Topic time とテンス・アスペクト(18)

1.

Klein による、テンス概念の再定義を再掲する。

テンスは、time of utterance(TU)と topic time(TT) との位置関係を示し、

a. TU after TT (TT before TU) : past tense

b. TU included in TT : present tense

c. TU before TT (TT after TU) : future tense

(ここで、'TU included in TT' は、TU がTTに完全に含まれる場合を意味する。)

 

Klein はさらに、変則的なテンスの用法について、その由来を説明しようとしている。

(Time in Language, ch.7.4)

彼はそこで、<歴史的現在>を初めとした8種類の変則的なテンス使用を取り上げている。変則的 atypical、というのは、動詞の現在形を過去のsituationの記述に使用するなど、通常の使用からは逸脱しているからである(ibid., p133)。

これらの使用全てに共通していることは、テンスの形態が(通常の意味で)表示する時間的関係と、situationとtime of utterance の間にある、「現実の」時間的関係とのミスマッチである。(ibid., p136)

彼が挙げる8種類の内、現在時制の使用が6種類、過去時制の使用が2種類。過去時制の場合には、以前、当ブログで叙想的テンスの一つとして取り上げたものも含まれる。

Sorry, what was your name?

Klein は、これを 'backchecking' と呼んでいる。これは、日本語の叙想的テンスの例では、寺村の<忘れていたことの想起>、金水の<回想>に相当する(cf. 寺村秀夫、『日本語のシンタクスと意味 Ⅱ』p105~、金水敏「テンスと情報」)。

 

8種類の一つ一つについて、紹介、検討する余裕はないが、考察の結論を見よう。

まとめると、「変則的」使用は2通りに説明される:一つは、「現実の」situation の時間がTU に対してどんな位置にあるにせよ、話者によって選ばれたTTが極めて長期間のものであるために、それを包含することが可能である場合、もう一つは、lexical contentが記述するsituation が現実に成立した時間ではなく、そのsituation が想像されたり、その情報が話者にもたらされた時間を、TSit が表す場合である。(ibid., p140)

つまり、Klein によれば、変則的テンス使用には2通りの由来がある。

前の方の例に、Klein が ' fact listing ' と呼ぶものがある。それは下のような例における現在時制の使用である。

In 1837,Dickens completes the Pickwick Papers .They are enthusiastically received by many critics.He moves to York and marries his grand-niece Joan. In 1838, they are devorced again. (ibid. , p135)

この場合、過去形でなく、現在形が使用されているのはなぜか。

次の条件の下で、話者はTTを任意に選ぶことができる。

原則として、そこに理由があり、発話の状況が適切であるなら、いかなる期間もtopic time に選ばれることができる。(ibid. , p80)

上の場合、現在時制が選ばれており、TT はTUを含んでいる。なおかつ、1837-8年の出来事を含むことができるほど、TTは長期間に設定されている、としよう。そうであれば、ここでの現在時制の使用にミスマッチはない、とKlein は主張する。(cf. Ibid., p138)

 

彼の主張がこの例に適合しているか否かは検討しない。

ただ、そのような説明に対しては、別の方向から疑問を投げかけることが可能だろう。

Kleinに従えば、TU を含むTTは、短いものから長いものまで、無数に設定できるだろう。その中には、<過去のある時点からTU まで>の期間からなるTTも多々あるはずだ。TUを含むTTを選択するということは、現在時制を用いるということである。

さて、現在時制でperfective aspect の記述を作り出すことは容易である。その場合に、上のようなTTが選択されたとし、さらに、TTがTSitに部分的に含まれるという関係が現実に成立していれば、(Kleinの再定義により)その記述は真となるはずである。

従って、もしKlein の言う通りであれば、「あっ、皿が割れた」の意味で(その代わりに)「あっ、皿が割れる」と言ってもおかしくないだろう。TTを、皿が割れる時とTUとをともに含む期間に取ればよいからである。あるいは、「銃声が鳴り、人が倒れた!」の意味で「銃声が鳴り、人が倒れる!」と言ってもよかろう。

