1.
「第四種動詞」に対する寺村秀夫のアプローチは、金田一春彦とは違っており、それを語彙的アスペクトの一カテゴリーとして立てることから始めてはいない。
テイル形の機能を基本に据え、動作継続や結果残存とは別の方向への拡張として、「形容詞的な用法」を見出し、「第四種動詞」とは、専ら、この「形容詞的な用法」で用いられる動詞のことだ、とするのである。(寺村、『日本語のシンタクスと意味Ⅱ』、p138)
以前の紹介と重複するが、具体的に見てゆきたい。
寺村は、第四種動詞以外の用法におけるテイル形の中心的意味は、「既存の結果が現在存在していること」だと言う(同書、p127)。そして、これを表現する使用を、テイルの「アスペクトを表わす用法」と呼ぶ(p138)。それをさらに具体的に捉えて、次のように言う。
このように、~テイルという形は、現在五官で(典型的には視覚で)捉えた事態を、現在より以前のいつかに実現したことと結びつけて理解するところから生まれる表現の形である。(同書、p127-8)
(この特徴づけに見られるような、進行相に関する、感覚(視覚)的把握への類比の妥当性を問うことが当ブログの出発点であったが、そのことは今は問わない。)
2.
この定義をさらに拡張的に捉えてみよう。
テイル形のプロトタイプは、「視覚で捉えた場面を、それ以外のものに結びつけて理解することから生まれる表現」である、と言うことができるかもしれない。その「結びつけ」を解釈の機能と呼ぶことができよう。(※ただし、寺村はこのように言い切ってはおらず、これらはあくまでも当ブログによる解釈である。)
そこで、「アスペクトを表わす用法」のほかに、「形容詞的な用法」(p138)を考えることができよう。
既に度々見たように、
(55) a. あそこに財布が落ちている
b. 金魚が死んでいる
というような~テイルの使いかたは、眼前に地面に横たわる財布、水中にただよう金魚を見て、それを、過去の「落ちた」「死んだ」という事実の結果として述べる言いかたであり、それはある時間の軸に沿って変化、展開していく物・事のありようの一局面を捉えたものであると考えることができる。このような~テイルは、その眼前の事態の、他者と比較してのありかたを描こうとする方向に傾くとき、動詞の一つのアスペクトを表わすというよりも、形容詞のような性格を帯びるようになる。(同書、p137。強調は原文。原文での用例のカタカナは、ひらがなに改変した。以下も同様。)
寺村の言葉を敷衍して、次のように捉えよう。
「アスペクトを表わす用法」においては、「それ以外のもの」は、過去における動作主体の様態である。すなわち、その動作の開始限界や動作結果である(前者が動作継続の用法、後者が結果残存の用法)。視覚で捉えた場面は、それらからの展開として理解される。
「形容詞的な用法」においては、「それ以外のもの」は、「他の様態」である。すなわち、視覚で捉えた場面を、他の様態に結びつけて理解するのだが、「結びつけ」のベクトルは異なる。動作継続や結果残存の場合、視覚で捉えた場面は、より大きな事態の一部として包摂される。それに対し、「形容詞的な用法」においては、他の様態に対比されるという形で「結びつけ」られる(cf. p137-8)。
3.
アスペクトを表わす用法と形容詞的な用法とは、同じテイル形の機能が別の方向に展開したものであるから、同じ動詞が、両方の用法を持ったとしてもおかしなことではないだろう。
寺村は、「のんびりする」「変わる」といった動詞の例を挙げる(p138-9)。
(58) a. 久しぶりに温泉に来て、のんびりしている
b. 彼女の物の言いかたは、どことなくのんびりしている
(59) a. 暫く来ないあいだに、町の様子がすっかり変わっている
b. あの男は噂にたがわずだいぶ変わっている
いずれも、a. がアスペクト的用法、b.が形容詞的用法の例である。
寺村は、2つの用法を認定するためのテストを、いくつか挙げているが(p140~)、ここではその説明は省略する。
4.
