1.
ここまで扱ってきた「イタリア北部にはアルプスの山々がそびえる。」「南北に約750㎞、東西約120㎞のエリアに26の環礁が浮かぶ。」といった文は、習慣を表わす文とは異なり、繰り返される事象を表現するものではない。そのためか、西田論文には、これらの文を習慣文と比較する視点はない。(今後、このような文を、西田に従って、「恒常性用法」と呼ぶ。)
西田は、奥田靖雄の言葉を用いて、「恒常性用法」を「アクチュアルでない現在」の表現であるとした(西田論文、p4)。同じく奥田に影響を受けた鈴木重幸は、ル形による習慣相の文を、「非アクチュアルな現在」の表現の一種とした。鈴木によれば、「非アクチュアルな現在」とは、
これは、動きや変化の現実の特定の一つの時間への関係づけが捨象または一般化されて、不特定、不定数の時間に関係づけられること、あるいはその可能性があることをあらわすものである。発言の瞬間にはその動きや変化は非アクチュアル、ポテンシャルである。非連続的に不定数くりかえされる動きや変化をあらわしたり、主体(対象)にポテンシャルに関係して、それを特徴づける動きや変化をあらわしたりする。(鈴木、「現代日本語の動詞のテンス」、p16)
(鈴木は、ル形による「非アクチュアルな現在」の表現をいくつかに分類しているが、これについては後述する。)
とすれば、<「アクチュアル」でない現在>の表現という点において、「恒常性用法」とル形習慣文とを比較することも無益ではないだろう。(もちろん、西田と鈴木で「非アクチュアル」の意味には多少ズレがあるかもしれない。)
その場合、まず気づく相違点がある。「恒常性用法」は、専ら「書き言葉」や特殊な状況(ビデオのナレーションなど)で用いられるのに対し、ル形習慣文は普段の「話し言葉」においても用いられる、という点である。
私は毎朝6時に{起きる/起きます}。
したがって、前回行ったような、文末にヨ・ネ・マスが付加できるか否かのテストの結果は、いずれも可となり、その点でテイル形習慣文との違いはない。
私は毎朝6時に{起きるよ/起きているよ}。
私は毎朝6時に{起きるね/起きているね}。
私は毎朝6時に{起きます/起きています}。
2.
ル形習慣文と時間的副詞句の共起の問題、テイル形習慣文との違いについて。
前々回、特定の時間的副詞句との共起可能性をめぐって、ル形「恒常性用法」とテイル形同内容文との相違を確認した。それとパラレルな、ル形習慣文とテイル形習慣文との違い、コントラストが見出されるだろうか?
たしかに、習慣文においても、副詞句との共起関係における違いが認められる。しかし、「恒常性用法」の場合と同じ副詞句で同じコントラストが示されるわけではないので議論は複雑になる。それを別にしても、ル形習慣文と時間的副詞句との共起の問題を精確に捉えるのは容易ではない。
影山は、恒常性用法について、次のような対照を示した(前々回を参照)。
*上海には{今まさに / 今のところ}数々の超高層ビルがそびえる。
上海には{今まさに / 今のところ}数々の超高層ビルがそびえている。
*信州には{何千年ものあいだ / 今まさに}3000m級の山々がそびえる。
信州には{何千年ものあいだ / 今まさに}3000m級の山々がそびえている。
ここで挙げられた、「今まさに」「今のところ」「何千年ものあいだ」のような副詞句について見てみよう。
「今まさに」を「~している」とつなげると、テイル形は動作継続の読みになりやすい。よって、「今」で代用してみよう。次のような例が考えられる。
あの頃は延ばし放題でしたが、今は、ひげは毎日{剃ります/剃っています}。
今のところ、私は、スーパーでは現金で{払います/払っています}。
これらの例では、ル形、テイル形とも共起可能のようである。
鈴木は、「このごろ、今は、今では、今でも、最近は......」など過去から現在にかけての漠然とした期間を表わす副詞句や「去年から、~してから、~以来、...」などの期間を表わす副詞句は、ル形習慣文とも共起する、と言い、次の例を挙げている(cf. 鈴木、p23)。
このごろはパイプタバコをすいます。
今では弟が手つだってくれます。
女房がしんでからは、わたしが子どものめんどうをみます。
しかし、主体の一時的な状態を表わす次のような例では、テイル形が自然で、ル形はどこか不自然に感じられよう。
太郎は最近ジョギングをしている/?する。(野田高広「現代日本語の習慣相と一時性」p197、下線は引用に際し挿入。)
