1.
ル形 / テイル形に関しては、習慣相においても、使い分けるべき場合とどちらも使用可能な場合とが混在している。
これについて、詳細な解明は別として、基本的な構造を確認しておく必要がある。
2.
以前、テイル形で現在継続している習慣を表わすのは、テイル形で現在継続している動作を表わすのと(基本的には)同様な使用である、と述べた(”テイル形と 解釈の構造”)。その意味をまず明らかにしよう。
テイル形が習慣を表わす仕組みは、反復相の例に類比すればわかりやすくなる。
これまで通り、Wolfgang Kleinによるアスペクトの定義に準拠して考えてみよう。
「咳をする」「ドアをノックする」等、semelfactive に分類される語彙的アスペクトを持つ動詞のテイル形について見てみよう。
「太郎は、美子が話している間中、咳をしていた」
この文のtopic time(TT) は、「美子が話している間」である。
一回の「咳をする」に要する時間は、1秒に満たない、ごく短い期間である。
2つの期間の大きさの関係を
[太郎が(一回)咳をする]<[美子が話す]
と表そう。
上の文のアスペクトはテイル形であり、imperfectiveである。Kleinの定義によれば、TT⊆Time of Situation(TSit)のはずである。
例えば、次の文を見てみよう。
「美子は、太郎が話している間中、編み物をしていた」
ここでは、[太郎が話す]≤[美子が編み物をする]であり、文はTT⊆TSitを表しており、imperfectiveの定義にかなう。
しかし、先の文のTSit を、「(一回)咳をする」期間と考えるなら、imperfectiveの定義は満たされない。
そこで、われわれは、「(複数回)咳をする」期間、正確には「咳を一定の頻度でし続ける」期間、を上の文のTSit とみなす読み を施すことによって、文法的に適格な文として使用している。
すなわち、
[美子が話す]≤[太郎が(複数回)咳をする]
あるいは、
[美子が話す]≤[太郎が咳を一定の頻度でし続ける]
これによって、TT⊆TSit となる。
(この読みが容易に行われるのは、「咳をする」という動詞句の意味に行為の回数の規定は含まれていない、と我々が通常見なしているからである。)
3.
テイル形を用いた習慣相の表現についても、同様の場合を見ることができる。
・殺人が起きたのは夜11時頃と推定されたが、容疑者Aは、殺人が起こった日の4日前から、9時から3時までの深夜アルバイトをしていた/*した。
・三郎は、ここ一年程、朝食にオートミールを食べている/*食べる。
この「反復ないし習慣」的な用法は、それぞれの文のTT(「近頃」「ここ一年程」)が、くりかえされる事態からなる過程、の一部であることを示している。それは、テイル形の基本的な機能(すなわちimperfective)に沿うものとみなせる。
4.
そこで問題は、テイル形を用いない習慣相の文があること、また、テイル形を用いた習慣相の文の中に上のしくみに依らないものがあること、である。
a. 私が訪ねると、妹はいつもテレビを見た。
b. 私が訪ねると、妹はいつもテレビを見ていた。
a.,b. ともに習慣的なものを表わす文であるが、a. はル形、b. はテイル形により、語尾以外は共通している。
2つの文のTTは、いずれも「私が訪ねた時(複数)」である。そして、ル形/テイル形の対立によるアスペクト的な違いが、意味の違いとなっている。
すなわち、a. は、「私が訪ねた」個々の期間に「妹がテレビを見る」というSituationが生じる、という状況が繰り返されたこと(つまり、TT⊃TSitの反復)、
b. は、「私が訪ねた」個々の時はいつも、「妹がテレビを見る」というSituationの期間に含まれていたこと(TT⊆TSitの反復)、である。これは、上に出てきたテイル形による習慣相の場合とは異なって、一つの期間が、くり返しからなる全体の過程に含まれていることを表すものではない。
理解のために、2つの研究を参照したい。
Wolfgang Klein は、"iterative" と "habitual" を区別している。
...話し手は、単一のtopic time の代わりに、topic time の系列について語ることもできる。これは、‘habitual’ と呼ばれる用法であり、その例は、I used to havew a berr in the evening や Once a month ,my father winds up the clockである。これらを、iterativesのような、lexical contentを‘inner quantification’する場合と区別しなければならない。後の場合には、内容は一つであるが複数化されたlexical content が、単一のTTにリンクされる。それに対し、habitual の場合には、同じlexical content が複数のTTにリンクされるのである。(Klein, Time in Language, p47)
そして、多くの言語で ' habitual' は、上のa.,b. のように、perfective marking とも、imperfective marking とも両立していることが注目される(ibid.,p48)。
野田高広は、日本語の習慣相を、非限定的解釈と限定的解釈に二分して捉えている(野田「現代日本語の習慣相と一時性」)。
「非限定的解釈」による習慣相は、「期間が限定されておらず、無時間的」であり、(習慣を構成する)「個々の事態間に厳密な意味での連続性はない。」
「限定的解釈」は、「期間が限定されており、その範囲内に対象世界的には離散的に存在する個々の事態は連続体として把握される。」(野田、p203)
そして、次のように仮定している。
習慣相とされるものの中には、非限定的解釈と限定的解釈とが含まれる。そして、原則として、非限定的解釈の場合にはル形が、限定的解釈の場合にはテイル形が選択される。(野田、p203、強調は引用に際して付加。)
先に、テイル形を用いる習慣相、と呼んだもの、たとえば、「三郎は、ここ一年程、朝食にオートミールを食べている」は、「限定的解釈」の例である。
しかし、b. は、テイル形を用いた習慣相の文であるにもかかわらず、「限定的解釈」ではない。そして、先に見たように、ル形/テイル形のアスペクト的対立による意味の違いが、表現された個々の場面において効いている。
つまり、b. は「非限定解釈」の一例であり、「非限定解釈」は、テイル形をも許容するのである。
「限定的解釈」は、一つの限定されたTTに関り、「非限定的解釈」は、一つに限定されない、TTの系列に関わる。
すなわち、「非限定解釈」はKlein の言う 'habitual' に、「限定的解釈」は 'iterative' に相当する、と言えよう。
とはいえ、注意すべきは、一定の期間を舞台とした非限定的解釈、と言うべきものが存在することである。
c. 父は、80歳になるまで、毎日、晩酌をした。
野田は「非限定的解釈」を「無時間的」と特徴づけているが、例えばa.,b.,c. は、過去から未来にわたる永続的な状況を表しているわけではない。
それでも、「非限定的解釈」による習慣相の文を、属性叙述文(⇔事象叙述文)のような「無時間的」な文に類比することは妥当だと思われる。あるいは、総称性genericity の観点から、2種の習慣文を眺めることも必要である。
ただし今は、これらの問題に進むことはできない。
5.
以上を踏まえて、習慣相における、ル形/テイル形の使い分けについて簡単にまとめよう。
まず、習慣相が、「非限定的解釈」によるものか、「限定的解釈」によるものか、が問題となる。
限定的解釈による場合は、テイル形が義務的となる(3. の2つの例文を参照)。
非限定的解釈の文においては、ル形/テイル形のアスペクト対立が、反復されるsituationの描出に現れる(上のa., b.を参照)。
では、限定的解釈を選択するか、非限定的解釈を選ぶか、はどう決定されるのか?
これは、また別種の問題であり、決定的な影響を及ぼすのはテクストの構造であろう。ここで検討するには大きすぎるので、その問題には立ち入らない。