タ形の使用条件

1.

これから触れる、井上優「現代日本語の「タ」」は、三つの問題に答えようとする論文である。

<問題1>

過去の出来事を述べるのに「シタ」「シテイル」という二つの言語的手段があるということはどういうことか?

<問題2>

「シタ」に、パーフェクト的な用法と、単に過去に出来事が生起したことを述べる用法の二つのタイプがあるということはどういうことか?

<問題3>

「・・・タ」が、「発見」「思い出し」といったムード的な意味をあらわすことがある(ムードの「タ」、叙想的テンス)。それはどういうことか?

(cf. 同論文、p97-99,  in 『「た」の言語学』)

 

 

ここでは、主に<問題1>について見てゆく。

議論の要となるものの一つは、「・・・シタ」と言明できるための条件であり、また、それと「・・・シテイル」の使用条件との対照である。

現状、当ブログが扱っているのはテイル形の問題であるが、その解明にも、タ形の使用条件の問題が深くかかわってくるのである。

もう一つは、井上の提示する、テイル形のパーフェクト的使用は統合主題の存在が条件となる、という観点である。

 

そして、それらの議論は、当ブログが構成した<言語>(" a toy calculus(2),(4)")の意義についても光を当ててくれるだろう。

 

2.

井上によれば、

「シタ」を用いるためには、出来事が実現された経過(少なくともその一端)を具体的な形で把握していなければならない。(井上、p107)

これは具体的にはどういうことか?井上の挙げる例を見よう。

(28)

a.(お湯が沸くのを今か今かと待っていたところ、目の前でお湯が沸騰状態に達      した)

よし、沸いた。 / ?? よし、沸いてる。

b.(コンロにかけておいたお湯がいつのまにか沸騰状態にある(沸騰した瞬間は見ていない))

お、沸いた。/ お、沸いてる。

c.(給湯室の前を通ったら、誰が沸かしたかはわからないが、やかんの中のお湯が沸騰状態にある)

あれ、お湯が沸いてる。/ ?? あれ、お湯が沸いた。

(29)

a.(話し手の目の前で聞き手の財布が落ちたのを見て、その直後に)

財布が落ちましたよ。/ ?? 財布が落ちてますよ。

b.(聞き手のものであることが明らかな財布が聞き手のそばに落ちているのを見て)

財布が落ちましたよ。/ 財布が落ちてますよ。

c.(誰のものかわからない財布が落ちているのを見て)

あれ、財布が落ちてる。/ ?? あれ、財布が落ちた。

(井上、p106)

ごく簡単に説明しておこう。

(28),(29)のc.の場合のように、出来事を「その場」でのみ認知し、そこまでに至る経過具体的に把握できていない場合、「シタ」を用いることはできない。

逆に、a.のように、出来事の経過をまるごと体験した直後には、テイル形を用いることは不自然となる。井上の言う、「経過の、具体的な形での把握」の典型はその経過の「体験」であると言えよう。

また、b. のように、お湯/財布の、変化前の状態を把握していた場合、すなわち経過の一端を把握している場合には、タ/テイル形の、どちらも使用可能である。

 

c.の場合における、「「その場」での認知」が、知覚とりわけ視覚)に強く結びついていること、当ブログがこだわってきた「一瞥性」のテーマとつながること、に注意しておきたい。

そして、「「その場」での認知」によって、「現状」を、出来事という一連の経過の一部として位置付けること。これがまさに、寺村の言う「結びつけ」「解釈」であることは理解されよう。(その場合、「経過」の存在は推測されたものでかまわない。)

 

3.

ここで<問題1>について簡略的に答えるなら、

タ形の使用条件にないc.のような場合には、われわれはテイル形を使って、過去の事象について語る、

ということになろう。

そして、その場合にも、テイル形の「解釈の構造」は保たれている、と。

(ただしかし、このような見方が本当に現実に沿っているか、検証する必要はあるだろう。)

 

タ形の使用条件とは、話者が事象の経過の、少なくともその一端を具体的に把握していること、であった。

しかし「事象の経過の(一端を)具体的に把握する」とは曖昧な概念である。

(29)b. のように、「財布が聞き手のものである」ことを「知って」いればタ形は使用可能となるであろうが、この場合、「知る」とは単に「その場で知覚する」ことではない。そのような「知覚」がその場で起こらなかったとしても「知っている」場合もあるのだ。

 

あるいは、例えば、教師が歴史の授業で、過去に生きた、ある人物の、ある時期の行動について語る場合にも、タ形を用いることができるが、この場合に話者は、その人物に関する(通常の意味での)「体験」や「知覚」を持っている必要はないのである。だが、この場合は、上で見たような「シタ」の使用と同一視できるような例なのだろうか?

 

4.

この問題は、ここではこれ以上立ち入らない。

ただし、次のことに注意しておきたい。

ここでわれわれは、「過去の事象」について語る、2つのモードを持っている。

一方は、事象の経過の把握に、もう一方は事象の「その場」での把握、一瞥的知覚に結びついている。

当ブログが構成した<言語>の意味する、行為の2つのモード、DnモードとDiモードは、この2モードとの対応を意識して構成されたものである。

(ただし、あくまでも「比較」を可能にするための「対応」であり、厳密なモデルとしての「対応」は意図されていない。)

2つのモードの関係を微積分に類比し、テイル形の「解釈の構造」を微積分の式に類比してみることが、当ブログの意図したことであった。

 

5.

さて、(28)(29)b.について、もう一度見ておこう。

お、沸いた。/ お、沸いてる。

財布が落ちましたよ。/ 財布が落ちてますよ。

いずれも、前者は過去テンスと見ることが可能であるのに対し、後者はテンス的には現在(現在パーフェクト)と見なされるだろう。ここでのテイル形の意味は、<結果残存>であって、過去テンスとは言えまい。したがって、前者と後者の担う意味は異なっていると見なせよう。ゆえに、ここでのタ形とテイル形は、意味の違いによって使い分けられている、と見ることができよう。

(※前者をも「現在パーフェクト」と見なす見方も可能であろうが、話を複雑にしないためにその問題には立ち入らない。)

しかし、テイル形の中には、過去テンス的用法と見るべきものが存在し、なおかつ、その内で、タ形とも交換可能なものと交換できないものとがが存在する。

前者の使用される状況は、タ形の使用条件が満たされる場合に重なっているのであり、その場合のタ形、テイル形の違いが何であるかが不明な限り、先の<問題1>への回答は未だ不十分ということになるのである。

次回は、その問題に入ってゆこう。