テイル形と 解釈の構造

1.

微積分への類比」を試みた主な狙いは、進行相の文が持つ、説明の機能や予測を引き出す機能について、その構造を見えやすくすることにある。

進行相の文を ある「解釈の構造」を備えたものと仮構してみるなら、それらの機能はこの構造から理解されるであろう。そして、この「解釈の構造」が微積分の式の構造に類比されるのである。

説明の機能については、" a toy calculus(2)"の終わりで少し触れておいた。そして、説明の構造については、"a toy calculus(4), (5)"で、基本的な構成を試みた。いずれも全く不十分なものだが、これ以上の展開は具体的に議論を広げる中で行うのが適切だろう。

それに対し、上で「予測を引き出す機能」と呼んだものについては、もう少し説明しておかなければならないだろう。

問題となるものは、未来の事象に関する推測に留まらず、過去への推測をも含む。従って、以後は、「Topic Time (TTと略す)とは異なる時刻の事象 に関する推測」という意味で、「予測」に代えて「推測」という言葉を用いる。(しばらくは「」抜きで表記するが、一般的な意味との間で紛らわしい場合には、「」付きで「推測」と記す。)

 

2.

このブログでは、英語のアスペクト体制に寄せるつもりで「日本語の進行相」という言い方をしているが、もちろんこれは、テイル形が「動作継続(進行中)」の表示として機能する場合を指して言っている。テイル形には、「結果残存(結果継続)」を表す場合もあり、合わせて、テイル形の意味は「継続」である、とされることが多い。そして、前者は動作動詞の場合であり、後者となるのは変化動詞の場合、とされる。ただし、動作動詞の場合でも、適切な文脈や副詞句が補われることで、「結果残存」の意味を表すことがある。

「昼ごはん食べた?」「今、食べていますよ。」

「昼ごはん食べた?」「もう食べていますよ。」

※<動作動詞/変化動詞>は、奥田靖雄以来、日本語学において、特にアスペクトを論ずる際に用いられている動詞分類であるが、その意味内容の検討には、ここでは立ち入らない。

 

しかし、世界の言語を見た場合、進行と結果残存が同じ文法的手段(テイル形のような)で表されるのは非標準的なタイプと言える(cf. 工藤真由美、八亀裕美『複数の日本語』第2章)。日本語をみても、西日本方言においては、この2つが違った形式で表されるものが多くある(宇和島方言のシヨル/シトル、高知方言の シユウ/シチュウ など)。

では、テイル形の機能は、本来バラバラであったものが偶然にくっついたのだろうか?テイル形の2つの意味を統一的に把握する立場が考えられないだろうか?

日本語学では、テイル形の意味を統一的に把握する試みがなされてきた。その中で、まず寺村秀夫による説(寺村『日本語のシンタクスと意味 Ⅱ』)に注目したい。当ブログが「推測を引き出す機能」と呼ぶものを理解する手掛かりとなるだろうからである。

 

3.

寺村は、テイル形に、次のような5つの用法を区別する。(同書、p125-6。彼自身の用語を少し改変して記す。)

a. 動作継続

b. 結果残存

c. 習慣・反復

d. 回顧的用法

e. 第四種動詞の語尾

 

c~eについては、後に触れるので、その内容の確認は措く。

寺村は、a~d を、アスペクトを表す用法であるとする。そして、その中心的な意味は、「既然の結果が現在存在していること」、つまり、あることが実現して、それが終わってしまわず、その結果が何らかの形で現在に存在していることだ、とする(寺村、p127。下線は引用の際に付加)。

a.の場合には、動作の開始限界の結果が今も続いている場合、b.は既に終了した動作や現象の「結果(痕跡)が物理的にあるいは心理的に、現在存在する」場合である。(同書、p127。)

ここで「物理的にあるいは心理的に」と言われていることに注意。「心理的に」が加えられているのは、d.の「回顧的用法」を説明するためであろう。

そして、次に言われていることが興味深い。というのは、テイル形の機能を、感覚との関わりにおいて捉える姿勢が姿を現しているからである。

このように、~テイルという形は、現在五感で(典型的には視覚で)捉えた事態を、現在より以前のいつかに実現したことと結びつけて理解するところから生まれる表現の形である。(寺村、同書、p127-8)

つまり、ここで言われている「結びつけ」とは、いま感覚で捉えた事態を、過去の事象の「結果」として理解する=解釈することである。b.結果残存のばあいには、

瞬間動詞の表わす事象は、始まると同時に終わる種類のものであるから、その~テイル形を聞いた人は、現在話し手が捉えた事態が、何らかの過去のできごとの結果として見られたものだと解釈するわけである。たとえば地面にある財布を見て、「落ちている」というのは過去に落ちるという現象があった、今地上に財布があるのはその結果だ、というふうに。(同書、p132。下線は引用に際して付加。)

寺村は、テイル形の機能の中心を、"「感覚したものを…として解釈する」あるいは「として感覚する」という解釈の機能に見ている。ただ、彼は、a.動作継続の場合は「眼前の情景をそのまま写したもの」とするが(p136)、ある人が「している」行為が、その情景を見る人にとって、常に自明であるわけではない(「いったい何をしておられるのですか?」という問いが示すように)。従って、多くの動作継続の場合にも「解釈」がはたらいていると見ることができる。

 

寺村は、このように、テイル形の本質を、(感覚された)現在の事態と過去に実在した事象との結びつけ(=解釈)に見る。その「結びつけ」自体を、現在の事態から過去への推測として捉えることができる。もし、あるテイル形の文が真であったら、過去の事象についての一定の推測が真となる。その「過去の事象についての一定の推測」とは、ある動作が開始されたことやある動作が終了したことである。

