1.
前回の続きで、進行相と微積分との類比について考えるための方法を探している。
その一つとして、ウィトゲンシュタインの言う、「比較の対象としての言語ゲーム」を構成し活用することを試みよう。
われわれの明瞭で単純な言語ゲームは、言語を規制することを目指した予備研究なのではない、ーつまり、摩擦や空気抵抗を考慮に入れない最初のモデル、ではないのだ。むしろ、それらの言語ゲームは比較の対象Vergleichsobjekteとして提示されている。そして、類似と相違を介して、われわれの言語の実情に光を投げかけるはずである。(PI 130)
微積分に似た表記を用いる、行為に関する、架空の、非現実的な言語を想像してみよう。
その「言語」は、一方では、微積分の記号に類似し、他方では日常言語(具体的には、日本語、英語)との類比が意識されるように構成される。
この2つの類比を通して、日常言語の進行相と微積分の記号系とを類比する観点を得ることがまず目標である。
つまり、
微積分の記号系≈架空の「言語」、架空の「言語」≈日常言語の進行相
⇒ 微積分の記号系≈日常言語の進行相 へ。
その「言語」の構成は決して自然言語のモデル作りを目指すものではない。それは、われわれの言語とは、(枝葉ではなく)幹の部分から異なっているだろう。それをわれわれの言語に似せるべく改良することが当ブログにとって問題なのではない。
つまり、進行形と比較するためのモデルであって、必ずしも進行形のモデルではない。ただ、その「モデル」に「解釈」を与える際、われわれの言葉遣いに頼ることを、最初に断っておきたい。つまり、われわれの言語の表現を使って解釈を与えることになる。(元より厳密な話にはならない。)
その「言語」は、類比の橋渡しだけでなく、考察の見通しをよくするためにも使用される。
その「言語」を用いて行われる架空の言語ゲームを想像してみる。想像された言語ゲームに、どのような機能を持たせられるか、考えてみる。
その上で期待されるのは、われわれの言語との「類似と相違を介して」、われわれの言語使用の「実情に光を投げかける」ことである。
残念ながら、その言語ゲームは明瞭さ、厳密さを欠いており、つまらない「お遊び」に見えるかもしれない。当ブログの力不足もあり、タイプの論理的な扱いなど、全くいい加減である。
だが、いい加減な「お遊び」を通じてでも、進行相の使用に対する、一つの観点 perspectiveを養うことができれば、当ブログの目的は達成される。
2.
行為とは、一般に、ある期間にわたって展開される出来事(過程)である。
その行為を、個々の時点において認識・把握する。その仕方(様態)に2つあり、それぞれにおいて、捉えられた行為の相を言葉によって直接指示することが可能である、と仮定しよう。
個々の時点における行為(の断面)の2様態をまとめて、<行い>と呼んでおく。
さらに、2つの様態それぞれにおいて、行為を個別的なものとして捉えることと、タイプとして捉えることとが可能であり、それぞれ区別された指示がなされる、としよう。
(「個別的な<行い>」「<行い>のタイプ」という概念は曖昧であるが、詳しく規定せずに話を先に進める。)
はじめの2種の様態に関わる指示に関して、次のように定める。
1. Doingモード(Diモード):ある行為者が、ある時点に、「している<行い>」を指示する。
2. Done モード(Dnモード):ある行為者が、ある時点からある時点までに、「なす<行い>」を指示する。
※「している<行い>」「なす<行い>」の意味も曖昧であるが、次のようにイメージしてみよう。
長い透明なガラス棒の内部に、棒飴のように、着色された模様が、縦に様々に通っているのを想像してみよう。そのガラス棒をいくつかに割ったとする。そして、個々の断面に着目する。Diモードを一つの断面自体が持つ2次元の模様に、Dnモードを一つの断面から反対側の断面までの内部透視によって得られる光景に喩えてみる。
(ここでは、これ以上の規定を与えずに先に進む。)
Diモードで指示される<行い>を、ここでは<動作>と、
Dnモードで指示される<行い>を<所為>と、呼んでおく。
(これらの呼び名が適切であるかどうかは 不問とする。)
何もしていない、何もなしていない、という状況も、<動作>、<所為>それぞれに含まれる。
以上をまとめると、行為の、ある時点における様態(相)を捉える仕方に4つある、と仮定して話を進める。
4つの様態とは、
個別者としての<動作>、<動作>のタイプ、
個別者としての<所為>、<所為>のタイプ、である。
さて、ある期間の一瞬一瞬に「している<動作>」と、その期間の終わりに「なす<所為>」とは、一般に密接な関係があるはずだ。例えば、それら一瞬一瞬に「している<動作>」がすべて決まれば、期間の終わりに「なされる<所為>」も決まるという風に。
ここでは、そのような相互関係が厳格に決定されており、後述するような「演算」によって、それを正確に計算できるような世界を仮定する。その「演算」には2種類あって、互いに相手の逆演算の関係にあると仮定する。
以上、架空の設定であるが、受け入れて進んでゆこう。
8
そこで、次のような言語を考える。
まず、<動作>、<所為>、それぞれのタイプを指示する表現を考える。
Di モードでの指示に使われる「名」(定項)を、”d,d₁, d₂, ...”、変項を“d,d₁,d₂,...”とする。
Dn モードでの指示に使われる定項を、”D,D₁, D₂, ...” 、変項を“D,D₁,D₂,...”とする。
"d,...", "D,..." には、それぞれに、様々な<動作>、<所為>のタイプが結びつけられる。
また、様々な<動作>のタイプと<所為>のタイプとが、下で説明されるような演算<', ∫>によって関係づけられる、とする。
(※個別者としての<動作><所為>を指示する表現は、後で導入する。)
”a,a₁,a₂, ...”を、行為者を表す定項、”a,a₁, a₂, ..."を変項、
”t,t₀, t₁,t₂, ... ”を、時点を表す定項、その内で”t₀”をゼロ時点を表す定項、"t,t₁, t₂, ..."を変項とする。
時点は、ゼロ時点からの距離によって、実数直線上にプロットできるとする。そして、その距離によって、時点を表示するものとする。すなわち、"t₁, t₂,..."は、ゼロ時点からの距離である、特定の実数値を指示していると考える。
(※行為者、<動作>、<所為>というそれぞれの領域の構造については、規定せずに話を進める。ただし、添字が示す順序関係はそれらの領域において定義できるものとしておく。)
3.
