Topic time とテンス・アスペクト(16)

1.

すでに、”Topic time とテンス・アスペクト(11)”にて、Klein の議論の進め方の問題点について軽く触れた。それについて、もう少し述べておく。

具体的には、lexical contents (≒語彙的アスペクト)に関する彼の分類が基づいているところの<TT-contrast>の概念、さらにその基礎に関わる「リンク(する)link」という言葉に関する問題点である。

Klein は、「リンク」を、特別に方法的な概念として扱うことをせず、あたかも自明な概念であるかのように、Time in Language の各所で定義抜きであいまいに使いまわしている。例えば、lexical content が実際に発話されることによって、あるsituation に解釈され、時間軸に埋め込まれるembeddedことを、「リンク」とも表現している(TL, p36)。しかし、これは<TT-contrast>を定義する際の「リンク」の概念とは異なっており、混乱を招く元になっている。

以下では、後者の意味での「リンク」に絞って考察し、「リンク」の多義性にはこれ以上触れないことにする。

(以下、”Topic time とテンス・アスペクト(11)”を参照)

 

およそ、次のように述べられていた。

一つのTSit (time of situation)は、様々なTT (topic time)との間でリンクしたりしなかったりする。リンクするTTとリンクしないTTとの間には、「TT-contrast がある」と言う。

あるlexical contentが解釈されて得られるTSit について、いかなるTTの組み合わせについてもTT-contrastが存在しない場合、そのlexical content は<0-state content>に分類される。TSit内部のTTと、外部のTTとの間でTT-contrast が生じる場合、<1-state content>に分類される。(cf. Time in Language , p81-4)

次に、<2-state content>の概念が導入される。それは、2つのproperty(あるいはstate)から成り、一方が他方の"negative counterpart" であるものとして定義される。2つのstate は、"source state ", " target state "と呼ばれる( ibid., p85)。<2-state content>は、その内部にTT-contrast を持つ( ibid., p86)。

 

さて、以上の説明において、「リンク」が何であるかは述べられなかったが、わざと端折ったわけではない。現実に、Time in Language の該当箇所を当たってみても、「リンク」の定義は明確には与えられていないのである。

 

この場合、TTは言明に関わる概念だから、「リンク」は言明の妥当性または真理値に関わる概念と解するのが自然に見える。すなわち、「あるlexical content に、あるTTがリンクする」とは、「そのlexical content を叙述化したもの(言明)が、そのTTに関して真となる」ことだと解釈したくなる。(したがって、上の、「時間軸への埋め込み」を意味する「リンク」とは意味が異なっていなければならない。)

現実に、Klein はこの文脈で、" situation description" という言葉を使用している

可能なTTに対する 振舞いbehavior は、situationの記述の間で異なるであろう......前の例のような situation の記述は ' TT-contrast ' を示すが、他の記述は示さない......(ibid.,p5)。

また、<0-state content>を、いかなるTTに対しても、それを否定する言明が適用可能でないものとして説明している(ibid., p81)。

propertyに関する主張assertionと、諸期間のコントラストとの関わりについてはP85でも言及されている。

これらの例は、Klein において、「リンク」が言明の妥当性ないし真理値を規準とする概念であることを証左するように見える。

 

だが、このように言明の妥当性(ないし真理値)をもとに「リンク」を定義しようとすると問題が生じる。単純な話で、lexical content を具体的な言明の形にすれば、テンスとアスペクトをもつようになる。すなわち、言明すること、すなわち発話はTUとTTを決定し(テンスの決定)、lexical content を現実のsituation に関係づける(解釈する)。と同時に、TT とTSit との関係も決まる(アスペクトの決定)。

そこには複数の選択肢がある。解釈によって、あるsituationが選択され、それとの関係において、発話のテンスやアスペクトが真理値を左右する。例えば、<太郎 試験問題を 解く>というlexical content について考えよう。過去の、ある時間帯に太郎が試験問題を解いていた(解こうとし続けた)とする。その時間帯に含まれるTTに関して、「太郎は試験問題を解いていた」と述べることもできるし、「太郎は試験問題を解いた」と述べることも可能だ。前者は真だが、後者は真ではない。

つまり、「リンク」の定義において言明の真理値を使用するなら、単純にlexical content とTTのみを問題にすればよいのではなく、言明のテンス、アスペクトをどう選択するか、という点が解決されなければならない。Klein の説明には、その辺の手続きの話しは何も出てこない。

 

2.

従って、当ブログとしては、Klein の方法について、次のように解釈して話を進めた。

(cf. ” Topic time とテンス・アスペクト(11)" )

lexical content 自身は時間軸上に位置しないが、それでも固有の時間的性質temporal feature を持つ。それが、<situation type>とか<語彙的アスペクト>と呼ばれるものである。その時間的性質は相応の時間的な広がり、延長性を持っている。

仮想的に、そのlexical content を、時間軸上に位置付けて考察することができるだろう。その際に、時間軸上のtime of situation (TSit)が生じる。

そこで、「TTがTSitにリンクする」とは、TTが、時間軸上の位置と延長性において、このTSitに包含されていることを意味する、と。

(TTの完全包含/部分包含の問題があるが、立ち入らないで進む。)

 

細かい確認はしないが、このように解釈すれば、Klein の分類は機能できるだろう。

その場合、lexical content の区別は、何によって確定できるのか、という問題への答えは、「言明の真理値によって」ではなく、「物理的な延長性によって」というものになるだろう。

Klein は、用語で分かるように、lexical contentを state(から構成されたもの)と捉えて分類している。Lexical content を時間的延長性の側面のみに注目して捉えることは、それを状態へと還元することに似ている。

その際にKlein が依拠するモデルは非常にシンプルなものであり、複雑な形状をした時点の集合は出てこない。こう解釈する場合、<TT-contrast>のような道具立てが必要なのかどうかも怪しい。

 

3.

しかし、テンス・アスペクトの分析にはそのような分類で十分であるという彼の言葉(ibid., p6, 80)と、現実とは齟齬をきたしているように思われる。

その一つとして、一時的な状態性とactivity とが区別されず、ともに1-state content とされてしまうことの問題性について少し触れた。(" Topic time とテンス・アスペクト(13)" )

 

次のような例もある。

" Topic time とテンス・アスペクト(14) "で見たように、

Klein の理論によれば、一般に、

①perfective aspect の叙述では、<TSit⇒non-TSit >という変化が、TTの内部に在るものとして表示される

②imperfective aspect の叙述では、TTはTSit に完全に含まれるため、そのような変化はTT内部に表示されない。

従って、同じTTに関して、imperfective aspect での記述が成り立つからといってperfective での記述は成り立たないはずである。つまり、accomplishment verb における" imperfective paradox " は、むしろ論理的に当然のこととなる。この点では、Klein の理論と現実の言語使用とは調和する。

例:「私は、その頃、卒論を書いていた」から「私は、その頃、卒論を書いた」は帰結しない。

 

ところが、activity verb の場合は、これに反して、imperfective⇒perfective という推論が一般に許される。

例:「元旦、私は早起きして、海岸を歩いていた。」から「元旦、私は早起きして、海岸を歩いた。」が帰結する。

これはKlein の理論のみからは説明できない。

従って、時間的延長性の側面からのみ、語彙的アスペクトと文法的アスペクトから生じる制約を根拠づけることはできないだろう。おそらくは、様々なsituationの間に、「質」を区別しなければならないのだ。