Topic time とテンス・アスペクト(7)

1.

前回、テンスの機能に関する伝統的な理解と、それに対するKlein の批判を見た。伝統的理解の中核をなす、文のテンスが(それが描出する)事態の時間 time of situation を直接指示する、という観念をKlein は批判する。

では、彼はテンスが指示する時間をどのように捉えたか?

その認識が、テンス概念のみならず、アスペクト概念の再定義にまで至るのはどのようにしてか?

 

この枢要な問いに答える前に、残された、文法的アスペクトおよび語彙的アスペクトの伝統的理解へのKlein の批判について軽く見ておこう。

 

2.

言語学における<アスペクト>というタームは、ロシア語動詞における語形的対立ーperfective vs. imperfective ーを表す用語から始まった(N.I.Grech,1827)。その後、多くの言語学者が、<(文法的)アスペクト>で、「事態の時間的推移the time course of situation を眺めたりviewing 提示したりする、さまざまな仕方」(TL, p27)を指すようになった。

だが、この「事態の時間的推移を......さまざまな仕方」とは、正確には何を意味しているのだろう?

 

Klein に依れば、これまでの研究において、その内容の把握に2つの流れが存在した。どちらも、それを(大枠では)2つの「見方」の対立として捉えている。

①situation を、”「完了したcompleted」ものとして見る vs. 「未完のnot-completed」or「進行中のongoing」ものとして見る

②situation を、「外側からfrom outside」見る vs. 「内側からfrom inside」見る

 

Klein が、これらの<アスペクト>理解に共通した欠点としてまず指摘するのは、どちらの内容も、メタフォリカルなものにとどまっており、正確な内実が不明瞭、ということである。

具体的には「見るviewing」、「完了completion」、「外側 outside / 内側 inside」の内容、である。彼の批判の具体的内容については、これ以上立ち入らない(cf. TL, p27~29)。

アスペクトの定義における、「見る」という概念との結びつきについては、当ブログも問題視してきた(cf. ”行為と状態(7)”)。とはいえ、'aspect' という用語の語源自体、「見る」に由来する (ロシア語の vid,すなわち「見る」に由来する用語がフランス語の'aspect'に換訳された)。この結びつきを無視することは困難に見える。

だがそれでも、「見る」という概念から解放されたアスペクト概念を構築する試みがあってよいだろう( ”持続と認識”でそのことを示唆しておいた)。Klein のアスペクト概念は、その例であり、本人曰く、「伝統的なアスペクト概念の、純粋に時間的関係に基づいた再構築(TL, p108)」なのである。

 

3.

語彙的アスペクトについて、Klein は単純にして困難な問いを提起する。

語彙的アスペクトとは、動詞が定形化されて現実に適用される以前の<lexical content>に元より備わった時間的性格である。それは一般には、事態situation の持つ時間的性格とは区別される。例えば<to sleep in the guestbed>というlexical content は一般に、'unbounded' という性格を持つ、と見なされる。しかし現実の sleeping in the guestbed は、どれも皆、始まりと終わりを持っている、すなわち'bounded' である。

では、lexical content の持つ時間的性格は、それが表す現実のsituation の時間的性格によって正当化されるものではないのだろうか?現実のsituation に依ってでないとしたら、lexical content の持つ時間的性格は、そもそも何によって正当化されるのか?つまり、われわれは何に照らして、ある語の語彙的アスペクトを正しく決定できるのか?

 

Klein は、「situation の記述は、選択された、部分的な記述である」というテーゼと、<lexical content / world knowledge>の区別、彼独自のlexical content の分類、によって、この問いに答えようとするのだろう(cf. ”Topic time とテンス・アスペクト(4),(5)”)。だが、今は、これ以上立ち入らない。