a toy calculus of actions(3):行為の二次元的表示

1.

前回、架空の言語を構想するにあたって、行為というものを、ある期間に亘って展開される出来事、過程と捉えた。

そして、次のように仮定した。その過程の個々の時点において、その時点にされている<動作>を見出すことができる、また、個々の時点で、そこまでに成し遂げた<所為>を把握することができる、と。

すなわち、ある行為は、2つの相、<動作>、<所為>において、時間的に展開する。それぞれの展開が、関数<f>, <F>で表される。

したがって、われわれは2つの二次元的グラフを想定することができる。いずれも、x軸に時間をとることにしよう。

グラフの一つは、y軸に様々な<動作>をとるもの、もう一つはy軸に<所為>をとるものである。

微積分の「比喩」を説得的なものにするためには、<動作>や<所為>の集まりが、それぞれどのような構造を持っているとすべきだろうか?

比喩をまともに受け取るなら、距離とか連続性とかの数学的性質に類比できるような構造を考える必要がある、だろう(それが可能かどうかは別として)。

しかし、「いい加減に過ぎる」と叱られるだろうが、ここでは「似たものは距離的に近いところに位置する」程度に考え、敢えて曖昧にしておこう。

ともかく、行為の時間的な展開が2つのグラフによって表される、としよう。それぞれが関数<f>,<F>のグラフである。

その関数間の関係が<' >, <∫>という演算によって「計算」される、というのがわれわれが想定した条件であった。

 

ただし、注意しよう。単なる<動作><所為>の時間的展開は、必ずしも、われわれが「行為」と呼ぶものではないであろう。一連の<動作>を続けても、それが何の行為にもならなかった、ということがあり得る。つまり、結果としての<所為>が、何の行為とも呼べないものになってしまうこともあるだろう。

また、哲学で問題にされてきたように、ある行為に関する記述は、一般には、複数であり得る。

したがって、ある期間に、ある行為者が、これこれの<動作><所為>を行った、という記録は、直接に日常言語の「行為の記述」に翻訳できるものではないだろう。

前回の述語< A >, <Ă>は、ともに、ある時点に、ある<所為>or<動作>を行った、という内容にすぎないから、なおさら、一般的な「行為の記述」とはかけ離れている。

 

2.

行為の展開を2次元的に表示する、というアイデアは、言語学において先例がある。ただし、そこで主題となるのは「行為」よりもむしろ「動詞」一般である。

ある動詞の表す過程を2次元的に表示することで、動詞の持つ語彙的アスペクトの分析に役立てようとする試みの一つに、William Croft のものがある(Croft, Verbs: Aspect and Causal Structure)。

我々は語彙的アスペクトの局面(phase)を分析し、ティンバーレイクと同様に、アスペクトの局面は時間という一つの次元のみを持つのではなく、2つの次元を有していることを認識した。そして、語彙的アスペクトとは出来事が時間の中でどのように展開する(unfolding)と解釈されるかを表したものである、ということが明らかとなった。(Croft, Verbs, p53)

出来事eventsの展開とは、個別の出来事のタイプを特徴づける 質的状態qualitative states の連鎖sequence である。ゆえに語彙的アスペクトを表現する際、2番目の次元となるのは、展開してゆく出来事の持つ質的状態の集合である。(ibid. p53)

Croftは、出来事の展開は状態stateの時間的連鎖から成る、とする。

つまり、Croftは、x軸に時間、y軸に質的状態qualitative stateをとるグラフ表示を提案する。それぞれの軸を、the time dimention(t), the qualitative dimention(q) と呼ぶ。

時間の次元は連続的continuous である。それに対し、質的状態の次元は、その出来事に対してどのような質的状態が定義されているかによって、連続的でも、非連続的でもあり得る。(・・・)たとえば、「見る」ことに対しては、q次元において、ただ2つの規定された状態が割り当てられる:何かを見ていない状態、および、何かを見ている状態。従って、「見る」ことのq次元は、実際には、ただ2つの点から成る。(ibid.p53)

アスペクトの局面の連鎖は、出来事の「アスペクト的輪郭aspectual contour」を表す。(ibid.p54)。ある同じ動詞が登場する文は、解釈されるにあたって、それぞれ別のアスペクト的局面が浮き彫りにされるprofile ことで、それぞれ異なったアスペクト的意味を担わされる。その動詞の有する全体的なアスペクト的輪郭は、そのようなアスペクト的解釈を受ける際の意味論的枠 semantic frame となる。

つまり、動詞の展開の形状(「輪郭」)の違いが、語彙的アスペクトの違いに対応する。文法的アスペクトは、記述が、それぞれの「輪郭」のどこをprofile するか、に関わる。

繰返しになるが、Croft で注意されるべきは、出来事が、「質的状態」の時間的展開として捉えられていることである(「質的状態」の基礎性)。その点で、当ブログの試みとは異なっている。