しかし、テイル形の機能に、他者との対比を挙げることに対しては、疑念がある。疑いの根拠を3つ挙げることができる。
素朴に考えて、次のような疑問が浮かぶ。
あの男は噂にたがわずだいぶ変わっている
という文を理解する時、述部の「(だいぶ)変わっている」が、「しっかりしている」「落ち着いている」等のあり方と対立したものとして捉えられる、ということは認めてよいだろう。
だが、上の文の「変わっている」のテイルは他の在り方と対比するはたらきを持つ、と言うのなら、
暫く来ないあいだに、町の様子がすっかり変わっている
の「変わっている」のテイルにも、「変わる」事象の一局面であることを表わだけでなく、「昔のままにある」「変わらないように見える」といった、他の様態と対比するはたらきがある、と言ってよいのではないか。
ゆえに、形容詞的用法のテイルを、アスペクト的用法のテイルとは別方向への展開、とすることには疑問がある。アスペクト的用法のテイルにも備わっていたものが、より前面に出てきているだけのようにも感じられる。あるいは、むしろ、対立させるはたらきは、「変わる」という動詞の使用ですでに示されており、テイルの機能とは言えない、と言いたくなる。
5.
また、第四種動詞をル形で用いられることが容認される例が存在し、テイル形のものと意味が変わらないなら、「テイル形には、対比の機能がある」とは言いづらくなるだろう。
影山太郎が、「属性叙述の文法的意義」( in 影山太郎編『属性叙述の世界』)で挙げているのは、そのような例である。(p24, 32。いずれも、インターネットで拾った例であるという。)
イタリア北部にはアルプスの山々がそびえる。
そのゴルフコースの正面には富士山がそびえる。
参道には、樹齢250年以上の古木がうっそうと茂る。
ロデオ・ドライブには高級ブランドの店が軒を連ねる。
(ここで実は、〈かたり/はなしあい〉という、テクストの性格の問題が浮上しているが、今は立ち入らない。)
上の文章は、
「……そびえている」「……うっそうと茂っている」「……軒を連ねている」に変えても、意味はほとんど変わらない。
つまり、これらのテイル形が一つの状態を他の在り方との対比で表現する、と言うならば、ル形もまた同じく、対比して表現する、と言ってよいだろう。
ゆえに、「他者との対比」はテイル形の特異的な機能ではない、と結論したくなる。
6.
もう一つ、連体修飾形の問題を挙げておこう。
(日本語の)連体修飾節内の動詞が示すテンス、アスペクトの様態は、非常に複雑なものであり、ここでは概観することすら不可能であるが、次のことを確認しておく。
大まかに見れば、そのような動詞は相対的なテンスを示し、アスペクト的には、相対的テンスによって指定される時点ないし期間における様態が表現されるかのようである。
つまり、テンスの側面では、主節のTopic Time(TT) に関係づけて、ある時点ないし期間を指示し、アスペクトの側面では、その時点(期間)における、自らの表すSituationの様態を表現する、と。
下の文は、そのような例を示している。
a. その人が かけている眼鏡が 気になった。
b. その人が あの時にかけていた眼鏡と、目の前の眼鏡とが同一であるか、判断できなかった。
c. その人がかけた眼鏡を、どれでもいいから持ってきてほしいと、刑事は依頼した。
d. 彼女は、次週の実技試験の際にかける、新たな眼鏡を買いに出かけた。
a. では、「その人が眼鏡をかける」というsituationが、主節のTT(と同時)の時点(期間)においてimperfectiveに表されている。b. では、TTより前のある時点(期間)においてimperfectiveに、c. では、TTより前の期間においてperfective(あるいは、TTにおいてperfect)に、d.では、TTより以後の期間においてperfectiveに、表されている。
