動態動詞ル形の用法について(4)

1. 

Ⅱ属性叙述 に含まれる、特徴的な構文や使用について見てゆく。

次に挙げる2つは、あるいは、Ⅵの「知覚・思考・内的状態の表出 」に分類することも可能かもしれない。ⅡとⅥとの関連を顕在的に示す例でもあろう。

①<AはBの味(香り、におい、音、肌触り、感触etc)がする>という形式の文

このみかんは酸っぱい味がする。

この花はいい香りがする。

彼の部屋は、いつも整髪剤のにおいがする。

このブザーは大きな音がする。

この生地は、ザラザラした肌触りがする。

ここでは、味覚or嗅覚or聴覚or触覚に捉えられる、[Bの部分]で表された性質/属性を、Aが持っていることが述べられている。その場合、その性質/属性を、〈「味、香りetc」といった知覚対象のカテゴリーを表す名詞〉 の 修飾句で示すことが特徴である。Bの部分は、連体修飾句として、「甘い、ゴムの、大きな、絹の、ザラザラした」等、様々な形式をとり得る。ここで、「味、香り、匂いetc.」といった知覚対象を、Cで表しておけば、①の文は「Aは BのCがする」という構造をしている。

鈴木重幸「現代日本語の動詞のテンス」は、これらを<話し手の感覚によってとらえられたものや現象の状態をあらわす文>の中に含めている(p38)。つまり、これらの文は、実際に感覚している最中に、自らの感覚の表出として発話することができる。しかし、感覚可能な対象の説明として、後から発話することも可能である。

あるいは、自らの感覚を表出しつつ、感覚対象の性質を規定することもできる。これは、前回説明した、鈴木の謂う「一時的な状態の現在」を表すル形(p28)の例となっている。

 

そこで興味深いことに、視覚に関する同様の構文は存在しない。

a. *この桃はきれいな色がする。

b. *およそ刀剣は、細長い形がする。

主語抜きの、感覚表出の発話を振り返ってみても、キャンディーを口にして「酸っぱい味がするよ」と言ったり、部屋に入って「何だか、においがする」と言うことはあるが、視覚については、夕日を見ても「ああ、赤い色がする」とは言わない。

 

ところが、a., b. をテイル形に変えて、「...が」を「...を」にすると、視覚的性質を表す文として認容される。(これらは、第四種動詞文の例としても取り上げた。)

a'. この桃はきれいな色をしている。

b'. およそ刀剣は、細長い形をしている。

また、夕日を見て「赤い色をしているね」と発話することは不自然ではないだろう。

 

これらの文は、「青い目をしている」構文に似ている。

ジュディは、青い目を [している/*する]。

リサは透き通るような肌を[している/*する]。

ただし、「青い目をしている」文では目や肌といった具体的な「もの」を「している」のに対し、上の文では「している」のは色や形という抽象的な視覚対象である。

 

味や香り、音等に関する上の例文は、いずれもテイル形でも使用できる。「...がしている」の他に「...をしている」という言いかたもあり、2つの間に、選好度に差がある場合もある。たとえば、一時的でない属性の叙述には、後者が選好されるように思う。しかし、一時的な場合には、下の「におい」の例のように、前者が選好されるだろう。ただ、これらに影響する文脈を精確に規定することは難しいので、今は立ち入らない。

このみかんは酸っぱい味[が/を]している。

この花はいい香り[が/を]している。

彼の部屋は、いつも整髪剤のにおい[が/?を]している。

このブザーは大きな音[が/を]している。

この布は、心地よい肌触り[が/を]している。

これらの「…をしている」についても、第四種動詞と捉えることが可能であろう。つまり、「…の色をしている」「…の形をしている」がル形で用いられないのと類比的に、「…の味をしている」「」...の香りをしている」等も「…の味をする」のようなル形では使われることがないのである。それに関連して、感覚表出文でも、「あ、酸っぱい味がする」「なんだか、匂いがする」とは言われるが、「あ、酸っぱい味をする」「なんだか、匂いをする」とは言われない。

このようなガ格とヲ格をめぐる問題については、のちに取り上げたい。

 

その他、ル形とテイル形での使用条件の違いがあることに注意したい。たとえば副詞句・従属節によって、

この種類の柑橘はいつも酸っぱい味 [がする/をしている]。

がいずれも可能であるのに対し、

この種類の柑橘は、皮が青いうちに食べれば、酸っぱい味[がする/?をしている]。

と許容度が変わってくる。今後取り上げる予定だが、条件を表す従属節とテイル形との相性の悪さが、動態動詞ル形の変則的用法に関連して広い範囲に見られることに留意しておこう。

 

この構文での人称制限はなさそうである。(ただし、「私は~の香りがします」とか「私は~の肌触りがします」などとは、現実に言われることはないであろうが。)

