日常言語との距離

前回の補足。

(例えば)「分度器による角の三等分」と、「定規とコンパスによる角の三等分」を峻別しようとした中期の視点は捨て去られたわけではない。

両者を無自覚に同一視することは哲学的混乱を生むであろうからだ。

「角の三等分」という概念のもとにつながれた2つの「技術」の差異を、必要な場合には、際立たせなければならない。

必要な場合 とは、「治療」が必要な場合、という意味である。

 「哲学は、いかなるしかたにせよ、言語の実際の慣用に抵触してはならない。」「それはすべてのものを、そのあるがままにしておく。」(いずれもPI 124、藤本隆志訳)とウィトゲンシュタインは主張した.。しかし、彼が行うべきことが「自分たちの日常的な言語形式のせいで容易に見すごしübersehenてしまう諸々の差異を、常にくり返し際立たせること」(PI 132)であるなら、時に「日常的な言語形式」に逆らった言い方をすることも避けがたいだろう。実際に彼のテクストは、われわれの通念に逆らったような物言いに満ちているはずだ。