第四種動詞の周辺(3)

1.

属性叙述との関わりに進む前に、もう少し第四種動詞の周りをゆるりと廻っておこう。

前回のテーマ、第四種動詞に関する寺村の観点のポイントを簡潔にまとめるなら、

第四種動詞とは、専ら、他者との対比を表すテイル形で使用される動詞である

ということになろう。

つまり、ル形(過去テンスではタ形)や、主体の過去に関連づけるテイル形では使用されない動詞だ、と。

(先のテイル形の使用は「形容詞的用法」、他のテイル形の使用は「アスペクト的用法」と呼ばれた。「他者との対比の用法」という解釈の問題点は前回確認したが、ここでは一旦措いて話を進める。)

 

ル形や、アスペクト的用法のテイル形は、その種の動詞には、存在しないのか?あるいは、存在し得るが、現実的に使われることが無い(あるいは、めったにない)のか?

寺村はこの問題については述べていないが、一応考えておきたいのは後者の可能性である。

それを支持する事実として、次のようなものがある。

a. 第四種動詞とされるものの内には、変化動詞(瞬間動詞)と共通するもの、厳密な区別をし難いものがある。

b. 例えば「そびえる」について、前々回の、地球に定点観測にやってきた知的生命体の想像においては、「そびえた」というタ形(perfective)での使用が可能と思われた。すなわち、一般とかけ離れた特殊な状況下では、テイル形以外での使用も想像可能な場合がある。

c. 一部の第四種動詞のル形による使用は、ある種のテクストにおいては可能である。

前回の例をもう一度引用する。

イタリア北部にはアルプスの山々がそびえる。

そのゴルフコースの正面には富士山がそびえる。

参道には、樹齢250年以上の古木がうっそうと茂る。

ロデオ・ドライブには高級ブランドの店が軒を連ねる。

(影山太郎「属性叙述の文法的意義」p24,32)

これらが、いずれも「書きことば」であり、具体的な他者を目の前にした発言ではないことに注意。すなわち、これらの例は、工藤の言う、〈はなしあいのテクスト〉ではない(cf. 工藤真由美『アスペクト・テンス体系とテクスト』)。

d. 連体修飾形では、タ形で使われる方が自然な使用となる(前回を参照)。

 

しかし、第四種動詞には、「ばかげている」「ありふれている」のように、ル形での述定的使用(「ばかげる」「ありふれる」)が、いかなる環境、テクストにおいても不自然に感じられるものも多く含まれている。

以上の点に留意して、第四種動詞を、暫定的に4つに分類することが可能だろうか?

①変化動詞(瞬間動詞)に由来し、場合によって、それとの区別が曖昧なもの

②普段ル形で使用されることがないが、特殊な環境を想定すれば使用可能と思われるもの

③テクストの性格によって、ル形も使用可能になるもの。

④いかなる場合もル形で使用されることのなさそうなもの(連体修飾時を除く)

 

上の複数の類にまたがる動詞が存在してもよいだろう。ただし、ル形での使用が不自然であるか否かの判断には人によって幅があることに注意しよう。

 

2.

「そびえている」のル形、「そびえる」の意味内容は、いかなるものだろうか?

素朴に、「そびえていない」状態から「そびえている」状態へ変化することだ、としてみよう。

では、「ばかげる」の意味内容も、「ばかげていない」状態から「ばかげている」状態への変化だと捉えることができそうだ。

しかし、

「〇〇国の大使は、昨日までは、それなりに理のある主張を展開していたが、今日になると、一転、ばかげたことを言ってきた」という状況で、

「〇〇国の大使の言動は、今日になって、急にばかげた」と言われることはないだろう。

また、

「映画における、この種のアクションシーンは、今ではありふれている」と言う場合、昔の映画では、「この種のアクションシーン」が(あまり)存在しなかったことが含意されている。言い換えれば、存在しない状態から、存在する状態、ありふれた状態への変化は現実に起こったはずである。すなわち、存在しない状態から、ありふれたものになるまでの推移の期間が現実にあったはずである。(ここで「ありふれた状態」の境界の曖昧さ、という問題があることに留意しておこう)

しかし、映画の歴史についての文章で「この頃には、この種のアクションシーンは、映画においてありふれた」などと書かれることはないだろう。

 

3.