もう少し違いがわかりやすいのは、「何千年ものあいだ」のような、特定の期間を表わす副詞句の場合である。
地球は太陽の周囲を{回る/回っている}。
何億年もの間、地球は太陽の回りを{?回る/回っている}。
私は、朝6時に{起きます/起きています}。
私は、ここ3日、朝6時に{*起きます/起きています}。
比較した場合、地球の例の方が、ル形の許容度は高くなりそうである。
以前、次のような例を挙げたことがある。
殺人が起きたのは夜11時頃と推定されたが、容疑者Aは、殺人が起こった日の4日前から、夜9時から3時までの深夜アルバイトを{していた/*した}。
野田、上記論文では、次のような例が挙げられ、テイル形をとる理由が単に期間の長短によるのではないことが論じられている(p198, 206)。
太郎は小学生の頃からジョギングを{している/*する}。
太郎は30年前からタバコを{吸っている/*吸う}。
私は一昨年から毎朝、公園を{走っています/*走ります}。
ただし、これらの例では、ル形を許容する話者も少なからず存在するように思われる。あるいは、その可否は、文脈が大きく影響することが考えられる。
期間を表わす副詞句であっても、両方とも共起可能な場合もある。(ただし、下の例はタ形であり、過去の習慣文であるが)
父は約60年間、自動車を{運転した/運転していた}が、先日免許を返上した。
父は80歳になるまで、毎日、晩酌を{した/していた}。
このように、「今は」、「このごろ」のような漠然とした副詞句においても、期間の副詞句との共起関係においても、単純な一般化は困難である。
これらの事例に影響する要因として考えられることに、文を主語の特性規定に使用する場合に、ル形が選好されるということがある。つまり、属性叙述におけるル形との親和性、である。工藤真由美は、「個別主体であれ、一般的主体であれ、次のように<特性規定>の文となった場合には、スルのみである。」(工藤、『アスペクト・テンス体系とテクスト』、p159)と述べているが、工藤の<特性規定>は属性叙述に相当する。
次の例を見よう(鈴木、p24)。
水は百度でふっとうする。
酒は米からつくります。
鈴木は、ル形による「非アクチュアルな現在」の表現を大きく分け、(1)非連続のくり返しの現在(2)コンスタントな属性の現在(3)一時的な状態の現在、を挙げている。上の例文は⑵に属する。
⑶の例は、
「眠っていますね。相変わらず」「随分眠るな。もう十時間近く眠っている」
「ああ、いい風がくるね」 (鈴木、p29)
⑶に属する文も、鈴木によれば、その機能は属性叙述である。
これらの文は、主体の個々の動きや変化の実現をあらわしているのではなく、その質的、量的な側面を主体の属性として表現しているといえるであろう。(鈴木、p29)
(1)と(3)の中間として、ある特定の期間における主体の習性属性(益岡隆志)を規定する文章が存在するだろう。
例えば、上の例で、
このごろはパイプタバコをすいます。
今では弟が手つだってくれます。
女房がしんでからは、わたしが子どものめんどうをみます。
それぞれの文は、「このごろ」、「今頃」「女房の死後」という期間における、主体の属性叙述に使用されている、と見ることができる。もう少し言うなら、主体を、その期間において、そのような特性を持った存在として措定するはたらきがある。このようにいわば、「特定の期間における属性」の叙述と言うべきものが存在する。
反対に、
私は、ここ3日、朝6時に{起きています/*起きます}。
で ル形が許容されにくいのは、「朝6時に起きる」という習性属性を「ここ3日」という期間について規定することが(一般的には)不自然なせいではないか。このような文は一時的な事象の叙述と見ることができる。
ただし、往々にして、一時的な状態を属性として述べる文と、一時的な事象として述べる文とは区別が困難な場合があるだろう。また、文脈の中で、一方が他方に転用されることもあるだろう。
(※この区別と転用の問題は、ウィトゲンシュタインにおける文法的命題と経験的命題の区別問題、一方から他方への転用の問題を思い出させる。さらに言うなら、鈴木の⑶は、ウィトゲンシュタインの「美学的説明」に類比可能であろう。「その属性は単に潜在的なものでなく、現に目のまえに顕在化している点で、コンスタントな属性の現在とことなっている。」(鈴木、p29。下線は引用に際して挿入。))
ル形/テイル形の選択の問題には、文の情報構造の影響をも考慮に入れる必要があるかもしれない。ただし、今は詳しく立入る余裕はない。
3.
