の用法に入る。
高橋太郎によれば、現代日本語動詞の完成相非過去形(すなわちル形)は、次のような場合に現在の動作を表す。(高橋、『現代日本語動詞のアスペクトとテンス』p157)
ⅰ)瞬間的な動作であって、始発から終了までの全過程が、話しはじめから話しおわりまでのあいだにまるごとおさまるばあい
ⅱ)完成相形式であっても、完成相の基本的なアスペクト的意味を実現せず、進行過程のなかにあるすがたをあらわしているばあい
ⅲ)アスペクト的な意味の側面で、継続相との分化がすすんでいないもの
これから見てゆく用法の内、Ⅳ, Ⅴは、高橋のⅰ, ⅱ に含まれ、Ⅵ, Ⅶは、ⅲに含まれる。
高橋は、上のⅰをさらに3つに場合分けしている(p158)
①成立を予測できる瞬間的な動作の成立
②自分の瞬間的な動作に説明をつけるばあい
③発言そのものが、その発言の内容としての行為になっているばあい
ここで<実況解説的用法>と呼ぶものは、この①②に、上のⅱを加えたものである。
すなわち、
Ⅳ 実況解説的用法⇒ ⅰ)①② ,ⅱ)
Ⅴ態度表明、遂行動詞⇒ ⅰ)③
Ⅵ 知覚・思考・内的状態の表出⇒ ⅲ)
Ⅶ 可能態、自発態⇒ ⅲ)
2.
<Ⅳ 実況解説的用法>
Ⅳに関して、ⅰ)①から見てゆこう。高橋の説明に依る。
その成立時を予測できる瞬間的な動作の成立と同時に発話するばあい、その動作を完成相非過去形でのべることができる。
(80) 一るいをけって二るいをまわる。... 二るいをまわります。
この例のはじめの「まわる」は未来の動作をしめしている。あとの「まわります」がここの例なのだが、アナウンサーは、「まわります」の前半の「まわり」の部分を、ランナーがまわりはじめるよりちょっとまえから比較的ゆっくり発音しはじめ、ランナーがまわる瞬間に後半の「ます」をはやく発音する。この「ます」のところで発話時を動作の成立時にあわせているのである。(p158)
丁寧な説明がなされているので、敢えて引用した.。野球等の実況中継が、いつもこのようなタイミングでなされるかどうかはさておき、このように調整する理由は、
いくら瞬間的な動作でも、動作が成立してはじめてそれを認識するばあいには、発話時には動作がすでにおわっていて、過去形でのべざるをえなくなる。だから、非過去形がつかえるためには、その動作の成立する時期を予測しておいて、その動作の成立の多少ともまえから発話のかまえにはいっていることが必要である。(p158)
次に、ⅰ)②自分の瞬間的な動作に説明を付ける場合。
これは料理の実演解説を想像してみると分かりやすいだろう。または、手品の実演など。
あるいは、そのような舞台でなくとも、相手に対し、自分の動作を確認するように行う発話の中に多くの例を見ることができる。
君のかばんは、ここへおきますよ。
おつりはいらないって? では、遠慮なくいただくよ。
次に、
ⅱ)の、ル形でも進行過程の中にあるすがたを表す場合。
のりものやひとがむこうからくるのをみつけたとき、そして、それをすぐさまひとにつたえるとき、「くる」と「きた」のどちらででもいうことができる。
(103) なんだ、いたよ、むこうからくるよ、にこにこして。
(104) 「きた、きた!」急短な爆音をたてて、サイドカーがはしってきた。
また、めのまえの動作を「いく」と「いった」のどちらででもあらわすことができる。
(105) 千代の富士があたまをつけにいく。
(106) 右はず、岩波がきりにいった。(高橋、p55)
この用法で「いく」「くる」と発言する時は、移動動作はすでにはじまっており、また、まだおわっていない。つまり、ここでは、この形は、移動動作が進行過程のなかにあることをあらわしている。この「いく」や「くる」のアスペクト的意味は、始発と終了をふくまず、その過程を分割するすがたでさしだしている点において、継続相の基本的な意味と共通である。けれども、継続相がとりだす局面の特徴が持続性であるのに対して、こちらは、進行性である点がちがっている。つまり、持続性のばあいは、基準時間(ここでは発話時)の直前と直後がおなじ状態であるのに対して、進行性のばあいは、直後のほうが直前よりもすすんだ状態にある。(p56)
(駅のホーム上で)ほら、電車がくるよ。
cf. 明日、弟がくるよ。
あれっ、船が沈むよ。
あれっ、船が沈んでいくよ。
中古車は、この港から、どんどん外国へ輸出されるのだ。
「いく」「くる」のル形は、進行中の過程も、未来の動作も表すことができる。「ほら、電車がきているよ」は、「来て停まっている」という結果の存続を表す場合が多く
、「来る」という動作の持続は表しにくい。「弟がきているよ」も同様である。
「あれっ、船が沈んでいっているよ」は不自然であろう。「あれっ、船が沈んでいるよ」は可能であるが、これも結果の存続を表す。
以上のことは、「(~して)いく」「(~して)くる」は、テイル形では、伝えたい意味(進行過程の中にあること)に対して不自然であったり、意味が変わったりすることを示している。
これに対し下の文では、「どんどん外国へ輸出されているのだ」も自然な言い回しとなる。
このように、これらの用法については、テイル形との関係等、個々の動詞によって変わる細かい問題点があるが、今は立ち入らない。
ただ、注目しておきたいのは、これらの用法の、「目の前のうごきをあらわすばあい」という条件である。これに似た条件は、Ⅱの属性叙述の一部にも、登場していたことを思い出したい(cf. 2024-01-14 )。
3.
次に、<Ⅴ遂行動詞、態度表明の動詞>
まず、ⅰ)③の、発言そのものが、その発言の内容としての行為となっている場合。
もっともわかりやすいのは、「宣言する」「約束する」のような、遂行動詞の一人称の文である。
それらに近いものとして、「お願いする」「賛成する」のような、態度表明の動詞の一人称文が存在する。
ある種の態度をあらわす動詞のこの形(ル形のこと)が一人称の文の述語にもちいられたばあい、その発言自身が話し手の態度表明の行為であるところから、とくに未来において態度を表明する必要のないばあいがある。(鈴木重幸、「現代日本語の動詞のテンス」p33)
高橋が引いている例文(p160)
あとを万事おねがいする。
そんなことはできない。わたしはことわる。
懲役七年の刑を宣します。
「お願いする」「賛成する」「断る」等の動詞は、タ形では過去の態度を叙述する。その態度については、上のような一人称での発話が伴ったか否かは特に問題とはならない(鈴木、p34)。その点で、「宣言する」とは異なる。
また、ル形で、未来の態度を叙述することもできる。
この種の動詞の現在未来形が二人称の質問文にもちいられたばあいの
156) 「あなたはこれに賛成なさいますか?」
157) 「きみは彼の申し出をことわるか?」
などは、話し手の発言の瞬間の聞き手の態度をたずねているのか、あるいは、これから聞き手がどのような態度をとるのかをたずねているのか、にわかにはきめられない。(鈴木、p35)
これを説明するために、次のようにも言えるだろう。宣言することと宣言の発話とは同じことであるが、態度を取ることと態度表明の発話とは、同じではない、と。
これら態度表明の動詞は、次の<Ⅵ 知覚・思考・内的状態の表出>と似た側面を持つ。
それについては次回に。