a toy calculus of actions(4):システム(続き)

1.

前回、われわれの日常言語における行為の記述と、例の「言語」の式の意味するものとの違いについて簡単に触れた。

すでに前々回、当ブログのこの試みが、われわれの日常言語のモデル作りを目指すようなものではないことについて説明した。

従って、行為の記述と例の「言語」の式との乖離は、是が非でも解消すべきものとしてあるわけではない。

とはいえ、両者の類比を成り立たせるには、「言語」の式で記述する内容を、われわれがなす行為の記述に、もっと寄せておくことが必要である。

また、その乖離が、どのようなものかを把握しておくことも重要である。

そのために、例の「言語」の式を用いた「行為の記述」の構成を試みる。ただし、ここでは議論に必要な範囲の、ごく大雑把な構成に留まる。細かい正確さは犠牲になっていることを予め断っておく。

 

まず、見てわかるように、例の「言語」には、deicticなテンス表現がない。マクタガート流に言えば、B系列的な表現しかない。だが、そこはそのままにしておく。日常言語の「いま、...する」に対応する表現としては、「いま=t₁」のような条件をつけて式を用いることにしよう。(もちろん、両者を同じ意味とみなす、ということではない。)

また、この「言語」の式の多くは「時点」について語るのみであるが、さまざまな「期間」についても語れるように表現を工夫したり拡張したりすることも可能かもしれない。が、これもそのままにしておこう。

 

2.

次のような表現を考えてみる。

D[D=F(a,t)]

これを「aはtにFする」という叙述を与える式と見なしたくなるが、そういう式でないことは明らかである。

同様に、

∃d[d=f(a,t)] は、「a は t にfしている」ではない。

 

まず、これらの式は単一の時点について語るのみであり、その時点での<所為><動作>のタイプが、ある関数の値と一致することを表示しているに過ぎない。

そもそも、この「言語」における関数F,G,...,f,g,...は、「...する」「している」という述語(真理関数)ではない。

また、前回注意したように、<所為>や<動作>のシーケンスは、すべてがそのままで行為と呼ばれるのではない。

さらに、ある行為を遂行するには、いくつもの経路が可能であり、一本道ではないのが普通である。

ゆえに、ここで、行為と<動作><所為>との区別を、仮定Aと名付けて確認しておきたい。

仮定A:<動作>や<所為>と、「行為」とは、カテゴリーを異にする。

関数F,G,... と行為とのつながりを明確にするため、まず次のことに注目する。「(特定の)行為がなされた」という主張が正当化されるには、その行為に固有の規準が達成されていることが必要であろう。例えば、42.195kmを走り抜いて先頭でゴールのテープを切ることが、「マラソン大会で優勝する」ことの規準であるように。

そのような規準には、実際に行われたことだけでなく、行為主体の状況(意図、傾向性等)や、行為を取り巻く環境等も関わってくる。(例えば、柏端徹也「行為と進行形表現」を参照)

ここでは、その規準として、それぞれの行為に対応する、特定のタイプの<所為>がなされたこと、を採る。それを仮定B と名付けておこう。そして、以下では、行為者の意図、傾向性、環境等については、議論を簡潔化するために敢えて触れない。

仮定B:ある行為の成立の規準は、その行為に対応する、特定のタイプの<所為>がなされたこと、である。その<所為>タイプは一つであるとは限らない。

さらに簡略化のために、ある行為の規準となる<所為>タイプはいくつあってもよいが、その内の一つが成されれば、その行為の成立には十分である、と仮定して話を進める。(つまり、行為の成立に複数の規準が満たされることが必要な場合は議論の対象から外しておく。)

規準となる<所為>タイプの、行為の過程全体における分布の仕方は、語彙的アスペクトのタイプによって異なる。例えば、activity verb で表される行為(「走る」など)は、過程のどの時点における<所為>も、その行為の規準となり得るだろう。が、その点の詳細な議論には今は立ち入らない。

 

ここで、行為を指示する定項、変項を導入しよう。

行為を、定項h₁,h₂,... ; 変項h₁,h₂,... で指示する。

(ここでは、行為のタイプと個別的行為との区別は無視する。)

 

ある<所為>のタイプが、ある行為の達成の規準であることを表す述語Crを考える。

Cr(D₄,h₃) は、

D₄ のタイプの<所為>がなされることが、行為h₃ が達成されることの規準であること、を意味する。

 

