日本語における態voice の概念

1.

態voiceと言われて、すぐに思い浮かぶのは、能動態、受動態の対であるが、他にも様々な態が存在する。態とはそもそも何だろうか?

ここでも日本語学から学んでゆくが、ごく基本的なレベルでの確認に留める。

寺村秀夫は、態を、「補語の格と相関関係にある述語の形態の体系」と規定した。

ここでは、事象を描く文において要となる叙述語(動詞や形容詞)が述語であり、それといろいろな格関係において結びつく名詞が補語である(日本語のシンタクスと意味Ⅰ、p79)

文の中の補語の格を移動(変化)させながら、文全体の意味を一定の範囲に保とうとすれば、述語が動詞の場合、多くは述語の形態も変化させることになる。すなわち、格の移動と動詞の形態的変化が相関する。

そして

...格の移動と対応する動詞の形の中に、予見可能的に出没する形態素が抽出できるとき、それは「文法的な態」の一つの下位類と認めることになるが、予見不可能な、つまり辞書に個別的に記すことが必要なような形態的対応であれば、それは「語彙的な態」の形(ということになる。(同上、p208)

これだけではわかりにくいが、次のような例が挙げられている。

a. 太郎が浜辺で亀をつかまえた

の「太郎」、「亀」の格を移動(変化)させると、

b. 亀が浜辺で太郎につかまえられた

あるいは

c. 亀が浜辺で太郎につかまった

となる。

つかまえられたは、「つかまえる」という動詞の語幹に「られ」という形態素が付いた形であり、他の動詞においても、この形態素の付加と、補語(ここでは「太郎」、「亀」)の格の移動とが相関関係をなす現象が広く認められるので、b. は「文法的な態」の一種、受動態である。

これに対し、<つかまえる↔つかまる> という対応は、より個別的な規則なので、c. は「語彙的な態」の一つ、ということになる。

 

格の移動が述語の形態的変化を伴う例には、他に次のようなものがある。(格の移動によって文の意味が多少変化するものも含まれる。)

d. 彼にギリシャ語が読める(⇐彼がギリシャ語を読む)

e. ロープが切れた(⇐誰かがロープを切った)

f. 乗客を後部座席に移らせる(⇐乗客が後部座席に移る)

g. 乗客を後部座席に移す(⇐乗客が後部座席に移る)

(cf. p210-1)

d. は、<読む↔読める>、e. は、<切る↔切れる>、f. は<移る↔移らせる>、という規則的な変化を示している。この種の規則は、広い範囲の動詞に対し適用可能である。

それに対し、c. やg. (<移る↔移す>)は、個別的ないし狭い範囲での規則的な変化であり、自動詞⇔他動詞の変化に対応している。

寺村は、以上から、

受動態(b.)、可能態(d.)、自発態(e.)、使役態(f.)を文法的な態とし、

動詞の「自他の対立」(c.,g. )を語彙的な態とする(p211)。

ここで、自他の対立(自他対応)が態の一つとして扱われていることが、寺村の研究の特徴である。

 

2.

佐藤琢三は、ヴォイス(態)の概念を、寺村よりも緩やかに「主語を中心とした事態の関与者と述語の表わす動きとの意味的関係を示すカテゴリー」と規定する(『自動詞文と他動詞文の意味論』p192)。

佐藤は、寺村が入れなかった相互態、希望態、テアル態もヴォイスのカテゴリーに入れている。可能態もヴォイスと認められるが、自発態は受動態や自他対応に吸収されている。

そして、ヴォイスの機能を、形態、意味、統語の3つの側面から捉え、そのプロトタイプを、この3つから規定している(p193)。ここではその内容には立ち入らないが、プロトタイプの条件をすべて満たすか否かで、諸々のヴォイスは、原型的ヴォイスと非原型的ヴォイスに分割されることになる。原型的ヴォイスは受動態、使役、自他対応の3種、非原型的ヴォイスはそれら以外(可能、相互、希望、テアル)である。

佐藤は、寺村が自他対応をヴォイスの現象として扱ったことを高く評価し、それを受動、使役とともにヴォイスの中核に位置付ける。その根拠として、相対自動詞(対応する他動詞を持つ自動詞)と受動態、相対他動詞(相対自動詞に対応する他動詞)と使役態のそれぞれに意味的連続性が認められることを挙げる。

(19)日本は 水資源に 恵まれている。

(20)次郎は 用事を 済ませた。

(19)と(20)の動詞の形態はそれぞれ、受動形と使役形のものである。しかし、(19)では主語「日本」が他の存在からの動作や作用を受けたという受動文本来の意味的特徴をもっておらず、むしろ自動詞文の意味に近い。同様に(20)では主語「次郎」が他の存在に働きかけて動作や作用を仕向けたという使役文本来の意味的特徴をもっておらず、むしろ他動詞文の意味に近い。これらの事実は相対自動詞と受動態、及び相対他動詞と使役態の間の何等かの意味的連続性を示唆するものである。(同上、p199)

このように連続性の観点から捉えるなら、自他の対応をなす動詞は、態のプロトタイプとして見ることができる。ただし、動詞すべてが自他の対応関係の内にあるわけではない。そのことを含めて、自他対応の現象についても、基本的なことを確認しておく必要がある。(続く)