関数の2つのカテゴリー、< f, F >を考える。
ここで言う関数とは、次のものである。
Pを行為者の領域、
Tを時点の領域、
Diを<動作>タイプの領域、
Dnを <所為>タイプの領域とすると、
f : P × T →Di
F : P × T →Dn とする。
f(a₁,t₃), F(a₃,t₅)のように、これらを表す。
f(a,t)は、「行為者aが、関数f上にある場合に、時点tにしている<動作>タイプ」を指示する。
F(a,t)は、「aが、F上にある場合に、ゼロ時点からtまでになす<所為>タイプ」を指示する。
※2.の定義では、<所為>は「ある時点からある時点までになす<行い>」であり、行為者と2つの時点で決定される。しかし、関数カテゴリー<F>では、一方の時点が「ゼロ時点」に固定されているため、行為者と一つの時点によって一つの<所為>が決定される。
今後、2つの時点に言及せずに、「時点tになす<所為>」という言い方をする場合は、「ゼロ時点からtまでになす<所為>」を指して言っている。
関数を表す定項は、”f, g, h, ... ”および ”F, G, H, ... ”とする。それぞれ、変項となる場合は斜体で表す。
( ※"f,g,...","F,G,..."は、あくまで<動作>、<所為>への関数であり、述語ではない。)
今後、行為者を固定して、F,f 等を1変数関数のように扱う場合、F(aₖ,t)をFₖ(t)と記すことがある。
4.
述語記号として、まず、”=”(等号)、集合的関係を表す"∈,∉,⊂,{∣}"等を使用する。
論理記号<¬,→,&,⋁> を使用する。
ここまでで、次のような 式 が可能となる。
d₁=f(a₂,t₁), D₃=F(a₂,t₂), D₁∈{D∣(D=F(a₂,t₃)) ⋁(D=G(a₄,t₅))} など。
式は、日常言語における文のように使用できる。
5.
次に、個別の<動作>、<所為>を指示する表現を導入する。
個別の<動作>を表す定項を、”d,d₁, d₂, ...”、変項を“d,d₁,d₂,...”とする。
個別の<所為>を表す定項を、”D,D₁, D₂, ...” 、変項を“D,D₁,D₂,...”とする。
個別的<動作>の領域を Di で、個別的<所為>の領域を Dn で表す。
そして、個別の<動作>、<所為>に対する直示的deicticな指示詞を導入し、それぞれ、
" ⅆ, ⅅ " とする。
個別の<動作>、<所為>が、特定のタイプに属することを述べる述語" m, M"を導入する。
m(d₁ ,d₂ ) は、個別の<動作> d₁ が、<動作>タイプ d₂ に属することを表す。
M(D₂ , D₁) は、個別の<所為> D₂ が、<所為>タイプ D₁ に属することを表す。
さらに、述語 "A","Ă"を使用する。
"A"は、行為者、時点、個別的<所為>の3項をもつ述語であり、
A(a,t,D) は、「aがゼロ時点からtまでにDをなす」と解釈される。
"Ă "は、行為者、時点、個別的<動作>の3項を持ち、
Ă(a,t,d) は、「aがtにdをしている」と解釈される。
P, T ,Di, Dn, Di, Dn という異なった領域それぞれに対する量化を導入する。また、関数f,...,F,...それぞれに対する量化表現も可、とする。
(※論理学的には問題があるだろうが、ここでは立ち入らない。)
したがって、∀a∀t (g(a,t)=d₃) , ∃d [(d=f(a₁,t₁))&(d=g(a₂,t₂))] ,∃f[f(a₁,t₃)=g(a₂,t₂)]等の式が使用可能である。
6.