 

しかし、過去だけではない。動詞の表わす事象situationの様々な性質によって、未来について一定の予測が可能となる。

例えば、「今、ユイはプールで泳いでいる」という報告から、(例えば)彼女は今水に浸かっており、きちんと身なりを整えて食卓に来るには最低でも数分かかる、と推測できるだろう。

特にaccomplishment verbのようにtelicな動詞の場合、その目的性telicityによって予測が可能となる。「予測」とtelicityの結びつきは極めて重大である。

例えば、報告「今、ユカは、皆のためにビーフステーキを焼いている」から、10分もたたずにステーキの皿が出て来るかもしれない、と推測される。彼女はステーキを焼き上げることを目的に現実に行為しており、事象の性質により、それには長い時間は必要でないから。

また、様々な手段‐目的関係によって、さらに推測や予測を広げることもできよう。

例えば、上の発話から、ユカは今から数分間はキッチンにいることが推測されるだろう。

 

上で、「解釈の構造」がTopic Time内の事象から他の時間の事象への推測を可能にする、と述べたのは、例えばこのようなことだ。この推測の機能については、後に状態動詞を題材に、立ち入って取り上げる予定である。

以上の議論で、テイル形のTopic Time が発話時Time of Utterance(TU)であることに留意しておこう。

 

4.

a.動作継続の場合、テイル形の発話時が、Time of situation(TSit) に完全に含まれることは分かりやすい。従って、(Klein流の捉え方ではアスペクトはimperfective となる。

それに対し、b.結果残存の場合も、似たように捉えることができないだろうか。

動詞の表わす、行為等の事象的変化に加えて、その後の結果的状態の持続をも含め、一つのsituationと見なしてみよう。あたかも、値の変化する関数と、値の変わらない状態を表す関数とが行為の終了時において連結して一つの関数を形成しているかのように。そして、TT内のsituationを、全体の関数の(値の)部分として見ること。

すると、この場合も、TTは、TSit に完全に含まれると見なされる。

つまり、b.結果残存のテイル形も、imperfective aspectのように捉えることができよう。

 

しかし、結果残存のテイルの場合、通常、動詞の表わす動作等自体の展開は終了しているのであるから、一般的に考えれば、文法用語としてのimperfective をあてがうことは適切ではないだろう。ここでは、用語の適切さはさておいて、上のような見方がともかくも可能であることに注意したいのである。

 

5.

英語の完了形Perfectについても、上の見方に通じる捉え方が提起されている(溝越彰『時間と言語を考える』)。それによれば、現在完了は現在という時点に「相対的に過去」であることを示す構文であるが、その意味は、

...現在完了とは(時制かアスペクトかはさておき)、「現在の状況に照らして真である」ということを表す文法形式である。すなわち、「相対的」というのは、ある別の時点(現在完了は「現在」)に照らして真偽が確かめられるという意味である。(同書、3.5.3)

結局、現在完了とは、話者の発話態度として、「現状を見なさい、そうすれば私が言っていることの正しさが分かるはずです」という表現形式である...(同書、3.5.3)

ここで、「過去を現状に照らす」と言われていることは、寺村の言う「結びつけ」として理解することができよう。つまり逆の方向から見れば、それは現状を過去の「痕跡」「しるし」として捉えることである。そこに「解釈の構造」が存在している、と見ることができよう。

 

6.

ただ、英語の現在完了と日本語のテイル形とでは、共起し得る時間的副詞に違いがある。

英語の場合、現在完了の文では、よく知られるように、過去の特定の時を指す副詞句は使えない(例えば、" two days ago ")。

しかし、日本語のテイル形の文では、過去の特定時を指す副詞句も使用できる。

それがはっきりするのは、d.回顧的用法の場合である。

「回顧的用法」とは、

その年、東京には二度大雪が降っている。

あの人はたくさんの小説を書いている。

(寺村、p126。原文のカタカナ表記はひらがなに変えてある。)

のようなもので、寺村は、「過去の事実を回想して、いわば頭の中に再現させるような用法」と言う(p126)。最初の文の「その年」が過去の特定時を表している。

そして、この「回顧的用法」は、上で見たようなテイル形の捉え方には収まらないように見える。というのも、ここでは、何らかの「現状」が解釈を受けているようには見えないからである。

 

7.

回顧的用法の問題に入る前に、c.習慣的用法 と e.第四種動詞の語尾 の用法と、「解釈の構造」との関係をどう考えるかについて、ごく簡単に述べておく。

結論から言えば、ともに「解釈の構造」に関わるものとして捉えたい。

 

c.習慣的用法について。説明は省くが、「テイル」が現在続いている習慣を表すのは、a.と本質的には同種の用法である、と捉えることができる(cf. 寺村、p128-9、庵功雄「テイル形、テイタ形の意味の捉え方に関する一試案」p82)。

 

e.第四種動詞語尾の用法について。寺村は、この場合にも、「現状」を他と比較する、という点において、a.動作継続やb.結果残存と共通した構造を認める。違いは、a., b. が主体の過去との比較であるのに対し、e.は他者との比較である、という点にある(cf.寺村、p137-8)。

そして大雑把に捉えるなら、「比較の行為」は「解釈の行為」に類比することができる(例えば、「AをBと比較する」から「AをBと解釈する」への移行が典型である)。

しかし、a.,b. が「現状」を他の時間の事象とのつながり、類比によって比較するのに対し、e. は他者との差異、対比において比較する。そこには非常に大きな違いがある。

が、ともかくも、「現状」を別のものと比較する、という点で、広い意味での「解釈の構造」を認めたい。無論、それらを同じ「解釈」という言葉で括ってよいか?、という問題は残っている。