新たに行為の遂行を意味する述語<Act>,<act> を考える。

Act(a,t,h) は、「時点t に、行為者a が、行為h を行う(達成する)」を意味し、

act(a,t,h) は、「t にa が、h を行っている」を意味する、としよう。

 

Act(a,t,h)を、「aがtにhする」、

act(a,t,h)を、「aがtにhしている」と読むことにする。

(※以前注意したように、activity verbやaccoplishment verbで表される行為は、perfective aspect では、時点について叙述されないのが通常である。が、そこはこの場では無視して、構成された「言語」の方に寄せておく。)

<Act>や<act>を、ここまでの道具立てを使ってどう表すか、というのがここでの課題である。

 

3.

まず、<Act>について。

次のような条件を考えよう。

①aがtに<所為>Dをなす:A(a,t,D)

Dは、D₁タイプの<所為>である:M(D,D₁)

③<所為>タイプD₁は、行為hの規準である:Cr(D₁,h)

①~③がそろえば、「aがtにhする」と言えそうだ。

よって、

Act(a,t,h) :=∃DD₁(A(a,t,D) & M(D,D₁) & Cr(D₁,h)) 、としてみよう。

ただし、これだと、それまでの過程がどうであれ、時点tに<所為>Dがなされていれば、tに行為hが行なわれた、ということになる。そこに不自然さも感じられようが、今はこのまま先へ進む。

もし、上の表現を受け入れるなら、

「t までにhする」は、∃DD₁tt(A(a,t₁,D) & M(D,D₁) & Cr(D₁,h))、

「tより後にhする」は、∃DD₁t₁>t(A(a,t₁,D) & M(D,D₁) & Cr(D₁,h))、

で表せよう。

 

4.

<act>については、次の条件を考えてみよう。

①aがtにdをしている:Ă(a,t,d)

②dは、d₁タイプの<動作>である:m(d,d₁)

③d₁は、関数fにおいて、aがtにしている<動作>のタイプである:d₁=f(a,t)

④関数fに、ある関数Fが対応し、任意のa,tについて F '(a,t)=f(a,t) が成り立っている。

Fは、いわばfの「原始関数」である。

ゆえに③の "d₁=f(a,t) "は、"d₁=F '(a,t)" と表せる。

⑤関数F において、tより後の一時点t₁に、aはDタイプの<所為>をなす:∃t₁>t(F(a,t₁)=D)

⑥Dは、行為hの達成の規準となる<所為>タイプである:Cr(D,h)

以上から、

act(a,t,h) := 

dd₁FD( Ă(a,t,d) & m(d,d₁) & d₁=F '(a,t) & ∃t₁>t(F(a,t₁)=D) & Cr(D,h))
でどうか。
ここでは、行為者aが、ある関数f=F' に沿って動き、それによって、対応する関数F上でt₁に 或るタイプの<所為>をなし、その<所為>タイプが、行為hの規準となる、というつながりが考えられている。つまり、f  が「原始関数」Fを通して、行為h への、一つの経路として捉えられている。
※現実には、ある行為の規準となる<所為>に至る経路は複数あるだろう。しかし、便宜上、今後の考察では、そのような「経路」の一つのみを取り上げて話を進める。
 
※ここで関数fと関数Fとの対応関係の成立が前提とされているが、Fの(いわば)「微分可能性」は無条件に成立するわけではない。この点は後に考えてみる。
 
だが、上の式にはまだ問題がある。
時点t において d₁=F '(a,t)  であったからといって、t以前・以後に a がF 'という「経路」をたどるとは限らないはずである。
しかし、一般に、行為の定型的な軌道から大きく外れた道をたどって偶然に行為の結果を実現できた場合に、「その行為をしていた」とは言い難いだろう。
つまり、われわれの日常言語の「...している」の適用は、その時点までの行いの経過に左右される。
上の表現は、その点を表現できていない。
なおかつ、注意すべきことであるが、その時点以後の経過は、imperfective paradoxが示すように、一般には「...している」の適用を左右する条件とならない。
(※ただし、ある時点から、行為主体の振る舞いが急変したとすれば、状況によって、「あいつは…する振りをしていたのであって、本当に...していたのではない」と言われることがあり得る。そのあたりの微妙な条件については触れずに先に進む。)
 