それにもかかわらず、現実には、現在時制でperfective aspect の記述は、(過去から現在にかけてのsituation の記述としては、)比較的特殊な場合(スポーツの実況中継、遂行動詞文など)に使われるに止まる。圧倒的に多くの場合、未来のsituationの叙述に使われる。これは、英語でも日本語でも同様である。(※状態述語の場合は除く。)

つまり、現実には、未来を表さずに「あっ、皿が割れる」「銃声が鳴り、人が倒れる!」のように言われることはなく、そのような使用は不適切とされる。

では、Klein の議論のどこに問題があるのだろうか?

この問いに今答えることはできない。

最後に、変則的テンス使用の、もう一通りの場合について、関連することを少し述べておこう。

 

2.

Klein の言う、変則的テンスのもう一つの場合は、TSit の変化に関わる。

このスペースで詳しく解説はできないが、Kleinの主張をわかりやすい例で言えば、空想の内容やタイム・トラベルの記述で現在時制が使われる場合には、(situation 自体が現実には成立していないのだから、)TSit は現実の時間ではなく、話者や聞き手が想像する時間となる、というものだ。それらの例のように、現実のTSitとは異なるTSit、いわば「二次的secondary」なTSit が、それらの変則的テンス使用におけるTSit となる、そのような「二次的」TSitは、話者や聞き手の体験時や情報接触時に位置付けられる、という考え方である。(ibid. , p138-140)

このように、Klein は変則的テンスを、TSitのシフトに由来すると考える。その是非は今は検討しない。

Klein は、先の' backchecking ' もこれに含めている。

しかし、その場合は別様に考えることが可能ではないか。

' backchecking ' の例。

Sorry, what was your name?

話者(質問者)にとって重要なのは、相手の名前が今、何であるか、のはずだ。しかるに、上の問いのTTは過去の或る期間になっている。(そのことがミスマッチと感じられるのである。)

このTT に対応するTSit、に対応するsituationが、直接に問われている。具体的には話者が(相手の名前という)情報に触れた時のsituation である。しかし、実際に重要なのは、TUに対応するsituation (現在、何という名前であるか)である。

Klein は、現実のTSit(TUを含む)が、過去に位置する二次的TSit に転移された例として、これを捉えた。この場合、二次的TSit は、質問者が相手の名前を知った(あるいは憶えていた)時、である。

 

彼の捉え方では、あたかもTSit が別の位置に移動させられているかのようである。

しかし、別の見方が可能である。相手の名前は、話者が知っていた当時も今も変わらない。すなわち、当時も今も同じsituation が成り立っているし、その間もそれは変わらない。ゆえに、一つのTSit が時間的に広がっている、と捉えることができる。また、少し考えてみれば、話者も同じsituation の存続を前提として尋ねていることがわかる。同じsituation が持続しているからこそ、過去のTTについて尋ねて得られた答えが、今に関しても通用するわけだから。

とすると、問題はTSit のシフトではなく、TTのシフトである。TTが、話者が情報に触れていた期間に設定されるのだ。

このような見方を、日本語の叙想的テンスの研究と比較することは興味深いが、ここでその余裕はない。(cf. 金水敏、前掲論文、定延利之「ムードの「タ」の過去性」)

 

ただ、次のことには注意しておこう。

上の例で、話者(質問者)が相手の名前の情報に触れている期間、つまり、それを知って覚えていた期間は、相手がその名前を持っている全期間の部分をなす。質問者は、その過去の期間のみを問題にしたいのではなく、それを通して、現在を含むより大きな期間を問題にしているのだ。

つまり、上の例は、部分的なTTに関する叙述によって、より大きな全体を示す、という、imperfective aspect の用法に類似する構造をそなえているのだ。