さらに関数に作用する演算子<-, ', ∫...∆t>を導入する。
<->について。ある関数F、一人の行為者aₖ、2つの時点t₁, t₂ について、F(aₖ,t₂)-F(aₖ,t₁)は、対応する一つの<所為>タイプを与える。
それを「行為者aₖ が、関数Fの上にある場合に、時点t₁からt₂までになす<所為>のタイプ」とする。
(<->が適用されるのは、F,G,...カテゴリーの関数のみである。)
記号<'>および<∫...∆t >は、Di モードと Dn モードを結びつけるのに使われ、それぞれ微分演算子、積分演算子のように使用される。
(便宜上、行為者を固定して考える。)
一般に関数F,G,...について、個々の時点tₖにおいて、<'>を作用させることによって、それぞれ一つの<動作>タイプが与えられる、とする。
すなわち、
<'>は専らF, G, ...カテゴリーの関数に作用し、
F'(aₖ,t₁)は、「aₖが関数F上にある場合に、t₁ にしている<動作>のタイプ」を表す。
※この言語の説明において、(ある時点に)「している」という言葉で表すのは、いずれも<動作>である。
反対に、ある時点からある時点(まで)に「なす」で表すのは、<所為>である。
※カテゴリーFに属する、いかなる関数にも F ' が存在する、とは仮定しない。
例えば、F'(a₁,t₂)=d₃, ∀a∀t[F'(a,t)=g(a, t)] などの式が可能である。
一般に関数f,g,...に関して、2つの時点tₖ,tₗについて、<∫...∆t>を作用させることによって一つの<所為>タイプが得られる、とする。
すなわち、<∫...∆t>は、専らf, g, ... カテゴリーの関数に作用し、
(t₁, t₂);∫f(aₖ, t)∆t は、「aₖがf 上にある場合に、 t₁から t₂までの間になす<行い>のタイプ」を表す。
また、(t₀,t₁);∫f(aₖ,t)∆tを、「aₖがf上にある場合に、t₁になす<行い>」と呼ぶ。(t₀は基準となるゼロ時点を表す。)
※この「言語」では、f,g,...に対する<'>の適用、F,G,...に対する<∫...∆t>の適用は考えない。
以上、確認すると、
・aₖが関数F上にある場合に、
「t₁になす<所為>(のタイプ、以下同様)」は、 Fₖ(t₁)で表され、
「t₁にしている<動作>」は、Fₖ'(t₁)で表される。
・aₖが関数f上にある場合に、
「t₁になす<所為>」は、(t₀, t₁);∫fₖ(t)∆tで表され、
「t₁にしている<動作>」は、fₖ(t₁)で表す。
そして微分‐積分のように、<'>と<∫...∆t>は互いに逆演算の関係にある、としよう。
すなわち、もしすべての t について [G₁'(t)=g₁(t)]が成り立っていれば、
任意のt₁について、(t₀, t₁);∫g₁(t)∆t =G₁(t₁) となる。
その逆の関係も成り立つ。
また、
(t₁, t₂);∫g₁(t)∆t =G₁(t₂)-G₁(t₁)である。
7.
疑問詞 "(?_)" を導入する。
"(?_)"は、自由変項を含む式とともに用いて、その変項について尋ねる働きをする、としよう。すなわち、以下のように、問題の変項にどのような値を代入すればその式は妥当な式となるか、を尋ねる文をつくる。
(?D): D=F(a,t)は、「aがF上にある場合、tには、どのようなタイプの<所為>をなすか?」
(?d): Ă(a,t,d)は、「aはtに、何をしているか?」
(?t): A(a,t,D)は、「aがDをなすのはどの時点か?」
を表す。
また、式を疑問文化する記号として、(?S)を用いる。
(?S): A(a,t,D)は、「aは tに、 Dをなしたか?」を意味する。
この言語を使った、記述、説明、質問等の言語ゲームを想像できる。
だが、ここまでの範囲の式は、我々が行為を語る際の言葉からは離れすぎており、類比を展開するには不都合である。これにもう少し手を加える必要があるが、その作業は次々回にまわす。
8.
とりあえず 以上のように、「言語」を構成してみたが、「行為者」、「行い」、「している」「なす」等の具体的意味や、それぞれの領域の構造については規定せずにぼかしてある。
また、微積分に類比された<'>,<∫>が、具体的にどのような操作であるのか、行為者、時点、<行い>等がどのように認知されるか、それらに対する「名」がどのように指定され使用されるか、、、といった具体的な運用に関する事柄についても、何も規定していない。
いわば、「言語」のハリボテを作ったに過ぎない。
だがそのような表記のシステムを構成してみること自体に狙いがある。それについて、簡単に触れておきたい。
当ブログの関心は、単に進行相を用いた言明の真理条件を規定することではなく、そのような言明が行為の説明としても用いられる状況についていくらかでも解明することにある。
後に見るが、<動作>と<所為>の関係が< ' >や<∫...∆t >を用いて表現される時、そのような表現は、行為の描出の一部としても、行為に先立つ知識や規則の表現としても、使用され得るだろう。
行為の描出(記述)が「説明」として機能する際の、表現と状況の構造を、表記の仕方によって少しでも見えやすくすること。
これが「微積分への類比」で意図されていることの一つである。