第四種動詞の周辺(14)

1.

第四種動詞の周辺(11) で述べたように、「はなしあい」のテクスト(cf. 工藤真由美)では、time of orientation(To)=time of utterance(TU) というdefault解釈(phono-deictic解釈)の圧力が強く、発話のテンスは、それに従って解釈されるのが通常である。

ここで、音声による発話、話し言葉、「はなしあい」のテクスト、という3者を区別しなければならない。

特定の環境が整っていれば、音声による発話でも、default解釈を免れることは容易である。例えば、20××年のある時刻に、上演中の劇場の舞台上で、ある俳優が「敵は本能寺にあり!」と叫んだとしても、その敵がその時刻に本能寺に存在することが主張されている、と受け取る人はいない。演劇、朗読会、ものまね、等の環境下では、われわれは、無理なく非default解釈に移行している。ただし、これは、「はなしあい」のテクストにおける発話ではない。

このような環境で話し言葉が使われることもあり、同様に、非default解釈を受けることが可能である。ただし、話し言葉が使われていれば即「はなしあい」のテクストなのではない。「はなしあい」のテクストにおいては、一般に話し言葉が使われるであろう。しかし、話し言葉と「はなしあい」のテクストとは異なった概念である。

だがさらに、相対テンスの使用が頻繁に行なわれていることを思い出せば、「はなしあい」のテクストにおける非default解釈も、何も珍しいものではないことに気づく。相手に面と向かって「あの日あなたは、祝賀会場で、気分が悪いことを訴えて帰りましたよね?」と言う場合、「あなた」がこの発話時に気分が悪いこと、が話題に上がっているのではない。修飾節”気分が悪い”での非default解釈への移行は自然に行なわれる。そして、”帰りました”の部分では、default解釈に戻る。

上の2つの例では、当該の文や修飾節のToは、それぞれ発話時から遡った過去のある時刻とするのが妥当である。

しかしそれでも、差し向かいで直接に会話をするという状況(すなわち、「はなしあい」のテクスト)では、間接話法や連体修飾等の場合を除いて、To=TTというテンス解釈(default解釈)が極めて強力である、とは言える。

 

2.

以上、非default解釈の可能性を確認した上で、現在テンスの変則的諸用法を非default解釈(特に、Toの非TU化、不定化)によって説明する可能性を考えてみたい。

まず日本語動詞の現在テンスにおける、テンスとアスペクトの関係について。動態動詞(非-状態動詞)については、基本形(ル形)は、通常、未来の事象を表す。現在の事象を表すには、ル形ではなくテイル形を用いなければならない。それに対し、状態動詞のル形は、現在の状態を表す。

ただし、この原則に反しているように見える、動態動詞ル形の変則的用法がある。それらは稀な例外ではなく、われわれが日常的に使用する、馴染み深いものでもある。

その紹介は次回以降に回すが、その一部をToの非TU化、不定化の観点から捉えることを試み、あわせて、これらの用法を、「はなしあい/かたり」という、テクストの性格の問題と絡めて追究する、という課題がある。それが、ここまで見てきた、第四種動詞の用法と 話し言葉/書き言葉との関連、の解明につながることが期待される。

 

3.

ただし、その前に、To(あるいはTT)の「不定化」という概念について、言及しておかなければならない。

形式意味論の研究者として高名なBarbara H. Partee は、1973年の論文 "Some Structural Analogies between Tenses and Pronouns in English" において、テンス形態素の使用を人称代名詞の使用と比較した。そして、テンスには、代名詞の場合と同様に、deicticな用法とanaphoricな用法の区別が見られることに注意した。さらに、Prior以来のtens logicとは対立的に、テンスは、量化子のような "sentence operator"ではなく、変項variableのように見なすべきであると主張した。

文において、あるtopic time(TT) が示され、それはdefiniteであることも、indefiniteのこともあり、量化されることもできる、とするWolfgang Klein の立場(cf. Klein, Time in Language, p7)は、Parteeの延長上にあると言えるだろう。

そして、Toが何時も必ずTUに一致するわけではない、とするわれわれの立場では、文あるいは節において(TTの他に)あるToが示され、それはTUに一致する場合が多いが必ずしもそうではない、ということになろう。

そして、そのようなTTやToが indefiniteである場合が、ここでいう「TT(To)の不定化」にあたる。ここで重要なのは、日常言語がTTのdefinite/indefiniteをシステマティックにマークする手立てを備えていないことである(Klein, p7)。

 

ただし、あらかじめ注意しておくべきことがある。

a.代名詞pronoun や変項variable へのアナロジーが孕む問題

Parteeは、形式意味論で、代名詞がsentence operartor ではなく変項のように扱われることから、似たような振舞いをするテンス(形態素)も、変項のように扱われるべきである、と主張した。しかし、形式意味論のように量化論理学を下敷きにした場合、代名詞の扱いがいろいろな問題を孕んで容易でないことはよく知られている。

特に、anaphoricな用法の解釈において、e-type pronounの理論、Discourse Representation Theory, Dynamic Semantic approach 等諸説が対立するが、定説はない(cf. "Anaphora" in Stanford Encyclopedia of Philosophy)。

そしてテンスを変項に類比するに当たっては、その上に、さらなる独自の問題が予想される(cf. 荻原俊幸『「もの」の意味、「時間」の意味』第3章)。

 

b. indefinite/definiteの概念

定性/不定性(definiteness/indefiniteness)の概念が形式意味論でどのように扱われているか、不勉強で理解できていないが、英語学での扱いは、それが一筋縄でいかないことを予想させる。特定性specificity と違い、定/不定性は、間主観的な問題なのである。

...定性とは、問題になっている名詞の指示対象を聞き手は唯一的に同定している(uniquely identify)はずだと話者が考えているかどうかを表す概念である......

そして、聞き手が指示対象を唯一的に同定しているにちがいないと話者が考えている場合を定、唯一的に同定しているとは考えていない場合を不定と呼ぶことにしたいと思います。(石田秀雄『わかりやすい英語冠詞講義』p112)

それに対して、ここでは新たに特定性(specificity)という概念を導入することにしたいと思います。......「特定性とは問題となっている名詞が具体的に指示している対象を話者が頭に思い浮かべているかどうかを表す概念のことである」と定義することにしましょう。この定義からもわかるように、特定的かどうかということは話者自身にとっての関心事であり、聞き手が指示対象をどうとらえているかという問題とはまったく関係がないという点で、前章で扱った定性とは大きく異なるものです。(同書、p178)

英語の定冠詞、不定冠詞の使用が間主観的な要因によって決まるのと同様に、TTやToの表現においても、間主観性の問題を考慮しなければならないであろう。

 

c. finite/infiniteの概念

definiteness/indefinitenessの対立とは別に、英語の動詞(英語のみではないが)には、定形finite form/非定形non-finite formの区別がある。また、infinite verbやinfinitive不定詞という概念もあり、日本語では、これらも定/不定という語を使って表される。動詞のfinite/non-finiteは、テンスの決定と密接に関わるが、TT,Toの定/不定と紛れてはならない。

 

このように、「TT,Toの不定化」と言っても、その基礎は極めてあいまいなままであること、その上であえて議論を進めることを頭に入れておきたい。