習慣文と時間的副詞句の共起の問題を十分に解明することはこの場では不可能である。
ここでは、当ブログが方法的に準拠してきたWolfgang Kleinの時制論をベースに、現時点での仮説として、習慣文について次のように考えておきたい。
・日本語の習慣相は、限定的用法と非限定的用法とに分けられる。限定的用法は、もっぱらテイル形をとる。非限定的用法は、事象のアスペクトによって、テイル形、ル形が使い分けられる。(<限定的/非限定的用法>は、野田、上記論文における<限定的/非限定的解釈>を、用語的にアレンジしたものである。cf. "テイル形と習慣用法")
・非限定的用法は、Kleinの言う"habitual"に相当し、ある期間における、複数のTopic timeを表現する。
・複数のTTを包むより広い期間は、高橋太郎の言葉を用いれば、「ひろげられた現在」、「ひろげられた過去」である(高橋、『現代日本語動詞のアスペクトとテンス』p169, 196)。これを、暫定的にDomain of Topic time(DTT)と呼んでおこう。
・時間副詞句によって表された期間を仮にPeriod of temporal adverbial(Ptadv)と名付けておく。文が複数の時間的副詞句を含む場合は、より広い期間の方をPtadvとする。
・限定的用法では、PtadvはそのままTopic time(TT)となり、TTはTime of situation(TSit)の部分をなす。アスペクト的にはimperfectiveであり、専ら、テイル形をとる。
Ptadv=TT, TT⊆TSit
非限定的用法では、Ptadvは基本的にDTTを表す。アスペクト的には、ル形もテイル形も取り得る。
Ptadv=DTT, DTT⊃TT, すべてのTTについてTT⊃TSit、あるいはTT⊆TSitのいずれか
(Kleinによる<perfective/imperfective>の定式化については、"2022/06/01" を参照。)
・Ptadvが、複数のTTがとれないような短いものである場合、非限定的用法は表現できず、ル形はとれない。ただし、限定的用法は、一般にそのような短い期間についても表現可能である。
・文が主体の属性叙述に使用される場合は、ル形が選好され、非限定的用法となる。
4.
属性叙述とル形の結びつきは、まさに「恒常性用法」が、その一例となっている。習慣文の場合にも同じく、属性叙述とル形の親和性というう現象を認めることができよう。だが、時間的副詞句との共起関係に関しては、それがそれぞれ異なった結果をもたらすために議論が複雑になっている。
また最初に確認したように、習慣文の場合、<はなしあいのテクスト>においてもル形が許容される点が、恒常性用法と異なっている。
ところが、習慣や属性を叙述すると思われるのに、ル形が許容されない一群の動詞が存在し、第四種動詞との類比を呼び起こす。ここに、恒常性用法と習慣文との類比がさらなる興味を呼ぶ理由がある。それについては次回へ。