2.での捉え方は、第四種動詞を、変化動詞として捉えることである。

これを支える事実として次のようなことがある。すなわち、様々な変化動詞において、(主語の特質等が要因となって)テイル形の使用が義務的になる場合、それが第四種動詞と見なされる、という事実である。上の①の場合である。

a. 火事の熱で、鉄の扉が曲がった。⇒変化動詞

b. この道は、くねくねと曲がっています。⇒第四種動詞

c. この竿は容易に曲がります。⇒状態動詞

b. の「この道」は、真っ直ぐな状態で存在したものが、地震等で曲がった状態になったわけではない。初めから曲がったものとして作られたのである。とすれば、「真っ直ぐな状態→曲がった状態」という変化は、現実の世界のどの時刻にも起ってはいない。だが、我々は変化動詞「曲がる」を、そのような道にも適用して、「曲がっている」状態について語る。

その場合、「この道」が曲がる場面など想像もせずに、我々は「この道が曲がっている」という表現を使っている。それは、まともである状態からの変化を想像することなしに「加害者の主張していることは、ばかげている」という表現を使っているのと同様である。

ついでに言及しておくなら、第四種動詞に似た動詞句「〜をしている」(いわゆる「青い目をしている」構文)の場合も同様である。「あの娘は青い目をしている」という場合、娘は誕生したときから青い目であったことを我々は理解して使っており、「青い目をする」という変化過程が存在したとは考えもしない。

 

4.

実際の第四種動詞のリストとして、様々な種類に目配りして選ばれたものを引用してみる。それは日本語学習者向けの学習教材本からのものだが、そこでは「形容詞的動詞」のリストとされており、ル形で挙げられている(砂川友里子『日本語文法 セルフマスターシリーズ2』p37)。ゆえに、一般的に第四種動詞とされるものとはズレがあるかもしれない。

(外見) 角ばる とがる いりくむ 〜の形をする 〜の色をする etc.

(感触) ざらつく でこぼこする つるつるする すべすべする、etc.

(性質) すぐれる きわだつ ばかげる 間がぬける こみいる ませる ありふれる しゃれる かわる etc.

(態度) 堂々とする 世なれる もったいぶる きどる いばる etc.

(体格) がっしりする ほっそりする ぽっちゃりする やせる、etc.

(位置関係) 面する 沿う (南に)向く へだたる はなれる、etc.

(その他) そびえる ゆきとどく みちたりる 連れる 似る

 適する (魅力に)富む、etc.

この中で、上の①〜④に相当するものをいくつか挙げてみよう。

①とがる 世なれる やせる 

②そびえる 

③ざらつく すぐれる 面する 適する

④ばかげる がっしりする 〜の形をする

ここでは立ち入らないが、書かれたテクスト、特に様々な解説の文で使用される可能性を想像してみるなら、③に分類できる第四種動詞は、かなり多いことが分かるはずである(特に位置関係を表すものに)。

 

だが、このリストからは、この種の動詞の、また異なった特徴が見えてくる。特に注目したいのは次の点である。

A. 自動詞で、非意図的な変化・事態を表すものが非常に多い(ただし、連れる、いばる、やせる等、例外にも見えるものがある。)

B. 位置関係を表すものが多数ある。

C. 〈オノマトペ+する〉型の動詞が多数ある:つるつるする ほっそりする

D. 〜の形をする、〜の色をする、には、「青い目をしている」構文との類似が現れている。そのこと自体は、第四種動詞全体の問題には見えない。だが、他にもテイル形を使用する特徴的な構文がいろいろと存在し、問題の連関を感じさせる(cf. 三原健一『日本語構文大全Ⅰ』第8章)。それらがテイル形をとる理由を探れば、第四種動詞の理解に寄与することになるかもしれない。

 

C. について補足しておこう。

オノマトペ+する〉型の動詞、あるいは〈〜味・香り・音がする〉型の動詞には、通常ル形でも用いられる種類のものが存在する。それらと、第四種動詞に分類されるものとの用法の違いには興味深い現象が見出される(cf. 鈴木彩香「属性叙述文の統語的・意味的分析」、澤田浩子「味覚・嗅覚・聴覚に関する事象と属性」)。

そこから、知覚体験の表出を通しての属性叙述、という問題が顕わになる。その問題は、当ブログの関心にダイレクトにつながっている。

(cf. 2021-06-08, 2021-10-25, 2022-02-11 )