a toy calculus of actions(5):彼は何をしている?

1.

前回の補足から。「aはtにhしている」に対応する式を、

act(a,t,h) ≔

dd₁FD[ Ă(a,t,d) & m(d,d₁) & d₁=F '(a,t)

& ∀t₁≤t∀d₂(Ă(a,t₁,d₂)→∃d₃(m(d₂,d₃)& d₃=F '(a,t₁)))

& ∃t₂>t(F(a,t₂)=D) & Cr(D,h)]

としたが、これでは不十分ではないか。

なぜなら、a が時点tまで関数Fに沿って行動しており、Fに沿って行動し続ければDをなす(=hする)ことが真であったとしても、

この式では、t以後にa がFに沿って行動するとは主張されていないからである。

このように反論されるであろう。

実際、それは一面で正しい指摘である。しかし、「t以後にaがFに沿って行動する」ことを明示的に表現すれば、imperfective paradoxが成立しなくなり、日常言語と離反する。

ここで、行為主体a の意志や(Dowtyのように)可能世界モデルを持ち出したくなるとすれば、それはそのような問題点に対応するためである。

しかし、この問題に対応することは、当ブログの当面の関心からはズレるので、これ以上は立ち入らない。当分の間、上の式が「aはtにhしている」のように用いられる、と仮定する。

もう一つ、上の式は activity verb に関しては不十分である、という批判が可能であろう。なぜなら、activity verbでは「...していた」から「...した」が、論理的に帰結するからである。

しかし、この問題も、「進行相と微積分との類比」という当面の関心からはズレるので、今は無視して進もう。

 

前回、「...の行為をしている」に対応する、架空の「言語」の表現を構成する上で核となるものを、

d=F '(a,t)、あるいは、d=f(a,t),かつf=F '

とした。

この式は、している<動作> を、特定の行為の規準となる<所為>へと結びつける要となるからである。

さらに、その<所為>と行為との関係の式も含めて、

d=f(a,t),  f=F', F(a,t₁)=D, Cr(D, h)

を、(拡張された)核の部分 と呼ぶことができよう。

 

2.

「...の行為をしている」に対応する式の使用について考えてゆくが、その際、この(拡張された)「核の部分」によって式を代表させて論じる。

再度の確認になるが、「行為hをしている」に相当する式は、

act(a,t,h) :=
dd₁FD[ Ă(a,t,d) & m(d,d₁) & d₁=F '(a,t)

&∀t₁≤t∀d₂(Ă(a,t₁,d₂)→∃d₃(m(d₂,d₃)& d₃=F '(a,t₁)))

&∃t₂≥t(F(a,t₂)=D) & Cr(D,h)]

と定めており、「核になる部分」と呼んだものは、上の下線部に相当する。

それを抜きだして、添字を無視して例化すれば、

d=f(a,t), f=F ', F(a,t)=D, Cr(D,h)

前回の終わりに述べたのと同様に、この式の d,f,F,D,h のどれが「未知数」であり、どれが「既知数」であるかによって、異なった「問い」が現れる。いわば、異なった方程式が姿を現す。

(※以下の説明では便宜上、d,f,D.F 等の例が、厳密に例の「言語」の定義通りのものではなく、緩いイメージになっていることを予め断っておく。)

 

例えば、

「彼は何をしているんだ?」

という問い。

質問者が、電話で、しばらく会ったことも噂を耳にしたこともない「彼」について尋ねる場合(そして、「彼」が、電話で話している相手のすぐそばにいる場合)、d,f,F,D,h はすべて「未知数」である。

 

これに対し、庭の地面にスコップで穴を掘っている男を見た人が、「彼は何をしているんだ?」とそばの人間に訊ねたとしよう。

これは、一般的には、質問者は dとf の一部については把握済みであるが、hを把握できていない場合であろう。同時に、D,F についても把握できていないであろう。

 

あるいは、一枚の写真を見せられ、そこに写っている、家に立てかけられた梯子の中段にいる男を指して、「彼は何をしているんだ?」と問うとき、dは把握できていても、f が把握できていない、と言えよう。上っているのか、下っているのか、そこに留まっているのかがわからないからである。もちろん、h等についても把握されていない。

 

また、諸項d,f,F,D,hのいずれも(少なくとも部分的には)把握できていながら、ある項と別の項とのつながりが把握できていない、という場合にも、同じ問いが使用される。

次のような状況を想像してみよう。

ある住宅の内部で、大きな叫び声が上がったが、ドアはいずれも内から鍵が掛けられている。叫びを聞いた3人の隣人が、内に入ろうとするが、その一人が突然庭の一部を掘り始める。そこで、残された一人が別の者に「彼は何をしているんだ?」と訊ねる。尋ねられた者は「彼は、鍵の隠し場所を知っているんだよ」と答える。ー

これは、質問する者が、d,fの一部とh(「住宅に入る」) を把握しており、hを可能にするD,F(「鍵を手に入れてドアを開けて住宅に入る」)も理解できるが、fをF ' として把握することができていない場合である。

このようなバリエーションは他にもいろいろ考えられるが、今はこれらの例にとどめる。

 

3.

さて、以上の諸例における「彼は何をしているんだ?」という問いに、いずれも「彼は鍵を探している」と答えたとする。ー

この答えは、例えば、(最初の)電話で尋ねる場合と、庭で穴を掘っている光景を共有して言われる場合とでは、異なったポイントを持つ。

後者は、目の前の動作を、ある全体的行為の部分として見ることに向けた「説明」になっている。あるいは、ある目的に対する手段として把握することに向けた「説明」に。

同時に、その答えを、彼の行為の「描写」と呼ぶことも間違っていない。

しかし、双方の状況での「同じ」答え、「同じ描写」は、異なった情報構造information structureを持っている。

 

追記:式の一部を修正した。(2022/11/28)