テイル形とパーフェクト

1.

前回、寺村秀夫を参照して、日本語のテイル形の機能として、次の5つを挙げた。

a.動作継続

b.結果残存

c.習慣・反復

d.回顧的用法

e.第四種動詞の語尾

 

寺村が、d.回顧的用法として挙げた例は、

その年、東京には二度大雪が降っている

あの人はたくさんの小説を書いている

(cf. 寺村『日本語のシンタクスと意味Ⅱ』p126、原文カタカナ⇒ひらがなに変更)

寺村によれば、これらは「過去の事実を回想して、いわば頭の中に再現させるような用法」(同上、p126)であり、

過去の事実を、いま改めて確認し、ある現実の文脈の中でその意義を吟味しようとする心理を反映している。... 単なる過去形の場合も、回想を表わすことがあるわけだが、~テイルの場合は、過去の事実の意義・意味を考える心理の反映である点が特徴的である。(同上、p133)

前回、テイル形の諸用法と「解釈の構造」との関係を見てきたが、回顧的用法については、「解釈の構造」とは無縁であるように見える。(前回見た「解釈」とは、「現状」の解釈であった。cf. 寺村、p133)それをどのように考えるか、ということが問題であった。

 

他の研究者が、d.のような用法をどう捉えているか、少し確認しておきたい。テイル形全体の分類は、それぞれの研究者で異なっていて、個々のカテゴリー同士の単純な同一視や比較は困難であることを予め断っておく。

 

藤井正は、同様の用法を「経験」と呼び、「過去において行われた動作・作用そのものが問題であって、それを現在から眺めた場合」に用いるとし、現在の状況が問題である結果残存の文(例「あの人は現在結婚している」)から区別する。また、「経験」の用法では、「今(は)」「現在(は)」のような副詞句で修飾されないことに注意している。(藤井、「「動詞+ている」の意味」in 金田一晴彦(編)『日本語動詞のアスペクト』)テイル形全体は、「経験」を含めて7つの意味に分類されている。

 

工藤真由美は、テイル形に、動作継続、結果残存をまとめた<継続性>という基本的意味を認めるが、それと区別された派生的意味の一つとして、<パーフェクト性>を認めている(工藤、『アスペクト・テンス体系とテクスト』、p38)。

ここで<パーフェクト性>と規定している派生的意味は、従来「経験・記録」用法と言われることが多かったものであるが…<パーフェクト性>は、<継続性>とは異なり、<後続時点における、それ以前に成立した運動の効力の現存>を表すものである。(工藤、同書、p39)

その一端には、以前簡単に触れたことがある("「説明」の周辺(44)")。

工藤は、テイル形の意味は、大きくは①継続性 ②パーフェクト性 ③反復性 ④単なる状態性、であるとする(p110~)。④は、ここでのe. に相当する。

工藤における、結果残存とパーフェクトとの関係については、なお下で触れる。とりあえず、寺村の「回顧的用法」は、工藤においては<パーフェクト>(あるいは「経験・記録」用法)に含まれる、としてよい。

 

井上優「現代日本語の「タ」」では、「当該の出来事を、ある時点までに実現済みの出来事、あるいはある時点までの経過・経歴として述べる」テイル形の用法を「経験・記録用法」と呼び、工藤のいう「パーフェクト」の形式にあたるとしている(井上、同論文、p107  in 『「た」の言語学』)。また、工藤「シテイル形式の意味記述」にならって、その「経験・記録用法」を、シタでおきかえられない「記録用法」と、シタでおきかえられる「過去的用法」とに分けて考察している(井上、同論文、p110~)

 

庵功雄「テイル形、テイタ形の意味の捉え方に関する一試案」では、テイル形には8種類の用法が挙げられており、その一つ「結果残存」に対して、「効力持続」、「記録」、「完了」といった複数のカテゴリーが区別されている。

 

このように、さまざまな研究者によって、回顧的用法に類する用法、すなわち、結果残存とは区別された、パーフェクト的な用法が認められている。

これらの業績以外に参照すべき研究は多々ある。しかし、これ以上深入りせず、先の区別の問題を材料に、<パーフェクトperfect>の概念を少し掘り下げておきたい。

 