また、丁寧形やテクスト的制限(「かたり」、「はなしあい」)も特に問題はないようである。

 

文の構造について。当該の文は、意味を保ったまま、次のような形式に書き換えることができる。

このみかんは、味が酸っぱい。

この花は香りがいい。

このブザーは音が大きい。

益岡隆志は、このような文を、領域設定を持つ属性叙述文と呼ぶ。知覚対象のカテゴリーを示す名詞(味、香り、音)が「領域」にあたる。従って、上の「AはBのCがする」構造と対応させれば、次のようになる。(cf. 益岡、日本語文論要綱、p29)

[A(対象)ハ [C(領域)ガ B ダ] ] 

この構造は有名な「象は鼻が長い」構文にも共通するが、上の文の特徴は、「領域」が、味覚、嗅覚、聴覚、触覚の知覚対象カテゴリーであることだ。(付け加えれば、「青い目をしている」構文の場合にも同様の性質が見られるが、上述した違いがある。)

そして、初めに述べたように、①の文は、Ⅵに属する文と同じように、感覚内容の表出に使える。

Ⅵの文の例:「手がしびれる。」「思い出すだけでぞっとする。」「ああ、腹が立つ。」

また、Ⅶに分類される文にも、感覚知覚に関係するものが含まれ(例えば「レモンは黄色く見える」)、これらとの関係も探究する価値がある。

他にも、様々な構造的な特徴に注意することは可能だが、一旦、Ⅶまでの例について見たのちに振り返ることにしたい。

 

2. 

②<オノマトペ+する>という形式の文

オノマトペを主要な述語部に用いた叙述一般について、鈴木彩香「属性叙述文の統語的・意味的分析」は、次のような分類を提示している(p124)。

a. あの事件を思い出すとぞっと [する/*している/*だ]

b. 花子の足はほっそり [*する/している/*だ]

c. シーツがぐしゃぐしゃ [*する/*している/だ]

d. 太郎は駅前をぶらぶら [する/している/*だ]

e. この葉っぱはふちがぎざぎざ [*する/している/だ]

f. 帆布の生地はごわごわ [(?)する/している/だ]

この内で、「~する」が文法的であるのは、a,d,f であり、その中でル形が(習慣相以外で)現在の事象を表すのは、a, f のみである。(f のするに(?)が付くのは、この構造の文では微妙な不自然さがあるからだが、今はそのことは無視して進もう。)

従って、この2つがここでのル形変則用法考察の対象となるが、a については、Ⅵで扱うこととし、ここではf のタイプの文について見てゆく。(ちなみに、b, e は第四種動詞の例である。)

冬になると、足の皮膚がカサカサする。

サメの皮膚は、触るとざらざらする。

これらは、対象の属性を叙述するものであって、「帆布の生地」、「足の皮膚」や「サメの皮膚」が、将来どうなるかを述べたものではないことは理解できよう。

 

鈴木彩香は、eタイプとfタイプのオノマトペの例を比較し、eは視覚的に捉えられる属性、fは触覚的な属性を表すものと判断している(cf. p125)。

eタイプ:

ぎとぎとしている/だ、つやつやしている/だ、でこぼこしている/だ、どろどろしている/だ、どんよりしている/だ, etc.

fタイプ:

すべすべする/している/だ、べたべたする/している/だ、ざらざらする/している/だ、つるつるする/している/だ、カサカサする/している/だ、etc.

 

先のfの例文で、(?)が付いた件についてすこし触れておこう。

従属節の付いた、

外の壁は、触るとざらざらする。

りんごの表面は、少し磨くだけで、つるつるする。

は、特に不自然さはなく、書き言葉、「かたり」のテクストでも用いることができる。

しかし、

(?)外の壁はざらざらする。

(?)りんごの表面はつるつるする。

は、「はなしあい」のテクストで用いられるにはさほど不自然でないが、「かたり」のテクストで、現実の記述として用いられると、やや不自然に感じられる。

(このことの傍証として、「外の壁はざらざらするよ」と「よ」を付けて用いたり、丁寧体に変えたりする(「外の壁はざらざらします」)と、自然に感じられる現象がある。)

テイル形にはそのような不自然さが感じられない。

外の壁はざらざらしている。

りんごの表面はつるつるしています。

ところが、これに「少し磨くだけで」のような条件を表す従属節を加えると、やや不自然になる場合がある。これはル形とは対照的である。

外の壁は、たとえ洗っても、ざらざらする/?している。

りんごの表面は、少し磨くだけで、つるつるする/?している。

これは、①の場合に見られた、相性の悪さの現象によく似ている。

(このような現象の理由は何か?という疑問が浮かぶが、ここでは立ち入らない。)

ここまでテイル形やテクスト的性格と文の構造との絡みについて見てきた。この種の構文も、知覚表出に深い関りがあることから、Ⅶまで概観してから、必要に応じて再度取り上げたい。