アスペクト知覚

状態としての「・・・として見る」

1. これまで「・・・を・・・として見る」と「・・・で・・・を意味する」の類比を軸にして、「として見る」のさまざまな時間様態を区分してきた。「・・・を・・・として見る」の特徴として、ある時間間隔における状態の持続を表現できることが指摘された。…

「気づく」と「見る」

1.前々回、「として見る」と「気づく」に類比されるべき使用が存在することを見た。その一方で、「として見る」は、ある時点から別の時点までの「持続」を表現できることによって、「気づく」のような概念から異なっている。「気づく」は、(気づいた内容を…

適用が正当化する

1. 前回、「・・・として見る」という表現の使用に関する考察を、まず、「意味する」という表現との類比によって進めていった。「意味する」については、過去形での使用という、注目すべき用法があった。その使用の条件でにとって重要なことは、ある時点から…

アスペクト知覚と能力

1.「・・・として見る」と、「・・・を意味するbedeuten, meinen」との類比を導入する。 以前にも取り上げたが、「・・・を・・・として見る」は「その表現が一つの比較Vergleich(直喩)であるような体験」と呼ばれていた。 ある顔と別の顔との類似を見て…

Wittgenstein intersection

1. ところでウィトゲンシュタインは、アスペクト視覚を表現する狭義の形式の命題「私は・・・を。。。として見る」「わたしは。。。と・・・に類似を見る」だけでなく、アスペクトの閃き(あるいはその体験)を表現するさまざまな形式の発言をも考察の対象と…

2つの使用

1.まず、『探究 Ⅱ』xi節の有名な冒頭で既に文法的使用の問題との連関が示唆されていることを手短に示したい。 最初に、以前引用した、次の講義の一節を見てみよう。 良い表現の仕方ではないが、次のように言うことができよう。「同じ」、「似ている」、「類…

『哲学探究』第Ⅱ部xi

1.従来、アスペクト視の議論を含む『探究Ⅱ』第xi章は知覚論として捉えられることが多く、例えば「知覚の理論負荷性」というテーマの下に論じられたりしてきた。確かに、第xi章及び関連する遺稿では、見ること、解釈すること、考えることの関係が主題の一つに…