2.

b.結果残存とd.回顧的用法(あるいは、他の研究者の分類における、それに相当するカテゴリー)。その区別の規準にはどのようなものが挙げられるだろうか?

b.の「結果残存」とは、いつ残存している(いた)のであろう?「テイル」の場合は、現在、「テイタ」の場合は過去のある時、である。「テイル」の場合、結果を及ぼしている事象の生起は過去のことであるが、文におけるスポットライトは、過去よりも現在に当てられている。

英語の現在完了は、これに似た性格を現している。前回触れたように、過去の特定の時点を指す副詞句と共起できないという性質はその表れであろう。

しかし、日本語のテイル形の場合、そのような副詞句とも共起できる。そして、それが可能な場合の典型的なものとして、回顧的用法が挙げられる。

その年、東京には二度大雪が降っている。

葛西善蔵は芥川自殺の翌年、昭和3年7月に死んでいる。

(寺村、同書、p126,133。下線強調は引用の際に加えた。)

ここで使われる副詞句は、結果をもたらした事象の生起する時点ないし期間を特定する。上の2つの文は何時のことを述べているか、と訊ねるなら、「その年」「昭和3年7月」と答えるのがふつうであり、「現在」と答える人はいないだろう。

...英語の完了形は、基本的に出来事時点を明示する形式と共起しない、あるいはしにくいこと(特に現在完了においては)が指摘されている。ところが、日本語のシテイル(シテイタ)は、出来事時点を明示する形式と共起しうる。言語を比較対照する際には、特に文法的カテゴリーを比較対照する場合には、慎重な手続きが必要とされるところだが、思い切って単純に言えば、英語のパーフェクトと日本語のシテイルのパーフェクトとは、この点で異なっているわけである。英語の完了形における、このような制限が、<パーフェクト>というカテゴリーにとって、普遍的な制限ではないことは、既にComrie 1976, Dahl 1985等において指摘されているところである。ブルガリア語等、出来事時点を示す形式と共起するパーフェクトを持つ言語もある。

(工藤、同書、p110)

よく知られるように、現代のドイツ語やフランス語では、<現在+perfect >形が、<過去+perfective>の意味へ移行している。

 

先に、2つの文は何時のことを述べているか、という問いを取り上げた。当ブログが方法的に準拠してきた、Wolfgang Klein, Time in Langage では、Topic time の概念を、

話し手の主張が、そこへと限定されている期間 the time span to which the speakers claim is confined ( p6)

個別の発話が、そこに関して主張をおこなう期間 the time for which the particular utterance makes an assertion (p37)

のように定義していた。

しかし、それに従うと、先の2つの文のTopic Timeは「現在」ではなく、2つの文のアスペクトは、perfectではないことになる。「その年」「昭和3年7月」は、situationに後続する期間ではなく、situationがそこにおいて生起する期間なのだから。(cf. " Topic Time(8)")

従って、「テイル」で終わる文のテンスは、現在の場合(「昼食はもう、食べている」)と過去の場合(「その年、東京には二度大雪が降っている」)とに分裂する。つまり、前者は、[テンス=現在、アスペクト=パーフェクト]であり、後者は、[テンス=過去、アスペクト=perfective]である。

 

3.

そこで、テイル形の機能を統一的に捉える可能性を求めて、Kleinとは違った視点からのパーフェクト性の理解を参照してみよう。

「パーフェクト」という用語は、程度に差はあれど、2つの時間的段階temporal planeを意味の内に含む動詞(あるいは動詞句)にのみ適用することができよう。その2つとは、先行的段階と後続的段階であり、それぞれの段階に対応する事態situationは、原因と結果のような、いろいろな仕方で関連しあっている。通常、2つの段階の内の一つが意味的により重要な地位を占め、もう一方は、いわば背景となり、わずかに示されるばかりである。[...]後続の段階が強調される場合には、先立つ変化すなわち固有の行為の結果、生まれた状態(または状態的関係)が、常に意味されることになる。そのような意味の形は、アスペクト論においては、「状態的パーフェクト」と言い慣わされている。[...]パーフェクトにおいて 2つのうちの先行する段階が強調される場合、中心的役割を担うのは、ある固有の行為であり、その行為が ある結果や痕跡をもたらし、特定の事態を引き起こす。つまり簡単に言えば、その行為は、後続する時間的段階に関与している。このようなパーフェクトは、アスペクト論において、「行為的パーフェクト」と呼ばれている。

