Topic time とテンス・アスペクト(6)

1.

前々回、Klein のTopic time, Time of situation, Time of utterance という三つ組みは、あたかもReichenbach の三つ組みの改良版に見えるが、彼自身はそれを意図したのではない、と記した。

なぜなら、彼の理論は、Reichenbach も共有する、過去の伝統的なテンス・アスペクト理解への批判を基盤としているからである。彼は、伝統的な理解の基礎を掘り崩した上で、新たなテンス・アスペクト概念を確立しようとするのである。

その伝統的な理解とはどのようなものであったか、Time in Languageの中のまとめを基に簡潔に見てゆこう。

 

2.

まずは伝統的なテンス・アスペクト概念について見る前に、もう一周り視野を広くとる必要がある。つまり、言語が備える時間性temporality が、伝統的にどの様に理解されてきたか、を見ておかなければならない。テンスやアスペクトはそのような時間性の下位区分だからである。

 

言語が備える時間性には様々な種類があり、多様な手段によって表出される。例えば、動詞のテンス、アスペクト、時間的副詞句、特殊な接尾辞、叙述の順序、によって。(TL, p14)

しかし、

時間性に関する探求は、伝統的には、この多彩な手段の内の一部に集中していたーまず、テンスとアスペクトという、動詞に関する2つのカテゴリーに。そしてそれら程ではないにせよ、動詞の持つ固有の時間的特性に。(TL, p14)

従って、Klein は 言語の時間性に関する伝統的理解を確認・批判する際に、そのターゲットを、この3つに関連する概念に絞っている。

すなわち、

・<時間的参照 temporal reference>

・<文法的アスペクト Aspect

・<語彙的アスペクト Aktionsart>

がそれである。

(加えて、近年重要性を増したものとして、

・<談話上の機能 discource function>

が挙げられているが、Klein はこれを立ち入って検討することは控えている。)

 

ここで、テンスが<時間的参照 temporal reference>と関連づけられていることについては説明が必要だろう。

 

3.

<時間的参照>は、ある時間(時点あるいは期間)を、いわゆる「時間軸」上に位置づける機能に関わる。その位置づけ操作の本質は、別の時間への関係づけである。それが<参照 reference >の意味である。

ある時間を、基準となる別の時間に関係づけること。言い換えれば、基準時間との関係を示すことで、時間軸上の位置を表すのである。

その仕方には3種類ある(TL, p15)。

①deictic:time of utterance を基準時間とする

②anaphoric:テクスト上で先行して言及された、特定の時間を基準時間とする

③calendaric:歴史上の特定の時間を基準時間とする。例)イエスの生誕年を紀元とする、すなわち西暦

 

deicticなtemporal referenceには、大まかに言って2つの方法がある。テンスと副詞句である。副詞句にはdeicticなもの(例:three days ago)も、anaphoricなもの(例:three days before)もあるが、テンスはおよそdeictic である。

つまり、テンスは、発話の時間 time of utteranceを基準時間として、ある別の時間の位置関係を示すものである。(その位置関係には少なくとも、以前、以後、同時、という3種がある。)

 

ここまでは、伝統的なテンス概念と、Klein の提示するテンス概念とは一致している。異なるのは、この「ある別の時間」がどういう性格のものか、という点に関してである。

伝統的(標準的)なテンス概念は、それを time of situation だと捉えてきた。つまり、テンスとは、発話が描出するsituation の時間を、(発話の時間との関係で)直接的に示す機能を持つものである、と。

しかし、Klein は、テンスに想定された、この機能を否定する。

伝統的な理解が不適切であることを示すために彼が持ち出す文例は、当ブログが以前取り上げた、<叙想的テンス>の例に類似している。

これから見てゆく例は、標準的なテンス理論が、単純なケースに限った場合ですら、適切ではありえないことを示している。(TL, p21)

Klein の批判は、テンスが指示する時間と、situation が占める時間との間のズレを指摘するものである。彼の挙げる例の内、2つほど見ておこう。

Case1

誰かがジョンを探しており、君に、「ジョンがどこに居るか知っている?Do you know where John is?」とたずねる;君は次のように答える。

(1) Well, he was in the garden.

問題のsituation とは、ジョンが庭に居ることJohn's being in the garden、である。従って、標準的理論によると、ジョンが庭に居ることは発話の時間time of utterance より以前にある、ということになる。だが明らかに、君が(1) で言おうとしたことはそんなことではない。(TL, p21)

つまり、この例の time of the situation は、time of utterance をも包合しているのであり、単にtime of utterance に先立つことのみが言われているのではない。

もし包合していなかったら、例えば「君」がジョンを庭で見かけた後すぐにジョンがそこから立ち去るのも見ていたなら、Well, he was in the garden. という返答自体が不適切なものとなる。

しかし、そもそも先の問に対しては he is in the garden. と返答するのが正しいのではないか? 

いや、he was in the garden という言い方全く正しいのだ。すなわち、われわれはそのような言い方をも適切なものと見なす、それがわれわれの言語使用に関する事実なのである。

 

さらに別の例

Case3

誰かが次のように言う:

(3) Then these figures were multiplied. The result was ninety-four.

計算結果が94であることは、発話の時間に先立った特定の時間に限定されるわけではない。むしろ、どんな時間にも限定されない。しかし、話者は、正に結果が得られた時間について述べることを選ぶのであり、発話時に先立っているのは、この時間である。

同様に、ある情報が今も、あるいは永遠に成り立つ場合であっても、話者はその情報を最初に得た、特定の時間について語ることを選んでよいのだ(What was your name again?, What was the square root of 17?)。(TL, p22~)

ここで登場する3つの文は、以前当ブログで「無時間的命題」が過去時制で表される例として取り上げたものでもある。それらが<叙想的テンス>(ムードのタ)の例であることにも注意(cf. ”「説明」の周辺(42)”金水敏「テンスと情報」)。

これらに関して、Klein が指摘している事実が興味深い。ここで立ち入ることはできないが、留意しておきたい。

これらの例文のいずれもが、yesterday three weeks ago のような、過去を指示するdeictic な副詞とは共起しないことに注意せよ。このことから、deictic なテンスと deictic な副詞句とは、実際に異なった機能をもっていることが分かる。(TL, p23)

 

Klein がこのような例で訴えるのは、テンスが示す時間を、time of situation と同一視することへの異議である。では、一体それはどのような時間か?