5.
aがある関数fの軌道に沿ってtₖまで動作していることを、どう表現すればよいか。
(ここでは便宜的に、期間の始まりをt₀にとる。そしてt₀≤t≤tₖは t≤tₖと表す。)
t>t₀∃d(Ă (a, t, d)) & ∀t≤tₖ∀d(Ă(a,t,d)→∃d₁(m(d,d₁)& d₁=f(a,t)))  でどうか。
前々回、何もしていないことも<動作>の内に入れる、と決めておいた。
とすれば、ある主体はいかなる時点にも何らかの<動作>をしている、と見なし、この式の前半は省略してよいだろう。
すなわち、
t≤tₖ∀d(Ă(a,t,d)→∃d₁(m(d,d₁)&d₁=f(a,t))) で、
aがfに沿ってtₖまで動いている、ことを表現してみよう。
 
6.
4.,5. より、
act(a,t,h) :=
dd₁FD
[ Ă(a,t,d) & m(d,d₁) & d₁=F '(a,t)
& ∀t₁≤t∀d₂(Ă(a,t₁,d₂)→∃d₃(m(d₂,d₃)&d₃=F '(a,t₁)))
& ∃t₂≥t(F(a,t₂)=D) & Cr(D,h)]
としてみよう。
 
一見複雑なようだが、ここでの目標は、面倒な見かけの中から、「...している」を意味する表現の核の部分をシンプルにして取り出すことにある。
その部分とは、<d₁=F '(a,t)>である。
それを書き換えれば、「d₁=f(a,t) 、かつ f=F ' 」となる。(ただし、" f=F ' "はこの「言語」の式ではなく、メタ言語である。)
 
日常言語の「行為する」と、この「言語」の表現とは、直接的に対応させることが難しかったが、<所為>を、「行為する」の規準となるカテゴリーと見なし、その規準関係によって、「aはtにhする」に相当する<Act(a,t,h)>を構成することができた。
次に、「行為する」の規準を与える関数Fの(いわば)「導関数」F ’を考えることで、<動作>と<所為>とのつながりを通して、<動作>と「行為する」こととのつながりを表現した。つまり「ある時点に、...の<動作>によって、...の行為をしている」が構成された。そして、<動作>の量化によって、「ある時点に、...の行為をしている」が表された。
 
くどいようだが、もう一度、議論の筋を捉え直そう。困難は、日常言語の「行為する」と、この「言語」の<A(a,t,D)>や<F(a,t)>が直接に対応しないことに由来する。それでも敢えて、行為の規準である<所為>を値として含む関数 F を、その「行為をする」という動詞の代理のように見なしてみよう。上の「行為をしている」という式を形成するための中心的な操作は、F に演算子<'>を作用させて、ある<動作>タイプを関数F ' の値として捉える (d=F '(a,t)と見る) ことだった。
ここで、行為の規準となるのが<所為>であって<動作>ではないことがポイントである。つまり、行為の規準に直接関わるのは関数カテゴリーFであって、カテゴリーfではない。その点から、行為の記述に関して、カテゴリーFとカテゴリーfとの間に、ある種の「優先度」の差が生じる。具体的には、上の式のように、カテゴリーf に言及せずに、F’ で書くことができる。こう考えれば、”be…ing" やテイルと、” ' "との類比がみえてくる。
 
a toy calculus(1)で、「"be ...ing", あるいは「テイル」を、微分演算子のように見る」と言ったことの意味は以上のようなものである。
すなわち、日常言語の進行相の使用に潜む、微積分に類比的な構造を明らかにするために、次のように架空の言語を想像してみた。
まず、時間的断面における行為の様態に2種類(<所為>と<動作>)を仮定し、2つの間に、微積分に類比的な、計算可能な関係が存在するような世界を想像した。そして、それらを表現する言語システムを構成した。
その微積分に似た関係を核に、われわれの日常言語の「ある行為をしている」に近似した表現を構成することで、「ある行為をしている」に潜む構造を、それとの類比で浮かび上がらせることを目指した。その表現構成の操作の中心は、微分演算子の適用に類比された。
 
上で「表現の核の部分」と呼んだ、<d=F '(a,t)>という形式をもう一度見よう。
これを書き換えた「d=f(a,t)、かつ f=F '」について。
この表現で、"d", "f", "F" のいずれかを未知数として見ることができる。そして、それらの見方には、それぞれ違った「問い」が対応する。
言い換えれば、行為に関する様々の問いを、方程式のように見ることが可能である。
 
追記:act(a,t,h)式他、一部修正した。(2022/11/28)