1.
Ⅱ属性叙述 の用法に移る。
「属性叙述」については、以前簡単に紹介したが、「属性」の時間的性格については、関連する益岡隆志による属性の分類を紹介するに止め、正面からは論じなかった。
益岡による属性のタイプ
A 本来的な属性
A1 カテゴリー属性
A2 性質属性
B 事象から派生する属性
B1 習性属性
B2 履歴属性
(益岡、『日本語文論要綱』p7)
英語圏の言語学において、一時的な属性/状態の叙述と恒常的な属性の叙述との区別は、stage-level predicate(SLP) / individual-level predicate(ILP) の区別、すなわち語彙レベルでの区別として、ポピュラーな概念となっている。ただし、ここで触れる余裕はないが、個々の述語が必ずどちらか一方に分類されるのか、されるとしたら文脈による変動をどう捉えるか、といった問題は存在する。
日本語学、例えば益岡の捉え方では、属性は一時的なものでもあり得るし(A2の一部)、習慣が成立する期間のみのものでもあり得る(B1)ため、ILPの概念をそのまま適用することはできない。
また、「属性」を一種の状態と捉える場合、「状態」という概念自体、研究者によって異なって用いられてきたという問題がある(cf. 呉揚、「日本語の<状態><状態動詞>再考」)。
そこで、日本語使用の現状に即して、様々な「状態」「属性」を表す動詞を、時間的性格によって仕分けするという課題も生じるが、ここではその余裕が無いので、一時的な状態/性質、恒常的な状態/性質、さらに(数のような)無時間的な性質について述べることをひっくるめて、「属性叙述」としておく。すなわち、一時的な状態の叙述も、「属性叙述」になり得るものとする。そして、その「属性叙述」という概念は、あえて厳密に規定せずに進む。
2.
鈴木重幸「現代日本語動詞のテンス」では、ル形の「非アクチュアルな現在」を表す使用が三分され、前回見た「反復や習慣」の他に「コンスタントな属性の現在」及び「一時的な状態の現在」が含まれる。
「コンスタントな属性」には、ポテンシャルな性質や非連続的なくり返しも含まれる。
水は百度でふっとうする。
あさがおは夏さきます。
つばめは春日本にやってくる。(鈴木、同論文、p24-5)
従って、Ⅰの用法との区別があいまいなものも存在する。
「一時的な状態の現在」は、形容詞の場合、コンスタントな状態との違いは分かりやすい。
○○温泉のお湯はあつい。(コンスタント)
きょうのお湯はばかにあついね。(一時的)(同上、p)
動詞においても、次のような例に区別を見出すことができる。
あの子は(いつも)、小さな声でしゃべるよ。(コンスタント)
今日のあの子は、小さな声でしゃべるね。(一時的)
「コンスタントな属性」に見えるものも、よく考えると「一時的な状態」ではないかと疑われるものが少なくない。例えば、
地球は太陽の回りを自転しながら公転する。
は、地球の「一時的な状態」とは普通言わない。しかし、遠い未来にはそうでなくなるだろうことは知られている。
益岡の習慣属性をも「属性叙述」に含めるなら、その内にも恒常的でない属性の例が多数存在する。
このような方向で、〈恒常的/一時的〉 の境界を相対化/曖昧化することは可能だが、それはここでの関心ではない。それとは別の面に注目してみよう。
鈴木は動詞ル形の「一時的な状態の現在」の例として、次のようなものを挙げる。
・「眠ってますね、相変わらず。」「随分眠るな。もう十時間近く眠っている。」
・「ああ、いい風がくるね。」(p29)
そして次のように述べる。
このようなばあい、動きや変化は発言の瞬間にすでにおこったことか、現におこっていることであるが、これらの文は、主体の個々の動きや変化の実現をあらわしているのではなく、その質的、量的な側面を主体の属性として表現しているといえるであろう。そして、その属性は単に潜在的なものでなく、現に目のまえに顕在化している点で、コンスタントな属性の現在とことなっている。これをコンスタントな属性の変種とみるか、それから派生したものとみるかについてはなお検討を要する。(p29、下線は引用に際して付した。)
鈴木において、コンスタントな属性」文と「一時的な性質」文との区別は、「属性/性質」自体の時間的性格の差以上に、このような使用の差にあるような印象を受ける。
下線部に注意したい。これらの文と「主体の個々の動きや変化の実現をあらわす」文とは、どこで区別されるのだろうか?区別があいまいになる場合はないのだろうか?
当該の文の特徴を見ておこう。以下でも鈴木論文を主に参考とし、例文もそこから多く採る。
3.
