動態動詞ル形の用法について(5)

1.

続いて、

③「虚構移動文」(cf. 三原健一、『日本語構文大全Ⅰ』p255~)

この構文は、道路、山地等を主語にとる。

中国自動車道は、吹田を起点に、しばらく市街地を走る。

金剛山地大阪府奈良県の境を南北に走る。

「虚構移動」と呼ばれるのは、道や山地が実際に走っているわけではないのに、字面ではそうなっているからである。

そして、その道や山地において変化しない特徴について語っており、属性叙述文と見なすことができる。

テイル形への変換も可能である。むしろ、ル形の文は、「かたり」のテクストや解説的なテクストでの使用に限定される傾向があるように思われる。これに関連して三原は、ル形が許容されるには、時間や場所を限定する表現を伴う必要がある、と言う(p255)。この点の検討には、今は立ち入らない。

また、「この道は走る/走っている」「金剛山地は走る/走っている」だけでは意味をなさず、場所や形状等を規定する語句が必要である。そして虚構移動文では、主要な情報は場所や形状に関する語句の部分が担っている。「金剛山地は南北に走る」の「南北に」の部分が重要であるように。次の④の一部にもよく似た性質がある(cf. 2023-10-01)。(さらに、「青い目をしている」構文において、「彼女は目をしている」が意味をなさないこと、文の主要な情報は「青い」にあること、にも似ている。)

 

④一部の第四種動詞文

これは、第四種動詞の「恒常性用法」(西田光一)として、以前検討した(2023-09-20)。ル形が用いられるのはあくまで”一部の”第四種動詞に限られる。その広がりについては、実例に即して検討されなければならない。ただし、場所格の補語を必要とする 、位置や形状に関する動詞が多いことは目に付く:例)面する、浮かぶ、そびえるetc.(cf. 2023-10-01)。また、ここでは、「かたり」のテクスト等に限られるという、強いテクスト的制限が存在する。

 

③の虚構移動文は、位置・形状に関する第四種動詞の文に、ある面で類似している。ただし、第四種動詞の多くが変化動詞の見かけであるのに対し、虚構移動の走るは動作動詞の体裁をとっている。虚構移動文を「虚構の移動を表す」ものと特徴づけるならば、この種の第四種動詞は「虚構の変化を表す」と言えるかもしれない。

そこで、前回見た、「…の味をしている」「…の色をしている」「青い目をしている」といった、感覚的性質を表す動詞について。これらも第四種動詞に分類されるが、例えば「この花は甘い香りをしている」の場合、主格「この花」が、ヲ格の「甘い香り」という動作をするわけではないから、これを「虚構動作」と呼ぶことができるかもしれない。そしてこの場合、ル形では、いかなるテクストでも使用されない。(ちなみに、ル形で使用可能な「この花は甘い香りがする」の「甘い香り」はガ格であり、「すごく腹が立つ」のようなⅥに分類される文に類似する。「…がする」と「…をする」との関係は、Ⅵで取り上げる予定である。)

すると、大雑把ではあるが、「虚構移動」文、「虚構変化」文、「虚構動作」文、いずれもがル形すなわちperfectiveになりにくいか、なれる場合にもテクスト的な制限が課され、属性叙述文となる、とまとめられよう。

 

③④ともに、対応するテイル形の文は、ある変化しない状態=属性をimperfectiveに叙述する文とみなされる。その場合、話された言葉なら、time of orientation(To)=time of utterance(TU)、topic time(TT)はTUを含むある期間、としてよいだろう。

ル形で用いられる場合も、ある属性を表すために使われ、内容的にはimperfectiveの文に見える。事実「高知県境には四国山地が横たわる」「金剛山地大阪府奈良県の境を南北に走る」のような文をperfectiveとして解釈すれば、起こるはずのない「動作」がTTの期間内に起きて完結することになるので、これはおかしい。ただし、以前見たように、実際には④では副詞句との共起関係等でテイル形文と異なる面がある(cf. 2023-10-01)。当ブログはこれを、特にテイル形の文において、アスペクト形式の示す性格が失われていないしるしと考えた。前回触れたように、副詞句や条件節との共起をめぐる、ル形/テイル形の対立は、ここで取り上げる種類の文に広くみられる。ただ、ル形文においても差異が存在するため、単純な裁断は控えたいが、その重要性には今後も注意してゆく。

 

では、これらの動詞のテイル形文は、「虚構」の移動or変化or動作を、あたかも起こっ”ている”(継続or結果存続)もののように扱うことによって、特定の状態のimperfectiveな記述を可能にしている、と言えるだろうか?(ただし、われわれは、そのような移動や動作が起こったとは普通想像しないが。)

さらに、③④のル形のテンス、アスペクトをどう捉えたらよいか?これらが、書かれた文章や、発信者から受信者へ一方向に与えられる解説としてある場合、To=time of decoding(受信時)、TTはToを含む任意の範囲、と考えたくなる。しかし、実際に動作や変化が起きた(起こる)わけではないので、perfectiveの条件(TT⊃TSit)を満たすことはない。

これらのル形文は、実際には、ある恒常的な状態を叙述する文として機能しているが、その使用にテクスト的制約が生じるのは何故か? というのが、一つの問いであった。答えを出す段階ではないが、敢えて仮説的に提出しておくなら、「はなしあい」のテクストにおいては、To=TUというdefault解釈(phono-deictic 解釈)の圧が強いので、それに基づいたテンス/アスペクト解釈(未来/perfective)が強制されてしまう(が、それは不条理である)、という理屈が考えられる。それに対し、「かたり」のテクスト、特に書かれた文章においては、time of encoding(発信時)が発信者−受信者間で共有されないことが多く、Toを曖昧化、不明化することが容易である。ゆえに、Toの曖昧化、不明化がこのような用法の条件となっているのではないか、と考えたくなる。

では、これらのル形文は、ToやTTの位置的関係に依って表される、通常の文法的アスペクトやテンスの枠組みを逸脱するもの、とみなすべきだろうか?

残っている問題に、これらの動詞の、連体修飾時の様態がある。その問題を探索してから再考したい。

 

⑤関係動詞

金田一春彦「国語動詞の一分類」において、「違う」「当たる」といった動詞は、状態動詞と第四種動詞とを兼ねるものとされた。

この下駄は(私のと)違う。

この下駄は(私のと)違っている。

あの人は私の叔父に当たる。

あの人は私の叔父に当たっている。

金田一は、前者を状態動詞、後者を第四種動詞とした上で、両者の意味は同じであるとした。だが、両者が、語彙的レベルで異なる2つの動詞であると考えるのは不自然に感じられる。

これらに加えて類する動詞(異なる、一致する、属する、etc.)は、後の研究において「関係動詞」と呼ばれている(工藤真由美、山岡政紀)。ル形でもテイル形でも、現在の事象を表すという特徴があるが、両者の間に意味の違いはあるのだろうか?この点に焦点を当てた研究に、山岡「関係動詞の語彙と文法的特徴」があるが、今は立ち入らない。ただし、ここでも条件節との相性の良し悪しから、2つの用法の違いが見えてくることを記しておこう。