第四種動詞の周辺(6)

1.

まず、「属性叙述」とは、どのようなものか?

文による叙述に2つの対立的な様式が認められるという見方を、国語学/日本語学において導入したのは、佐久間鼎である。佐久間は、叙述の働きをする文を「いひたて」の文 と呼び、その内に、「物語り文」・「品さだめ文」という区別が存在すると説いた。

「物語り文」は、「事件の成行を述べるといふ役目に応じるもの」であり、「品さだめ文」とは「物事の性質や状態を述べたり、判断をいひあらはしたりといふ役割をあてがはれるもの」であるとされた。彼の見方で注目されるのは、物語り文と品さだめ文におけるこうような「機能上の相違」が文の構造に反映されると論じている点である。例えば、品さだめ文の特徴の一つとして、「~は」という「提題」の形をとる点が挙げられている(以上、益岡隆志『日本語文論要綱』p213に依った)。

このように、文の機能と構造の両面から、叙述文のタイプについて論じることを叙述類型論と呼ぶ。

その後、益岡隆志は、「現実世界に属する具体的・抽象的実在物を対象として取り上げ、それが有する何らかの属性を述べる」=「属性叙述」、「現実世界の或る時空間に実現・存在する事象を叙述する」=「事象叙述」、という2つの類型を立てて論じた。それぞれが、佐久間の「品さだめ文」、「物語り文」に相当する(益岡『命題の文法』p21)。

益岡によれば、属性叙述命題は、対象を表わす「主語」と、対象の有する属性を表わす「述語句」から成り、この2つの成分は、命題において対等な主要素として結びついている(益岡の謂う「主語・述語句構造」)。この構造は、のちに「主題+解説」の構造と呼ばれることになる。というのも、属性叙述文は、一般に対象表示成分が「主題」(「名詞+ハ」)の形式で表される、という特徴を持つからである。すなわち、属性叙述文は、一般的に「有題文」の形をとる。

それに対し、事象叙述命題では、述語が主要素となり、それ以外の成分は述語に何らかの意味で従属する要素である(益岡の謂う「述語・補足語構造」)。事象叙述における「主語」は、述語の補足語の一つであり、属性叙述の場合のような、文の主要素としての優位性を持たない。(ただし、文脈的な状況から「主題」化することはあり得る。つまり、事象叙述の主語が「~ハ」という形をとったり、「総記」の「~ガ」をとることもある。)(以上、益岡『命題の文法』p23-5)

益岡は、その後の『日本語文論要綱』(2021)で、属性叙述文、事象叙述文のさらなる規定を与えているが、大元の構造に変更はない。

事象叙述においてポイントとなるのは、「特定の時空間と叙述内容との結びつき」である。ゆえに、テンス、アスペクトが大きな役割を果たす。

対して、属性叙述文は、恒常的に成り立つ属性や、非時間的な性質を叙述する。益岡は、それを次のように整理分類する。

すなわち、属性のタイプとして、

A 本来的な属性

 A1 カテゴリー属性

 A2  性質属性

B 事象から派生する属性

 B1 習性属性

 B2 履歴属性

を挙げる。

それぞれの説明は省略するが、一つ、過去の履歴も、属性となりうることに注意しておきたい。

すなわちB2にあたるが、ある特定の時空間で起こった事象が、当該の対象に”履歴”として登録される場合である。登録された履歴は、その時間を越えて、当該の対象の”記録”として残ることになる。

履歴属性叙述の例) あの人は以然、地元のマラソン大会で優勝した。

(益岡『日本語文論要綱』p6-7)

 

2.

影山の挙げた例を再掲する。(影山太郎「属性叙述の文法的意義」p24)

a. イタリア北部にはアルプスの山々がそびえる。

b. そのゴルフコースの正面には富士山がそびえる。

c. 支笏湖は、北側には恵庭岳、南側には風不死岳と樽前山がそびえる。

d. 上海には数々の超高層ビルがそびえる。

いずれの文も、「そびえる」を「そびえている」に変えても、意味は変わらないように見える。

そこで影山は、これらが属性叙述文であること、そして「そびえている」に変えた文とは用法に違いがあることを、二つの点から示している(影山、同上、p25-7)。

①(点的な)期間に限定する時間的副詞と共起しない

*上海には{今まさに / 今のところ}数々の超高層ビルがそびえる。

上海には{今まさに / 今のところ}数々の超高層ビルがそびえている。

 

*信州には{何千年ものあいだ / 今まさに}3000m級の山々がそびえる。

信州には{何千年ものあいだ / 今まさに}3000m級の山々がそびえている。

②知覚動詞の補文に現れることができない(テイル形ならできる)。

*向こうの方に超高層ビルがそびえるのを見た。

向こうの方に超高層ビルがそびえているのを見た。

(この問題には以前触れたことがあるが、今は立ち入らない。)

 

3.

