1.
"a toy calculus of actions(1)" で挙げた、進行相の特徴を振り返りながら、「微積分への類比」の意義、あるいは効用について考えてみたい。
そこでは、説明が欲しくなるような特徴を7つほど挙げていた。
① imperfective paradox
②「していないけれど、している」というパラドクス
③限定された持続を、非有界的に表す
④期間の長さを限定する副詞句と共起しにくい
⑤持続的な事象を、幅のない時点に関しても述べることができる
⑥(英語の場合)状態動詞は、通常、進行形をとらない
⑦(英語の場合)周辺的な使用として、状態動詞が進行形をとる場合がある
これらの特徴を新たな類比の下で見直すことが、目標の一つだった。それを試みたい。
残念ながら、多くの具体例に即した、丁寧な議論を展開することはできない。新たな類比から見えてくる光景を大まかに書き留めるのみである。
まず、⑤について取り上げる。
それに絡めて最初に、必要な、問題点の区別を行っておく必要があるからだ。
2.
英語学では通例、progressive aspect の特徴の一つとして、「持続duration を表す」ことが挙げられている。
The progressive Form indicates duration (and is thus distinbguished from the non-durative ' event present').(Geoffry Leech, Meaning and the English Verbs, 3rd ed.§28)
The situation is presented as durative.(Huddleston&Pullum, The Cambridge Grammar of the English Language, p163)
対して、日本語学では、テイル形の持つ基本的な意味の一つとして、「継続(の状態)を表す」ことが挙げられている。
テイル形の基本的な用法は、動きの継続の状態を表す用法と、動きの結果の状態を表す用法である。(益岡隆志・田窪行則、基礎日本語文法-改訂版ー、p114)
テイル形の基本的な意味は継続です。(庵功雄、新しい日本語学入門、p155)
この「継続」という言葉の含み、「持続」との違いには、なかなかに奥の深いものがある(例えば、継続するものは必ずしも自身で持続する必要はない、だろう)。が、それに触れる余裕はない。とりあえず、「進行相の基本的用法は持続を表す」という主張を基に議論を進める。
時間的な「持続」とは、時間としての「幅がある」ことであろう。一方、「点」とは、位置はあっても大きさのないものである。とすれば、「時点」には持続がないことになろう。
ところが、進行相は、ある時点、ある瞬間における事象situationについて叙述することもできる。
これは、進行相の基本的な特徴、「持続を表す」に反しているように見える。これが⑤で言われた問題であった。
そこで、注意したいことがある。
「時点に関して、持続的なsituationを述べる」ことは、進行相に限った特徴ではない。
「われわれが○○海岸に到着した△月△日午後5時ちょうどに、西の空は赤かった。われわれはゆっくりとその光景を楽しんだ。」...⒜
おそらく、その日の午後5時1分過ぎにも、空は赤かっただろう。
「おとといの事件が起こった際、あなたは何か見かけませんでしたか?」「一瞬でしたが、見知らぬ女性の姿を目にしました。色白で細く長身でした。」...⒝
この目撃情報をもとに探される女性は、探される時点においてもやはり色白で細く長身であろう。
普通、進行相を持たない状態動詞stative verb もまた、ある時点について、持続的なsituationを叙述するために使われるのである。
ただし、これらの例における「叙述されるsituationの持続性」は含み implicatureであり、言葉の意味自体によるものではない、と言われるかもしれない。
しかし、次のことに注意してほしい。すなわち、これらの文が埋め込まれた言語使用においては、situationの持続性が本質的に前提されている。例えば、⒝ において、件の女性の容姿が数日のうちに大きく変化するようなものであったとしたら、「おととい」の容姿について述べる意義はなくなってしまう。
このような用法が「叙想的テンス」にも共通していることを、”Topic time とテンス・アスペクト(18) "で指摘しようとした。
つまり、人の名前が一般的に、変化せず持続的に使われるものであるからこそ、
What was your name?
という訊ね方がされるのである。
ゆえに、まず、
a.「時点に関して、持続的なsituationを述べる」ことの問題と、
b.「時点について、変化する事象を述べる」ことの問題とを区別したい。
前者は、進行相のみならず、stative verbにも共通する「問題」なのである。
3.
他にも、「時点」という観念をめぐって、様々な問題が取り沙汰される。
例えば、
c.「大きさのない「点」という概念のはらむ問題」、
d.「「時点」から成る「時間」、という観念の問題」、
e.「時間を、空間(的延長)への類比によって把握することの問題」
など。
これらは古くから問われてきたものであるが、ここでの考察の対象からは区別しておく。
特に、当ブログで構成した「言語」は、最初から「時点」の概念を前提としている。
すなわち、適切であろうとなかろうと、「時点」について語ることに意味がある、ことが前提になっている。
c., d. は、本来、b. の問題と関係があるだろう。
しかし、当ブログの「言語」では「時点」のみならず、それに関連した概念(<動作>、<所為>、< '>など)も「天下り」に導入されている。そして「時点」の概念はそれらを要のように支えている。ゆえに、それを問うことは当分の間、横に置いておく。