テイル形と「統括主題」

1.

続いて、「シタ」に交換できる、「シテイル」の過去テンス用法(井上は「過去的用法」と呼ぶ)について見てゆく。

その場合、「シタ」が使えるわけだから、事象の経過を、話し手は把握できているはずである(前々回を参照)。

それにも関わらず、「シテイル」が使われる背景について、井上は、

過去の出来事を「現在も有効なある状態に従属する一局面」としてとらえる

(井上優、「現代日本語の「タ」」p113)

ことがある、と言う。

つまり、過去的用法の「pシテイル」とは、「出来事pの背後にある“統括主題”としての状態は現在も有効である」(過去から現在にいたるまで、ある統括主題のもとで類似の出来事が起こっている)ということを暗示しつつ、出来事pをその統括主題に従属する出来事の一事例として述べる表現である(同上、p113)

さらに井上は、「シタ」に交換できない「記録用法」をも含めて、テイル形の「パーフェクト形式」のもつパーフェクト性とは、

当該の出来事を、設定時において有効な統括主題としての状態に従属する一事例として述べる。(同上。p123)

こととして、一般化できると言う。

 

もしそうであれば、テイル形は、「パーフェクト形式」においても、「あるTopic Time内のsituationを、全体的situationに従属する部分として示す」という、imperfectiveの機能を果たしていることになり、「解釈の構造」が保持されていることになるだろう。

すなわち、「当該の出来事」=Topic time内のsituation、「統括主題としての状態」=全体的situation、である。

(ここで、統括主題が、状態として捉えられていることに注意したい。)

ただし、気になるのは、”統括主題”という概念の曖昧さである。それは、テクストの中で、どのように表れ、どのように把握されるものなのか。

 

2.

ここで、使用されている用語を整理しておこう。

井上は、テイル形の、過去の出来事を述べる用法について、「当該の出来事を、ある時点までに実現済みの出来事、あるいはある時点までの経過・経歴として述べる用法」とし、「いわゆる経験・記録用法」と呼んでいる(p107)。そして、それを工藤真由美の言う「パーフェクト形式」に含める(p107, 123)。一方、「経験・記録用法」は、(工藤「シテイル形式の意味記述」に倣って)「記録用法」、「過去的用法」に分割できる、としている(p110)。

(テイル形の)

「パーフェクト形式」⊇「経験・記録用法」

「経験・記録用法」=「記録用法」+「過去的用法」

「記録用法」:タ形でおきかえられない

「過去的用法」:タ形でおきかえられる

 

井上が捉える「パーフェクト形式」とは、「当該の出来事」にスポットを当て、それを「(後続する)設定時の統括主題」に従属するものとして述べるものだが、過去の出来事の方が前景化する点で、マズローの言う「行為的パーフェクト」に該当している。

これに対し、

設定時の状況(ないし状態)を、それ以前に終了した出来事の結果として解釈・理解し表現する

ことが、テイル形の<結果残存>用法である。ここでは設定時の状況(状態)の方が前景化する。これはマズローの「状態的パーフェクト」に相当する。

寺村の議論のように、テイル形と感覚のはたらきとの結びつきがほのめかされる場合、まず念頭に置かれているのは、「状態的パーフェクト」の場合である、と言えよう。というのも、直接に感覚されるものは、現在の事象に限られるからである。

 

しかし、前回見たように、「記録用法」は、顕在的には動作的パーフェクトでありながら、潜在的には状態的パーフェクトの構造を持っている。というのも、「当該の出来事を、「現存する記録や痕跡を介してのみ把握可能な出来事」として述べる表現」(井上、p111、強調は引用者)が、記録用法だからである。そこで解釈を受けているのは「現存する記録や痕跡」だが、そのことは顕在的には述べられていないのである。

 

3.

さて、「過去的用法」に関する、井上の主張の内容を簡潔に見てゆこう。

同じ出来事の叙述で、タ形が用いられる場合、テイル形が用いられる場合、双方の違いを生み出す典型的な条件は、先行的文脈が叙述の支えとして必要か否か、である。

(48)現代を代表する作曲家の一人である武満徹氏がさる2月20日なくなりました

(49)現代を代表する作曲家の一人である武満徹氏がさる2月20日なくなっています

(井上、p114。強調は原文)

(48)は、例えば次のように続く。

(50)現代を代表する作曲家の一人である武満徹氏がさる2月20日なくなりました(?? なくなっています)。今日はまず、氏の代表作の一つである「弦楽のためのレクイエム」を小澤征爾氏の指揮、トロント交響楽団の演奏でお聞きいただきたいと思います。(同上)

これに対し、(49)は、例えば次のように用いられる。

(51)このところ世界各国で著名人が相次いでなくなっていますが、日本では、現代を代表する作曲家の一人である武満徹氏がさる2月20日なくなっています。(p115)

先行的文脈の支えは、(51)において明らかである。

この場合、話し手は、「著名人が相次いでなくなっている」という状態を統括主題として設定し、「2月20日武満徹氏の死去」をそれに従属する一事例として述べている。(同上)

ここでの「先行的文脈に支えられる」とは、どのように支えられることか?井上は、それを、ある「統括主題」という、発話時に有効な状態にうめこまれて、その一局面とされることだという(p115)。

井上は、このアイデアに則して、テイル形の経歴叙述、補足説明、といった機能について説明している。(記録用法のテイル形も、基本的には、現存する記録や痕跡に関する補足説明として位置づけられる、とする(p119)。)その議論の詳細は省略する。

 

4.

以上のように、井上の説明は、ある出来事を、先行する文脈の支えなしに叙述できる形式(「シタ」)と、先行的文脈(統括主題)に支えられて叙述する形式(「シテイル」)との対比に依っている。

この対比は、以前取り上げた、<前景/背景>(ヴァインリヒ)の対立に近似する。

 

また、出来事を統括主題に属するものとして叙述することは、その統括主題に属する他の出来事と関連づけることでもあろう。上の例では、武満の死が、他の著名人の死と関連づけられている。

このことは、以前に取り上げた、フランス語の半過去の「関連づけ」説を思い出させる。システムの異なる言語同士を安易に比較することは戒めるべきであるが、現象的には、それぞれの使われ方には類似が認められるように思う。ただし、ここではその問題には立ち入らない。

また、「統括主題」や「関連」が、テクスト上で実際にどのように表れるのか、という重大な問いについても、今は追及しない。