第四種動詞の周辺(1)

1.

このところ、迂回に次ぐ迂回、蛇行に次ぐ蛇行で、全体的な話の筋が非常に捉えにくくなっているので整理しておこう。

例の、微積分に類似した「言語」(記号系)を構成した狙いについて、進行相の文に「解釈の構造」を見て取ることにある、と主張した。その「解釈の構造」が、進行文の、説明や推測の機能を実現するのだ、とも(”テイル形と解釈の構造”)。

そこで、寺村秀夫の示唆に従って、日本語のテイル形一般に「解釈の構造」を見て取る可能性を追求し、それと絡めて、進行相の文が可能にする「推測」の機能について明らかにするつもりだった。しかし、そこからは迂回と蛇行の連続で、「推測」のテーマが埋もれてしまうことになった。

ともかく、テイル形の機能一般に「解釈の構造」を見ることには、いくつかのハードルが存在した。テイル形の①習慣・反復用法②回顧的用法③第四種動詞の語尾の場合、である。

①については、動作継続のテイルの自然な拡張で、この用法が得られることを示した。その際、習慣的用法にまとめられるものの内部に注意すべき区別があることについて触れた(”テイル形と習慣用法”)。

②について解明するために、<パーフェクト>の概念の明確化を試みた(”テイル形とパーフェクト”)。また、②の内部に、記録用法と過去的用法という区別を認めた("テイル形の記録用法”)。

そして、②とタ形との使用上の重なりと相違について明らかにするため、井上優の論文に依拠して、まずタ形の使用条件について論じた("タ形の使用条件”)。

その上で、井上の「統括主題」の概念を用いることで、②にも「解釈の構造」を読み取ることが可能、とした("テイル形と「統括主題」”)。

だがそれだけでは、②とタ形の使用上の重なりについて不明瞭さが残った。そこで、「タ形に<パーフェクト>を認めるべきか?」という話題を経由した後、タ/テイルの使用を決定する要因について考えた(" タ形とパーフェクト”,”かたり/はなしあい ")。

そこで前面に出てきたのが、テクストの構造、性格という問題だった。その中でも、<かたり/はなしあい>という対立的なテクストの性格が与える影響については、すぐには見てとり難かった。

そこで、その解明を兼ねて、③に改めて焦点を当てようとしている。「推測」のテーマに戻るのは、まだまだ、はるか?先になる。

(このようにあえて蛇行しながら進むことを選ぶのは、途上で手許の道具=概念を増やす、新たな視点を獲得する、という利点があるから、何よりもそのような概念・視点が必要だから、である。)

 

2.

「第四種動詞」の概念は、金田一春彦が提唱した。彼は。「国語動詞の一分類」の中で。アスペクトの観点からみると、日本語の動詞には4種の類型を立てることができる、と主張した。説明は省くが、1. 状態動詞、2. 継続動詞、3. 瞬間動詞、と続く。

そして、4番目のものを、「第四種の動詞」と名付けている。

最後に第四種の動詞として挙げたいものは、時間の観念を含まない点で第一種の動詞と似ているが、第一種の動詞が、ある状態にあることを表わすのに対して、ある状態を帯びることを表わす動詞と言いたいものである。例えば、「山が聳えている」の「聳える」がこれである。この種の動詞は、いつも「―ている」の形で状態を表わすのに用い、ただ「聳える」だけの単独の形で動作・作用を表わすために用いることがないのを特色とする。......このような動詞としては、まだ、「あの人は高い鼻をしている」の「する」などがある。これも「―ている」をつけない形は用いられない。

金田一、同論文、p8-9、強調部分、原文では波線。)

彼が、第四種動詞に属するとした動詞に、次のようなものがある。

すぐれる、ずばぬける、ありふれる、才気走る、にやける、ばかげる、紳士然とする、しんねりむっつりする、のんべんだらりとする (cf. 同論文、p10-11)

次のような分類の揺れに注目したい。

第三の瞬間動詞と第四種の動詞とを兼ねているものも少なくない。釘や火箸のようなものに対して、「この釘(火箸)は曲がっている」と言う時は、その釘や火箸は曽て真ッ直ぐだったのが、ある時に曲がったのであるからこの「曲がる」は瞬間動詞であるが、「この道は曲がっている」と言う時は、初めから曲がっているのであるから第四種の動詞の例である。(同上、p11)

第一の状態動詞と第四種の動詞とを兼ねているものもある。「違う」は、下足番に対して、「この下駄は違う」とも言えるし、「この下駄は違っている」とも言える。唯、「違う」とだけいう時は状態動詞であり、「違っている」という時は第四種の動詞である。(同上、p11)

 

3.

金田一の説によれば、動詞の語彙的アスペクトとして、「第四種の動詞」に分類されるカテゴリーがあり、なぜかはわからないが(?)、そのカテゴリの動詞はテイル形の語尾しかとらないことになる(結局、その「なぜ」は説明されていない)。しかも、上の引用に見るように、「違う」と「違っている」とは、同じ意味でありながら?、語彙のレベルで異なったカテゴリーに属する、異なった動詞であることになってしまい、とても不自然に感じられる。

また、上で出ている、瞬間動詞との区別の問題を見てみよう。

金田一が第四種動詞の例に挙げた「聳える」について考えてみる。確かに、通常、「聳える」は「聳えている(ていた)」というテイル形でしか用いられる機会はないだろう。「彼の眼前に、ヒマラヤの峰々が聳えていた」と言えても、「彼の眼前に、ヒマラヤの峰々が聳えた」とは決して言わない。

しかし、次のように空想してみる。数十億年の寿命を持つ、知的生命体が、太古の地球に飛来し、ある場所で、数億年のスケールで定点観測に従事する。「その頃、彼/彼女の前方の場所には、プレート衝突による造山運動の結果、ヒマラヤの峰々が聳えた」は、この空想の世界の描写としては、意味のある文であろう。

確かに、金田一の挙げた、「すぐれる」「ずば抜ける」「ばかげる」等についてはル形での使用を思い描くことが難しい。だが、このように、金田一が第四種動詞に分類したものの中にさらなる差異が認められるのは事実である。

 

4.

その問題は措いて、次回はこの問題に対する寺村秀夫のアプローチを再び見てみよう。