Topic time とテンス・アスペクト(14)

1.

Klein, Time in Language を紹介する初めの頃に次のように書いた。

Kleinの理論は、Reichenbachの3つの時点"point of reference" , "point of the event ", "point of speech "をそれぞれinterval化したもののように見えるが、彼の理論の主眼は、むしろ、topic timeの概念によるテンス、アスペクトの再定義にある、と。

そうであってもなお、time interval (彼の用語では ' time span ' )を基礎概念として導入したことの効果は大きかったといえる。

とりわけ、それはperfective aspect / imperfective aspect の捉え方に現れている。

 

2.

まず、perfectiveの完了性completednessとperfectの完了性について、Kleinの理論が示すことを確認しよう(Time in Language , p109)。

perfectiveの場合には、「行為」はTTの内に、ある状態へ到達する。すなわち、そのTTにおいて、「行為」は完了する。perfectの場合、「行為」はTT以前に既に完了している。到達される「状態」とは、1-state content の場合はposttimeにおける未既定の状態、2-state content の場合は(lexicalに規定された)target state である。

図示すれば下のようになる。(2-state contentを例にとり、source stateを●●●、target state を☆☆☆で表す。)

perfective :   ●●[●☆☆]☆,  [ ●●●☆☆]☆ 等

perfect :        ●●●☆[☆]☆,  ●●●☆☆☆ [  ]  等

これが<perfective の完了性>と<perfect の完了性>との違いである。

 

3.

次に、perfective / imperfective について。

' time interval ' ( ' time span ' ) を導入することで、perfective / imperfective の対立を、<視点>のようなメタファーに頼らずに、「純粋に時間的な関係に基づいて再構成」(TL, p108)する可能性が開けてくる。

以前、perfective aspect での叙述について、次のように指摘した。(”行為と状態(2)”

しかし、まず注意すべきは、「彼はオムレツを調理する」「彼はオムレツを調理した」が、幅のない時点については通常言われない、という事実である。

ヴェンドラーの分類で進行形が可能とされるactivity動詞、accomplishment動詞ともに、perfective aspectでは通常、幅のない時点について言われることはない。

(......)

「彼は、事件が起きた某日正午ちょうどに、走った」とは、起動相的意味(走り始めた)でなければ言わず、「彼は、事件が起きた某日正午ちょうどには、走っていた。」と言う。

(......)

perfective aspectでは「彼は、1時間前、走った。」とか「彼は今月家を建てた。」のように、幅のある時刻≒期間について言われるのが通常である。

それに対し、imperfective aspect では、「期間」について述べることも、「彼は大晦日から1月1日に変わる瞬間には、公園を散歩していた」のように、「瞬間」について叙述することも、可能である。

 

かってDowtyは、Barry Taylorの提起した公準を踏まえながら、文の真理値と期間との関係について考察した。taylorの公準は、今関わる範囲では、次のようである。(それぞれ、perfective aspectでの叙述について言われていると解釈しておこう。)

・もしも α が状態的stative述語であれば、α(x) が ある期間 I で真であるのは、α(x) が I に含まれるすべての瞬間moment において真である場合である。

・もしもα(x) が activity verb かaccomplishment/achievement verb であれば、α(x) は、瞬間moment よりも大きい期間interval においてのみ真となる。

この点で、imperfective と状態的述語との類似が現れる。

では、なぜ、activity/accomplishment/achievement といったnon-stativeな述語は瞬間ではなく期間についてのみ真理値をとるのだろうか?

Dowtyは、non-stative な述語が「運動的motional」な性格の場合には、その理由が明白である、と言う。ある物体の運動を映した動画を考えてみよう。それから切り出した一つのフレームのみからは、その物体が動いていることは(必ずしも)結論できない。しかし、別々の2つのフレームを切り出し並べてみるなら、物体の運動は証拠づけられるだろう。

動的motional述語や、物理的な何らかの変化change を表す述語は、その真理の条件として、時間経過の中で、少なくとも2つの瞬間において世界の物理的状態の情報にアクセスできること、が必要となるだろう。(Dowty, Word Meaning and Montague Grammar, p168)

このような説明を一般化して、Dowtyは、先の公準を根拠づける。(cf. ibid., p166~)

 

変化は、ただ期間についてのみ、語りうる ーこれはもっともに聞こえる。

しかし、non-stative verb が期間についてのみ語り得るのは、perfective aspect という条件において、である。imperfective aspect、例えば英語の進行形では、瞬間についても語り得るのである(imperfectiveであっても、習慣相は瞬間については語られないが、今はそこに立ち入らない)。

とすれば、Dowty流の説明のみでは十分ではないだろう。

そこで、Klein の理論を振り返ろう。

a. TT included in TSit : imperfective aspect

b. TT at TSit : perfective aspect

(ここで、'TT included in Tsit' はTTがTSitに完全に含まれる場合、'TT at TSit' はTTがTSitに部分的に含まれる場合を意味する。TSitがTTに完全に含まれる場合も'TT at TSit' に入る。)

'TT at TSit' はTTがTSitに部分的に含まれる場合 ーこれを言い換えれば、TTには、TSitではない区間が存在する。つまり、TT内にTSitとnon-TSitという区間の対立があり、<TSit→non-TSit>の変化が存在する。

したがって、non-stative verbの場合、perfectiveでの叙述は、瞬間でなく期間についてのみ可能である。

それに対し、'TT included in Tsit' ではTTがTSitに完全に含まれる。したがって、TT内ではTSit とnon-TSit との対立がなく、その意味で変化がない。

ゆえに、non-stative verbであっても、imperfectiveである進行形ならば、瞬間について語ることが可能となる。

(※以上は<1-state content>の場合であるが、<2-state content>の場合は、上でのTSitを、source stateのTSit と読み替えればよい。)

perfective :     ●[●●☆☆]☆ ⇒  [ ]内に<TSit→non-TSit>の変化あり

imperfective : ●[●]●☆☆☆ ⇒  [ ]内に<TSit→non-TSit>の変化なし

このように、DowtyとKlein、両者の説明を合わせて考えれば、先の公準の意味は自然と理解されるのである。

 

ポイントとなっているのが<TT内における変化の有無>である。

ここで真に重要な問いは、

「内部に変化を含んだTTに関する叙述(perfective aspect)で、われわれは何を行うのか」

「内部に変化を含まないTTに関する叙述(imperfective aspect)でわれわれは何を行うのか」

であると、当ブログは考える。

次回は、これまで扱わなかった習慣相について考えながら、この問題に関する手掛かりを探ってゆきたい。