しかし、実際は、相対テンス解釈が成立しない場合、すなわち絶対テンスとして解釈すべき場合も多い。
今年のノーベル医学賞を受賞した〇〇博士は、幼少時、××市で育ちました。
〇〇博士が受賞したのは、××市で育つ以前のことではないはずである。
また上のa. の場合、
a'. その人が かけていた眼鏡が 気になった.。
で同じ意味を表わすことができるが、その場合、絶対テンス解釈が必要となる。
さらに、アスペクトの面でも、述定的使用の場合とは一致しない使いかたが見られる。
下の4つの文は(微妙なニュアンスは別として)同じ意味を表せる。その際、動詞「焼く」のテンス、アスペクトは、「~時に」という器に入れられて溶解してしまうかのようである。
・魚を焼く時に、やけどをした。
≒魚を焼いている時に、やけどをした。
≒魚を焼いた時に、やけどをした。
≒魚を焼いていた時に、やけどをした。
もちろん、テンス・アスペクト形式の選択によって意味が変化する場合や特定の形式しか許容されない場合も非常に多い。
館長は、[寄付してくれる人/くれた人]に昨日面会した。
彼女は、[自らが手間暇かけた/*手間暇かける 料理]に不満を言われて、腹を立てた。
このように多様な使用を条件づけるものは何なのだろうか。修飾する動詞の種類、被修飾名詞の種類、連体修飾の性格(寺村の謂う「内の関係」、「外の関係」)、副詞句の存在、などが挙げられるが、ここではこれ以上探究することはできない。
第四種動詞の場合はどうであろうか。
第四種動詞は、主節では(あるいは述定的使用では)もっぱらテイル形で使用されるが、連体修飾時にはタで使用されるのが普通で、テイルでは不自然となる場合が多い。すなわち、述定の場合と連体修飾の場合とで、取るべき形式にズレがある。しかし、表わす意味としては一緒で、主節のTTと同じ期間において、ある状態を帯びていることを表現する。この事実が述定と連体修飾のどのような本質に関わっているのか、興味を引くが、今は立ち入らない。
それは、ばかげた話/?ばかげている話だ。(=その話は、ばかげている。)
彼は、堂々とした体躯/?堂々としている体躯 を駆使して、投打に活躍している。
彼のコレクションには、すぐれた作品/?すぐれている作品が多く含まれる。
ただし、寺村によれば、(金田一の分類での)継続動詞あるいは瞬間動詞で、「形容詞的用法」も持つ動詞の場合には、テイル+名詞でも不自然ではなく、タ+名詞とする場合との間で微妙な意味の違いが見られる場合が存在する。その場合、
一般的にいえば、「~テイルN」のほうが、その(主節が表わしている)時のNの状態を表わすのに対し、「~タN」は、(他のものと比較しての)Nの外面的な特徴をいう感じが強い、ということがいえるだろう。
(p198、「~テイルN」は、~テイル+名詞を表す)
と主張する。
彼が引用する例を見ておこう。
船というのは、生きているうちから、さびしい。生命のあるものがもつ特有のさびしさを、船ももっている。(司馬遼太郎「菜の花の沖」)
中山服を着た中国人らしい紳士が外から入って来て、濡れたヘルメット帽を脱いだ時......(大仏次郎「帰郷」)
(cf. 寺村、p198)
前の文では、「生きた」では不適切であり、後の文では、「着ている」「濡れている」では不自然である。
すると、彼の言によれば、第四種動詞と継続動詞(瞬間動詞)のカテゴリーにまたがる動詞は、連体修飾においては、テイルよりもタで、より他のものに対比する機能が強いことになる。これは第四種動詞の述定的使用において、テイル形に対比の機能があるとされたことと対照的である。述定的使用と連体修飾的使用の違いがどうあろうとも、このことは対比の機能をテイル形に帰することを疑わしく感じさせるる。
7.
以上から、第四種動詞のテイルの中心的機能を、〈他の様態との対比〉とすることは妥当でないように思われるのである。
では、このテイルは、何の機能を持つのだろうか?
それを探るために、次回からは、第四種動詞と属性叙述の問題を見てゆく。