タ形とパーフェクト、実現想定区間

1.

前回まで、寺村、井上の研究を参照することで、日本語のテイル形の意味を統一的に捉えて「解釈の構造」を見て取る可能性 について説明してきた。

なぜ「解釈の構造」を強調するのか?それは、以前説明したように、テイル形(あるいは進行相やimperfective)の文が持つ、「推測」を引き出す機能を見て取りやすくするためである。

テイル形の意味を統一的に捉えることは、テイル形をあたかもimperfectiveのように見ることでもあった。

こうして、perfective/imperfective の対立を、基本的なアスペクトの対立とする考え方が視野に入ってくる。その妥当性を論ずることは一旦措いて、<タ/ テイル(過去的用法)>の対比を、ヴァインリヒの <前景/背景>の対比と比較すること。それが前回予告した課題である。

ただし、補足しておくべき問題点が残っている。

 

2.

前回、「シタ」と言い換え可能な「シテイル」(テイル形の「過去的用法」)について論じた。この場合、「言い換え可能」とはどういう事態なのだろうか?両方の場合で、ニュアンスの違い、あるいはそれ以上の差が生じる場合があるだろう。つまり、「言い換え可能」な場合の中に、タ形を使用する方が適切な(望ましい)場合、テイル形を使う方が適切な場合があり、それぞれに程度の違いもあるのではないだろうか?

前回提示された「統合主題」の概念に依って、これらの問題を具体例によって検証してゆくことは重要であろうが、今は立ち入らない。

また、ここで問題となる「適切さ」や「望ましさ」がどのようなレベルのものであるか、テクストの構造とどのように関係しているか、という問題についても同様である。

ここでは、この問題を、タ形の方から見た場合に立ち上がる問題について、軽く触れておきたい。

 

3.

前々回提示した、分類のための図解を再掲する。

図中の「過去用法(過去的用法)」が、問題になっている「言い換え可能」な領域と考えてほしい。それは、テイル形の「パーフェクト形式」の一部であった。

これを逆から見れば、タ形の一部は「パーフェクト形式」を持つことになりそうである。

現実には、日本語学の内部に、タ形の使用の一部を、パーフェクトとして捉える説(パーフェクト説と呼んでおく)と、それに反対する説(非パーフェクト説と呼ぶ)との対立がある。

パーフェクト説によって論拠とされる有名な例が、次の用例である。

「昨日昼飯を食べたか?」に対する返答:

「はい、食べた / いや、食べなかった」

 

「もう昼飯を食べたか?」に対する返答:

「はい、食べた / いや、食べていない」

否定的な返答において、違いが表面化する。

この事は、‘モウ’ ‘キノウ’ というような副詞に助けられて、同じ ‘~タ’ という形式が、ある場合には現時点での動作の終わったか否かを、またある場合には現時点と(いかに短い間であっても)隔絶した ‘過去’ における動作を表わすのだ、という事が、決して観察者たる文法家の頭の中だけにある区別ではなくて、実際に話し手と聞き手との間で了解されているという事を示している。

(寺村秀夫『日本語のシンタクスと意味Ⅱ』p322)

この2つの答えの形式に対応して「シタ」の2つの意味が存在する(一つはパーフェクト)、そして、双方の意味はともに「タ」という語の本質に属する、というのが、パーフェクト説の主張である。

これに対し、非パーフェクト説に立つ井上優は、(過去的用法や記録用法における)テイル形のパーフェクト性は、テイル形そのものが担う意味であるのに対し、タ形のパーフェクト性はそうではなく、付随的な意味である、とする(「現代日本語の「タ」」p125)。

事実、タ形がパーフェクト的に使われる場合においては、「今、~したばかりである」ということを述べる場合を除いて、「今」という副詞とは共起することができない。

(13時に訊ねて)「もう昼飯を食べたか?」

(12時に食べたことを背景に答えて)?「今食べた」

このことは、タ形の「パーフェクト」が、状態的パーフェクトを表し難いことを意味していよう。

(※「今(もう)食べた」のように答えることはできるが、それにまつわる問題には今は立ち入らない。)

逆に、上の問いに対して、「12時に食べた」のように、行為時を表わす副詞句を添えて答えてみよう。これは、過去テンスのperfectiveであろうが、行為的パーフェクトでもあるのだろうか?2つの違いはどこにあるのか?