(Jurij S. Maslov, "Resultative,perfect,and aspect",  (定延利之「パーフェクトらしく見える3つの「た」の過去性」で引用されたものから訳す。))

この定義は、Klein のように、文に関して固定的な<topic timeーtime of situation間の関係>を考えるのではなく、2つの時間的段階temporal plane を設定した上で、<(一方の)前景化 ー(他方の)後景化>という仕組みを想定する。(「前景化」=topic time化、とみなしてよいだろう。)そして、<前景ー後景>関係は反転し得るものとする。先行的段階が前景化する場合を<行為的パーフェクト>、後続的段階が前景化する場合を<状態的パーフェクト>と呼ぶ。

この見方は、日本語のパーフェクトを考える上で都合がよい。というのも、テイル形の表わすパーフェクトは、この2つのパーフェクトの間にまたがるものと捉えられるからである。例えば、工藤は、テイル形の結果残存(工藤の言葉では「結果継続」)も、広い意味でのパーフェクトであることを認め、それをここで言う<状態的パーフェクト>(工藤の用語では「状態パーフェクト」)と捉える(工藤、p117)。そして、<状態的パーフェクト>、<行為的パーフェクト>(工藤の言葉では「動作パーフェクト」)について、それぞれの動詞の種類、時間副詞との共起等の条件を探究している。

その内容に立ち入ることは今措くとして、一般に、状態的パーフェクトと行為的パーフェクトというカテゴリーは、先に上げたa.~e.の5つの分類とどういう関係にあると考えるべきだろうか?

出来事時点の副詞句と共起する回顧的用法は、状態的パーフェクトではなく行為的パーフェクトである、そう見なしてよいだろう。だが、そのような副詞句を伴わない回顧的用法も、すべて行為的パーフェクトと見なしてよいだろうか?だがそもそも、副詞句を伴わない用法すべてについて、結果残存であるか、回顧的用法であるか、明確に分類できるのだろうか?

そのような考察によって気づかれるのは、

「状態的パーフェクトであるか、行為的パーフェクトであるかの決定という問題」と、

「結果残存か回顧的用法かを決定する問題」とが存在し、いずれも(当ブログにとっては)規準が曖昧なままにとどまっていることである。それらを(テクストの内で)一義的に決定することは可能なのだろうか?

また、状態的パーフェクト/行為的パーフェクト、という分割を、結果残存/回顧的用法、の分割にそのまま重ね合わしてよいものだろうか?これも即答できる問題ではない。

 

ところで、「タ」についても、パーフェクト的用法を認めるか否かについて、日本語学では議論がある。寺村、工藤は認める立場であるが、それに対し反論する立場もある。認めるとしても、テイル形のパーフェクトと「タ」のパーフェクトとの機能の違いをどう考えるか、等の問題が生じる。

 

そこで、「テイル」と「タ」との違いに関する研究、その一つについて見てゆくことで、テイル形に関する議論のラインに戻ってゆきたい。

いわゆる歴史的現在をのぞき、日本語には過去(発話時以前)の出来事を述べるのに二つの言語的手段がある。一つは「シタ」であり、もう一つはいわゆる経験・記録用法の「シテイル」である...

過去の出来事を述べるのに「シタ」「シテイル」という二つの言語的手段があるということはどういうことか?

(井上優、「現代日本語の「タ」」p97, in『「た」の言語学』)

このような問題設定は直観的に分かりやすいが、研究の内容は、問題の回顧的用法をも、統一的に理解する道を示唆しているのである。