「コンスタントな属性」文の場合によく見られる特徴や構文としては、次のようなものが挙げられる。
・益岡の謂う「主題+解説」構造をとる。主題は「~は」で示される。
・主語や対象語が総称的genericである。
世間は色々なことを言いますわ。
うちの子はマンガばかりよむ。
・一般的な条件を示す従属節(「...すれば、...したら、etc」)や副詞句(「常に、春に、100℃で、etc」)を伴う。
(この点において、Ⅰの用法との比較対照が可能である。前回言及した、「副詞による量化 A-Quantification」の観点」。)
・評価的な修飾語を伴う。
彼はじょうずに英語をはなします。
「あの人は大変にぎやかな人ですね。」~「ええ。よくしゃべります。」
・意味役割の面から。動態動詞が、<対象theme>の特徴付けに使われる場合、<動作主agent>は文表層から脱落し、<対象>は、「~は」の形で主語/主題となる。
(<動作主>が酒を米からつくる)⇒酒は米からつくります。
(<動作主>が、このおもちゃを電池でうごかす)⇒このおもちゃは電池でうごかします。
このような構文は、受け身文による属性叙述(「酒は米からつくられる」)と比較されるが、Ⅶ自発態/可能態の属性叙述(「島が窓から見える」)との関連も感じさせる。<動作主>の脱落はこれらに共通する。
4.
「一時的な性質」文の特徴(ここでは語用論的なものも含む)として、多く見られるのは、
・評価的な修飾語を伴う場合。
「随分眠るな。」
「ああ、いい風がくるね。」(鈴木、p29)
・目の前に顕在化している動作・状態について言われる。(すぐ上の例文もその例になっている。)
「ほら、みてごらん、ぼく、かもいに手がとどくよ。」(p29)
・目の前の行為・状態を取り上げて、非難、感心、あきれ、等、感情的評価の気持を込めて使われる場合。
「おまえは本当に俺を馬鹿にするね」
「聞捨てならんことをいいますね。どうして私が生徒をたきつけたというんです。」(p29)
・「はなしあい」のコンテクストで、相手に同意を求めるように使われる場合。上の諸例からもそれは見て取れようし、「ね」「よ」等の終助詞の使用もそれを現わしている。共同注意を促し、合意形成を図る発話。
5.
人称制限は、一般的には両方とも存在しない。
テイル形への移行について。コンスタントな属性の場合は、習慣相の「非限定的解釈」から「限定的解釈」への移行に類似する(前回を参照)。
うちの子はマンガばかり読む。
うちの子はマンガばかり読んでいる。
ここでも、副詞句、従属節との共起関係が問題となるが、今は立ち入らない。
ただし、恒常的な性質の場合、テイル形で述べることは(一般的な文脈では)不自然となりやすい。
あさがおは夏さきます。
?あさがおは夏さいています。
6の倍数は、2でも3でも割り切れます。
?6の倍数は、2でも3でも割り切れています。
一時的な性質の場合も、テイル形は可能である。
「ああ、いい風がくるね。」
「ああ、いい風がきているね。」
ただし、テイル形での使用がどこか不自然に感じられる場合も多い。
(?)お前は本当に俺を馬鹿にしているね。
?聞き捨てならんことを言っていますね。どうして私が...
これが単に個々の行為を記録する用法の場合は、テイル形でも不自然ではない。
(あの時)おまえは本当に俺を馬鹿にしたね/していたね。
(あんたは、あの時)聞き捨てならんことを言ったね/言っていましたね。
ここに見た、属性叙述とテイル形の相性の悪さには、やはり、属性を表現するという用法の性格が影響していると考えられるが、ここでは立ち入らない。
(工藤真由美は、<特性規定>という言葉を使って、これらの差異について述べている。(cf.『アスペクト・テンス体系とテクスト』p159)
また、説明は繰り返さないが、属性叙述と過去テンスをめぐって、ムードの’タ’、叙想的テンスという現象があり、当ブログでも関心を寄せてきた。そこでも述語のアスペクト的性質、<状態性>が隠れたポイントであった(cf.”叙想的テンスと状態性”)。
さらに付け加えるなら、このように属性/特性を規定する文の場合、「持続」のアスペクト(つまり)imperfectiveではなく、perfectiveが選好されることをどう捉えるか?またそのような文の使用をどう特徴づけるか?というのが、当ブログがウィトゲンシュタインのアスペクト知覚論や美学論を読みつつ、ずっと保持してきた問いである。cf. 2021-10-25, 2022-02-11 )
話し言葉への変更は、一般に問題はない。特に、「はなしあい」のテクストにおいて、相手の同意を得るかのように、「ね」「よ」「な」等の終助詞がしばしば用いられることに注意したい。
そこで、ここまで見てきた用法のTTやTo についてどう捉えるかという問題であるが、のちに見てゆく特徴的な構文を含めて、非常に多種多様な例が存在するため、今の段階でまとめるのは止めておこう。
6.
さて、Ⅱ属性叙述 に分類できるル形動詞文のうちに、特殊な構文をとるものが多数観察される。第四種動詞のル形用法もその一つであった。次回から、それについて見てゆこう。