「そびえる」文の属性が何の属性であるかを見てゆこう。

興味深いことに、上の例文は、いずれも「~がそびえる」と、そびえている主体はどれもガ格をとっており、上の属性叙述の解説で述べたような、「主題(提題)」の「~ハ」をとる文とはなっていない。

影山は、上の例文がいずれも場所格の名詞を含んでいることに注目する。例えば、「イタリア北部には」、「支笏湖は」のように。そして、「そびえる」文から、ガ格主語、場所格名詞のどちらを除いても、非文となることに注意する。

*アルプスの山々がそびえる。

*イタリア北部にはそびえる。

 

*数々の超高層ビルがそびえる。

*上海にはそびえる。

それに対し、「そびえている」文では、「~ニ」という場所格句が省略される用法も多いことを指摘する。

…邸があっという間に壊され、樹は伐られ、ブルドーザーでならされ、忽然とビルの鉄骨がそびえている。(奥野健男『文学は死滅するか』、影山による引用、p28)

影山は、ここから、「そびえる」文の叙述する対象は、主語名詞句ではなく、場所格名詞句である、とする。

事実、上の例文は、「支笏湖は、...」を除いて、場所格名詞句が「~ニハ」と、格助詞「ハ」によって主題化されている。また、むしろその方が自然な用法である、と影山は言う。

そして、事象叙述の「そびえている」が、主語名詞句について叙述する1項動詞であるのに対し、属性叙述の「そびえる」は、意味解釈において、0項の非人称動詞となっている、と言う。影山は、これを、<属性叙述における他動性transitivity の低下>という一般的原則の内に位置づける。

 

以前軽く触れておいたが、三上章が、所動詞と場所との関係の深さについて指摘していたことが思い出される。(すなわち、他動性の低下と場所の主題化)

所動詞は必ず所に基づくとは言えないが、所動詞には位格を要求するものが多い。…位格を先頭に立てるのが多い。(三上、『現代語法序説』、p107)

影山は、上の例文が示すように、属性叙述の「そびえる」文では、場所格が文頭に来る必要があることを指摘している。

イタリア北部には、アルプスの山々がそびえる。

*アルプスの山々が/は、イタリア北部にはそびえる。

これに対し、事象叙述文では、語順は比較的自由である。

向こうにアルプスの山々がそびえている。

アルプスの山々が向こうにそびえている。

 

4.

影山は、「そびえる」以外にも同様の属性叙述機能を有する動詞があると指摘し、インターネットからの例として、次のものを挙げている。

参道には、樹齢250年以上の古木がうっそうと茂る

上海には超高層ビル林立/屹立する

ロデオ・ドライブには高級ブランドの店が軒を連ねる

熊本県東部には阿蘇山などの九州山地横たわる

いずれも、場所格名詞句(~ニハ)を伴っている。「茂る」「横たわる」には動的事象・動作を表わす用法もあるが、ここでは状態を表現している。また、「林立(屹立)する」は、元は動作を表わす動詞であるはずなのに、実際にはル形で使用する機会が(ほぼ)ない点で「そびえる」に似ている。すなわち、これらは第四種動詞に分類される動詞であろう。もし話し言葉に転換すれば(多くの場合)テイル形をとらなければならない。

参道には、樹齢250年以上の古木がうっそうと茂っています(*茂ります)。

上海には、超高層ビルが林立/屹立しています(*します)。

だが、例えば、地域を紹介するドキュメンタリーのナレーションでは、ル形(「~ます」)も(用例によっては)許容されるのではないか。つまり、話し手が聞き手に対し一方的に知識を伝授する役割を期待されるような状況においては。

この、書き言葉/話し言葉の問題と、話し手/聞き手間の「非対称」性の問題に切り込んだ研究があるので、次回に見てゆきたい。