以上のように、タ形の「パーフェクト」は、状態的パーフェクトではなさそうだ。しかし、行為的パーフェクトであるとしても、行為時を表わす副詞句を添えると、過去perfectiveとの区別が難しくなる。

また、タ形の「パーフェクト」は、過去パーフェクト、未来パーフェクトを表わせない。

(cf. 工藤真由美『アスペクト・テンス体系とテクスト』p129~、

   定延利之「パーフェクトらしく見える3つの「た」の過去性」)

 

4.

このように、タ形そのものにパーフェクトの意味を見ることに疑問を感じさせるようなような、言語使用上の事実が存在する。

では、パーフェクト説の論拠となった使用については、どのように考えるべきだろうか?

井上は、出来事の「実現想定区間」という概念を用いて、この問題に答えている。

まず、「もう~した」の「もう」という副詞が使用できる条件を確かめてみよう。

(74)

a. (深夜1時ごろ。寝る前に)

今日、朝ごはん食べる?/ ?? もう(そろそろ)朝ごはん食べる?

b.(朝の6時ごろ)

もう(そろそろ)朝ごはん食べる?

c.(朝の8時ごろ)

もう(すでに)朝ごはん食べた?

d.(その日の夕方に)

今日、朝ごはん食べた?/ ?? もう(すでに)朝ごはん食べた?

 

この例からもわかるように、「もう」は、「もうそろそろ」の意であれ、「もうすでに」の意であれ、当該の出来事がいつ実現されてもおかしくない(したがって「スル?」とも「シタ?」とも聞ける)区間でなければ使えない。ここでは、そのような区間を「実現想定区間」と呼ぶ。

(井上優「現代日本語の「タ」」p126-7)

そこで、「~したか?」という問いへの否定的な回答に、2つの形、「~しなかった」、「~していない」が存在する、という話に移る。

「~したか?」への肯定的な回答「~した」は、出来事が実現すれば、問答がどのような期間に行われても使うことができる。(ただし、以前見たように、「経過を把握している」という条件が必要である。)

それに対し、否定的な回答「~しなかった」は、「実現想定区間」が過ぎなければ使うことができない(cf. 井上、p132-3)。

(昨日はレポートの提出日であった)

甲:昨日、レポート出した?

乙:いや、出さなかった。

 

(レポートの提出期限は明日である)

甲:レポート出した?

乙:いやまだ出していない。/ ?? いや、出さなかった。

従って、「実現想定区間」内での問いに答える場合には、「~していない」が使われることになる。

また、「~しなかった」は、「~した」の条件と平行的に、出来事が実現されないまま終わった経過が把握されていなければ使えない(井上、p134)。

(誘拐犯から手紙が届いた)

甲:犯人は何を要求している(??要求した)?

乙:(手紙を見ながら)

  特に何も要求しておりません(?? 要求しませんでした)

(井上、p135)

この場合、手紙のみから、犯人の行為・意図を把握しているため、「~しませんでした」は使いづらい。

「~しなかった」(「~しませんでした」)が使用できない場面では、「~していない」(「~していません」)が使用されることになる。

 

以上、簡略的に紹介したが、「実現想定区間」とテンス・アスペクトの絡みは豊かな内容を含んでいる。行為や出来事に「実現想定区間」を想定することはもちろん、日本語使用者に限られない、言語使用者に普遍的な行いである。

例えば、英語の現在完了に関して、「実現想定区間」をめぐる使い分けが見られることが紹介されている。(cf. 溝越彰『時間と言語を考える』,3.4.1.)

例えば、

Have you seen the Van Gogh exhibition?

と聞けるのは、展覧会の開催期間中であり、終了後は、

Did you see the Van Gogh exhibition?

と訊ねる。

だが、展覧会の開催中に入院中の友人を見舞ったとする。この時、友人が開催中に退院して展覧会に行くことが無理な状況ならば、

Did you see the Van Gogh exhibition?

と聞くことはできても、

Have you seen the Van Gogh exhibition?

と現在完了で尋ねることは不適切となる。

 

このように、「実現想定区間」は、テンス・アスペクトの現象に極めて重要な結びつきを持つ。だが、ここでは、これ以上立ち入らないこととする。