動態動詞ル形の用法について(6)

1.

続いて、

⑥履歴属性叙述のル形文

益岡隆志は、属性叙述の一種として、「履歴属性」というカテゴリーを立てた。それは事象から派生する属性の一つ、「本来的に事象を表す動詞文(動詞述語文)が属性を派生する(含意する)」場合の一種である。

もう一つの道筋は、特定の時空間に起こった事象がそれに関係する対象の有意味な実績として捉えられる場合である。この場合、言わば、その事象が当該の対象に”履歴”として登録されるわけである。登録された履歴は、事象が生起した時間を超えて当該の対象の”記録”として残ることになる。(…)

(9) あの人は以前、地元のマラソン大会で優勝した。

(益岡、『日本語文論要綱』p6-7)

(9)の文のように、タ形(過去テンス)で履歴を表すことが多いが、以前触れたように、現在テンスで履歴を叙述する用法も、日本語や英語に存在する。

以前見た例から、(cf. 2023-10-18, 、2022-07-30 )

菊池序光(生没年不詳) 江戸時代後期の装剣金工。菊池序克にまなび、のちに養子となって菊池家2代目をつぐ。柳川派の手彫りにすぐれる。江戸神田にすむ。本姓は中山。通称は伊右衛門

In 1837, Dickens completes the Pickwick Papers.They are enthusiastically received by many critics. He moves to York and marries his grand-niece Joan. In 1838, they are divorced again.

これらの文は現実の事象の叙述として、基本的に、その事象の時間的位置(time of situation, TSit)が特定的に決まっている。

一般に、文における、ある時間的位置の示し方には、deictic, anaphoric, calendaric という仕方がある(cf. 2022-04-22)。上の2つの例文については、calendaricな表示の例とみなせる。前者は日本史の時代区分体系に依り、後者は西暦0年を基準時とする暦年のシステムに依る。

ただし、文中にそのような時間を表示する語句がない場合もあるだろう。そのような場合、時間的位置づけは、文脈的に決まる、と言えるだろう。ただし、その「文脈」には狭義のテクストの外の状況も含まれる。

上の例では、Time of orientation=time of decoding(受信時)とみなして、Toは非特定的である、と考えることができるかもしれない。topic time(TT)については、TT⊃ToかつTT⊃TSitである任意の期間であれば、現在テンスかつperfectiveの条件が満たされるから、そのような非特定の期間であると捉えることは可能だろう。だが、テンス・フォームとしてのル形や現在形は、現在・未来の表現とのコントラストを形成しないゆえに、実質的な機能は果たしていない。したがって、これらの文を通常のテンスの図式に当てはめることは適切と思われない。そういった面で前回の③④と類比できようが、次の点で異なっている。

一つには、アスペクト形式としてのル形にはperfectiveとしての意味がある点。

もう一つ、テクストを構成する一連の文の間には、時間的構造が存在する点。たとえば、上に引かれたディケンズに関する文章は、時間的に継起する、複数の出来事を記述している。そのために、次のような"discourse strategy"に従って構造化されている。

Principle of chronological order

特に指示のないところでは、出来事が叙述される順序は、それらが起こる順序と一致させる。

(Wolfgang Klein,  "How time is encoded", p34 , cf. Time in Language, p45)

以前、テクストの持つ時間的な内部構造を指す概念として、ヤーコブソンの「タクシス」を紹介した(cf. 2023-6-28)。発話時を基準としたテンスとは区別される、出来事同士の時間的な関係づけを、上のテクストにも見ることができる。

そこで、2つの問題が気になってくる。

一つは、”履歴”を語るテンス・アスペクト形式として、インド・ヨーロッパ語における「アオリスト」が存在するが、それによって書かれたテクストとの比較という問題。

もう一つは、当ブログではル形の用法の一つに挙げていなかったが、小説の地の文に現れるル形をどう性格づけるか、という問題。(これは次のⅢの用法にも関連する。)

これらは、当方の手には余るけれど、一応言及しておく。

 

2.

次に、

Ⅲ 一般化して表現する用法

「一般化して表現する用法」とは決して一般的な用語ではないが、益岡・田窪『基礎日本語文法』(改訂版)p109から採ったものである。

...動作を発話時に関連づけることなく、一般化して表現する用法がある。説明文や脚本のト書き等に、そうした用法が見られる。

例 (10) 鍋にバターを溶かし、ベーコンを入れてよく炒める。

     (11) 花子、右手から出て来て、舞台中央で止まる。

遡って、三上章は、これらの内、動作主を言い表さないものを、「一般的操作型」あるいは「料理型」と呼び、「普通型(報告型、ルポ型)」と対立させている(『象は鼻が長い』p27)。

鈴木論文では、「方法の説明につかわれる文の述語」(p28)として挙げられたものが相当する。

料理のつくり方、化粧のし方、道順の説明などにつかわれる文では、述語のしめす動作は一般化されている。主体は一般化されていて、主語はあらわれない。

(鈴木重幸、「現代日本語の動詞のテンス」p28)

このように、動作主を言い表さない用法が多い中で、主語を備えた、通常の叙述文に近いものとしては、脚本のト書きを挙げることができる。その内部では、⑥で見たようなテクスト的時間構造が存在し、perfective/imperfectiveの対立も機能する。次の例で確認しよう。

名ある旗亭の女中おさん(二十二、三歳)通りがかりの振りをして川並の仕事を見ている。

木挽治平、のっそり挽き目に栓を打込みかけ、おさんに心づいて見ている。

おさん、川並たちの中に求める男が見えないので、あちこちと見廻す。

治平はニヤニヤしながら仕事にかかる。

おさんは思わず前にでて、抜き取られて放り出してある一本のコロに躓く。

長谷川伸、『中山七里』)

テクスト内部の時間的構造は、料理のレシピの場合でも肝要なところである。

これらの用法では、述べられた内容が、料理や演劇の形で今後に再現可能と想定されている。またtime of decoding(受信時)が非特定的であるために、書かれた文章の形をとる場合が多い。そして、TSitも特定の時間に位置づけられないことが多いものの、テクスト内部の時間的構造に対応する、事象間の時間的構造は定められる。

上の『基礎日本語文法』の引用にも言われているように、ここでは発話時(TU)の参照によるテンスは機能しない。また、time of decodingに対して未来の事象を述べているわけでもない。述べられた内容が再現されなかったからといって、それらの文が偽になるわけではないからである。ここでもToやTTの概念による図式的な整理は適切ではないだろう。